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下層都市における脅威

くすんだ空の下で鈍く光る都市。

ここは普遍的に空気も人の心もよどんでいる。

ゆえに、今朝もそこらのビルの下では適当な清掃が行われている。


彼は自身の所有する二階建ての小さなビルにやって来ると、鍵が開いていることを確かめて中へと入った。

エントランスに散乱する段ボール箱を避けて奥に三つある部屋の一つへと向かう。

一つ目の部屋には散らかったキッチン、二つ目の部屋にはこれまた散らかった自室、最後の部屋には居着いた猫が今日もいた。


「おはよ」


彼女は彼に向かって素っ気なく挨拶をした。

彼は言葉を返さない、目を見て確認だけ終えると引き返して自室にあるソファーへ身を投げた。


汚れたガラス窓には隣の小汚いビルの壁ではなく、身なりをそれなりに整えた彼の姿が映っている。

彼は長身で金髪碧眼の男だ。 


対して、彼が白い髪を染めたように先程の彼女も黒い髪を金髪で染めている。

小さくて幼くて金髪、そして彼女の瞳は絶えず夜を見ている。

そこには赤い雲がいつも浮かんでいて、彼は何となくそれをいつも気にしていた。


彼女は両親とこの都市のどこかで暮らしている。

父は公務員で母は工場に勤めていると聞いた。

自宅での会話はほとんどなく、まるでままごとのような関係だと、彼女はため息をつきながら話した。

赤ん坊については何も聞けていない。

名前はなく父親もいない。

彼女は数ヶ月前のある朝、奥の元仮眠室で勝手にくつろいでいた。

もちろん話し合いをした。できるだけ親切に対応した。

しかし、彼が彼女を説得するには大人というだけでは足りなかった。

十七にして名前のない赤ん坊を世話する彼女は正直に異質だと思う。

だが彼は彼女を邪険に扱うことはしなかった。

だから居着いてしまったのだろう。

一月もすれば新しい部屋と一定の距離感が出来ていた。

彼女が彼に対して高価なプリンを要求するまでに親睦は深まっていた。


ふと、彼女の部屋から赤ん坊の泣き声がして物思いから覚めた。

彼はキッチンに移動するとミルクをこしらえて彼女のもとへと運んだ。


「気が利くじゃん」


彼は言葉を返さず彼女の隣へ腰を下ろした。

くたびれたベッドが深く沈んで彼女がよろける。

ムッとした顔で彼を見るもやっぱり言葉はなかった。


「今日は仕事に行く」


赤ん坊が落ち着いて、ようやく彼が言葉を話した。

彼女はそう、とだけ返した。


「プリンは残っていたかな」


「あと二つしかない」


「わかった」


それだけのやり取りを終えると彼は立ち上がり二階へと上がった。

二階には一つしか部屋はない。

大きな机と僅かな資料、それから幾らかの道具があるだけだ。


彼は緑のリュックへササッと荷物をまとめると、愛用のハンドガンに弾が込められているかチェックした。

このハンドガンは即効性の毒薬を内包した小さな針を射出する道具で、昔から残る道具のうちの一つである。

数は少なくとても高価なものだ。

最後にサーベルを腰に携えてリュックを背負って、それから家宝であるトリニタイトの首飾りに祈りを捧げて彼はビルを発った。


 この世界は都市の上に新しく都市を築き重ねて出来ている。

人工的に模造した自然を頼りに人々は何とか今日も生きていた。


ここに法はある。

が、下層都市に法はなく、様々な危険が待ち受けている。


それでも色々な理由をもって下層都市へと足を運ぶ者たちがいる。

彼もその一人である。

下層都市の危険は入り口から始まる。

入り口はそう多くない。

また、国が管理しているか、権力のある組織が支配しているか、そのどちらかがほとんどだ。

彼はそのどちらでもない秘密の入り口を見つけていた。

都市の中心から追いやられたスラム街の奥にそれはあった。


「金はあるかい」


「もちろんだ」


そこを守るように暮らす老婆に金を渡して、彼は崩れた民家の中へと足を踏み入れた。

半端に崩落した天井をくぐり奥へと進むと、その先に小さな穴を見つけた。

ここが秘密の入り口である。


コンクリートから突き出る鉄骨を乱暴に曲げて作った梯子を降りていくと、やがて足の落ち着く場所に降り立った。

当然、明かりはなく真っ暗だ。

彼が懐中電灯の明かりを着けると、長いトンネルが姿を表した。

ここは下層都市を換気するためのダクトである。


彼はしばらく進んで、壁の染みと同化したひと一人分の亀裂の中へと身を潜らせた。

その向こうにあるは狭いビルの一室。

両手に抱えたリュックを放り投げて、次に自身を解放した。

懐中電灯の明かりを下げて、まずは窓へ向かう。

身を半ばに辺りを望むも、明かりは一つもなく闇しかそこにはない。


