わたしはプリンが好き
名は優希。
彼女はスラム街からほんの少し離れた普通の家庭で生まれ育った。
両親は彼女をとてもよく可愛がった。
彼女が少女になる頃、大きな変化があった。
学校にはろくに行かず仲間と遊び呆け、酷いときはスラム街にいる子供達をからかったりした。
この時に髪を金に染めて化粧もした。
そんなすっかり変わり果てた彼女に両親はついに愛想を尽かした。
彼女が赤ん坊を腹ごもった時には勘当手前の喧嘩になった。
赤ん坊の父親はもういない。
仲間とも距離を置いて彼女は独りになった。
赤ん坊の面倒については母親が情け程度に教えてくれた。
それでも、まだ少女である彼女が面倒を見ることの苦労に違いはなかった。
少女は日中、気を紛らわすために外で過ごすことを選んだ。
もしかしたら、赤ん坊の捨て場所を探していたのかも知れない。
当てもなくさ迷っていると、一軒のビルが目に止まった。
ガラス扉の向こうには段ボールが散乱していて人がいそうになかったから都合良く思った。
ただ、鍵がかかっていた。
だから彼女は裏に回って裏口から中へと侵入した。
鍵が開いていたから侵入したのだが、部屋を歩き回ってみると生活の痕跡があちこちに見られた。
そこで大人しく出ていけばいいものの、彼女はどうにでもなれと一室にあるベッドへ倒れ込んだ。
しばらくして、所有主に叩き起こされた。
整った顔立ちのおじさんで、危害が加えられることはとりあえずないだろうと彼女は安心した。
そして逆に態度を大きくして勝手に居座ることを決めた。
こうして、一匹の猫がビルに居着くことになった。
態度を大きくして居座ることを決めた頑固な彼女に対して、彼は下手な説教をそれでも精一杯した。
警察を呼ぶぞ、親に言いつけるぞ、危険な目に合わせるぞ、邪魔だから消えてくれ、面倒事はゴメンだ、なぜ俺のビルに、勘弁してくれ、何がほしいならくれてやる、わかったもういい。
彼はすっかり諦めた。
彼女はやっぱり安心した。
「夜になったし帰る。また明日の朝ね」
一方的にそう言って彼女は帰宅した。
帰った娘に対して両親は言葉をかけなかった。
リビングにあるテーブルには冷めた夕食が置かれていた。
これはうっかり寝て帰宅の遅れた自分が悪いんだと反省して、彼女はありがたく食事を始めた。
同時に赤ん坊にも食事をやった。
さて、その翌朝も彼女はあのビルへと向かった。
彼は彼女より一時間も後になって来た。
ここが仕事場らしいことは昨日聞いていた。
「今日も仕事?」
「そうだ」
「なんの仕事?」
「探求家だ」
「それってヤバイ仕事じゃん。なんかこの下に都市があるらしいってそれ本当?」
「本当だ」
「ふーん。楽しい?」
「いいや」
「じゃあ何で探求家なんてしてんの?」
「もう黙れ」
機嫌を悪くした彼は二階へと上がり、支度を終えたら何も言わず出て行った。
それから彼が帰宅したのは黄昏時になってからだった。
「まだいたのか」
「なんか見つけた?」
「いいや」
「ダメじゃん」
「うるさい。金ならまだあるから構わない」
「探求家ってやっぱ金持ちなんだ」
「金持ちよりはないが十分ある」
「あっそう」
「何か食ったのか」
「泥棒は止めたから」
「お前は泥棒だったのか」
「だったよ。ちょいとだけ、ちょいーとだけ」
彼女が可愛らしいポーズで素直に告白すると、彼は頭を掻いて大げさに困った。
「あークソ、参ったな」
「だーかーら、だったの話だって。なんも盗ってないよ」
「わかった。で、何か食ったのか」
「食べてないよ」
彼女がそう言うと、彼はリュックから珍しい食べ物を出して丸い机の上に置いた。
「俺の弁当を除いたらこれしかない。あとは帰って食え」
「なにこれ」
プラスチックの容器に収まった、なんとも言えない黄色い物体にドキッとする。
「プリンを知らないのか」
「ちらっとスーパーで見たことあるけど高いから」
「盗もうと思わなかったのか」
言われて彼女は……ボソッと答えた。
「そうしよーとして、捕まった」
プリンは彼女にとって因縁の相手だった。
男は小さく笑った。
「はあームカつく!」
「俺か?捕まえた奴か?」
「あんた。捕まったのは当然だし」
「罪の意識はあるようだな。安心した」
「うるさい」
「ほら食え」
彼女は彼をイチベツしてから、プラスチックのスプーンでそれをすくい一思いに口にした。
その瞬間、甘くとろける風味が心にまで染みて頬がついつい緩んだ。
「これは合鍵だ。無くすんじゃないぞ」
男はプリンの隣に少し錆びた鍵をトンと置いた。
「合鍵?二日目にして観念したんだ」
「昨日出会った瞬間から観念した。とうに諦めた。勝手に好き放題すればいい」
彼はそう文句を吐いて帰って行った。
もしかして、わざわざプリンと合鍵を届けてくれたのだろうか。
彼女は、ちょっぴり嬉しくなった。
それからも彼女は毎日ここへ通った。
彼はお喋りが嫌いであまり口をきいてくれなかったが、返事を返してくれるだけで彼女は満足していた。
ある日には部屋をひとつくれたし、ずっとプリンをくれるし、とにかくいい人なんだということはハッキリした。
そんな彼にも変化があった。
一度めは怪物を見た日。
二度めは怪物を殺した翌日。
怪物を見た日にはかなり怯えていたので、彼女が優しく慰めてやった。
すると落ち着いたので、どうも臆病なことが分かった。
怪物を殺した翌日はかなり興奮していた。
それで彼が少年のまま大人になったような人間なんだと知った。
「もう恐くないね」
彼女が悪戯にきく。
「馬鹿か。恐いことに変わりはない」
「また次もやっつければいいじゃん」
「簡単に言うな。どんな状況だったか話しただろう。もう一度聞くか」
「いい」
彼女はプリンを頬張って口を閉じた。
「高いんだぞ」
「知ってる。でもなんで高いんだろう」
「原材料と製造工程。そして要冷蔵なところだろう」
「肉よか野菜よか美味しいよこれ」
「赤ん坊の為にも栄養あるものを優先して食え」
彼女は答えなかった。
「どうした」
「ううん、そうだね」
「どうした」
「今日はお喋りだね」
「どうした」
三度きかれて、彼女はやっと答えた。
「わたし分かんない」
「何がだ」
「赤ん坊がわたしにとって大切なのか」
「命は大切だ」
「勝手に死ねって言われてみんな死んでるじゃん」
「死にたいやつにはそう言う」
「死にたいやつと赤ん坊の違いは何?」
「死にたいやつは自分で何とでも出来るが、赤ん坊は誰かが面倒を見なきゃならない」
「出来ないこともあるかもじゃん」
「それは甘えだ。やろうと思えば何でも出来る」
彼は結構厳しいことを言うタイプだった。
怪物を殺せるような人間だから、彼女は反論出来なかった。
「とにかく赤ん坊は大切にしろ。お前は親なんだ、責任がある」
「親……責任……」
彼女は思った。
この子はいつか自分のような人間に育つのだろうかと。
「いらない」
「何?」
「親になんてなりたくなかった」
「それこそ無責任だ」
「わかってる!けど!」
彼女は嗚咽混じりに続ける。
「誰も助けてくれないし……」
「仕方ない。お前がやったことは、そういうことだ」
「仕方ない……ね」
「だから、これからどうするかだろう」
彼は俺が助けてやる。
その一言が言えなかった。
それを言えば責任が生じるからである。
「ごめん。言い過ぎた」
「いい。本当のことだし、全部わたしが悪いの。そうだよ」
「赤ん坊が大きくなれば、きっと気が楽になる」
彼女は彼の言葉とは反対に思った。
きっと、大きくなればなるほど憎しみも大きくなるだろうと。
わたしのせいで人生が変わった。
赤ん坊のせいで人生が変わった。
どっちもでどちらも悪くない。
仕方ないことだから、どうにかするしない。
誰かに甘えちゃダメなんだ。
分かっているつもりでも彼女はいっぱいいっぱいだった。
「あなたはわたしのこと嫌い?」
赤ん坊は無邪気に笑った。