彼は敵がいないことに安堵してビルを出ることを決めた。


外は一切の闇だ。

しかし明かりを照らせばビルがいくつも建ち並び、空には隙間なくコンクリートの天井がある。

これがまだまだ下に続いている。


この都市は百年ほど前のものである。

従って、上の都市と似たところがたくさんある。

ところが、こちらの方が施設や道具が新しい。


文明は上に行くほど古く、下に行くほど新しい。


ここへ挑む者の目的はほとんど決まって同じで、人類が過去に残した資料や道具の回収である。

例えば、彼が過去に発見した電子レンジの設計図や説明書なんかがそうだ。

それを役所に持っていくと相応の金が国より支払われる仕組みになっている。


しかし、この階層はほとんど回収されて荒んだ状態なのでもはや価値ある物はない。

彼は新たな入り口を通って、まだまだ下を目指す。


 第二下層都市。

ビルだけは共通しているので、景観だけでは、ここが百年よりもさらに前の都市だと初めて訪れる者の誰もが思わないだろう。

けれど紛れもなく、ここは百年よりもさらに前の都市だ。

そして人類の衰えを感じさせるところだ。


男はビルの上階から眼下に明かりを見つけた。

ああして堂々としているのは悪党に限る。

なぜなら彼のような普通の人間は悪党に怯えて、道路では必ず、懐中電灯は闇雲に振らず、また手のひらで明かりを抑え、慎重に行動するからだ。


奴等は本当に面倒だ。

見つかればきっと死ぬことだろう。

ここでは誰も助けてくれない。死体もそのままだ。

奴等は主に手柄を横取りすることを目的としている。

ハンドガンで動けなくして強奪と殺人を行う。

ここでは誰も裁かれない。改めて説明する、ここは無法地帯だ。


やがて彼等は闇に消えた。

男は明かりを抑えて向かいのビルへと移動すると、その路地裏に身を潜めた。

そしてリュックから手帳を取り出してメモを確認する。

彼にとってそれは地図なのだ。

目的の場所の確認を終えると彼はさらに奥へと進む。


細心の注意を払いながら公園へと辿り着く。

そこにはもう植物はない。

国が所有していた公園内は資源の回収がされて何もなく、かなり目立つので、周囲を囲むフェンスに沿って移動する。

何か明かりを見つければ、すぐに路地裏へと逃げられる用意をしながらゆっくりと移動する。


 何事もなく、しばらくして一軒の小さなスーパーに辿り着いた。

軽い石を混ぜて作られた外観に特徴はない。ただボロくて掠れた文字の看板があるだけだ。

割れたガラスドアを跨いで中へ入ると、空っぽの棚だけが少しばかり残されていた。

前に訪れた時に拾ったチラシには見たこともない食料品が多く載っていた。

この時代、羨ましいことに養殖食料品にはまだ余裕があったらしい。


続けて、スーパーの奥、事務室へと入る。

そこにあるトイレのドアノブに手をかけたところで、彼はギクリとして一瞬にして静止した。

中から物音と話し声が聞こえる。

便器があった場所にポッカリと穴の空いた目立つ入り口だった。

誰が見つけたとしてもおかしくはない。


そっと、中を伺う。


「くそ!やられた!」


そう叫んだ大柄の男は怪我をしている様子だった。

それも重症らしいことを真っ赤に染まった服が伝えた。


「何があった」


中には大柄の男を合わせて武装した男が数えて四人。

三人のうちの一人、長髪の男が理由をきく。


「怪物がいた。あいつらは仲間も人も構わず食う」


彼にはその話に心当たりがあった。

というより、実際に怪物に遭遇したことがあった。


「その怪物はどんな見た目だった」


「ハンドガンは使わなかったのか」


仲間が次々にきく。

男はハンドガンをタイルの床に叩きつけて答えた。


「役に立つかこんなもの!」


「怪物はそんなにヤバい奴だったか」


「俺よりでかいが四つ足で素早く動く。それと、毛皮に被われて太い爪と牙があった」


「動物か」


「昔の動物がどんなのか俺は知らないが、もしかしたらそうだろう」


「で、毒は効くのか」


「効くには効くが、食うが早い」


どうやら仲間が一人食われたみたいだ。

想像に難くない。


「あいつは死んだのか」


「ああ、食われた」


「そうか」


「少しずつ……」

 

大柄の男は一呼吸置いて言葉を続ける。


「少しずつ肉の塊になる様は哀れだった」


「人を平気で殺す奴の台詞には思えないな」


仲間の一人がからかうように吐く。


「見つけたら殺すが、あんな酷い仕打ちはしない。これでも人間だからな」


「よく言う。お前も怪物も違いない」


仲間の一人が頷く。


「ああ。違いは食うか食わないかだな」


「なら今度お前を殺して食ってやる!」


彼は反響する笑い声を背に、またそっとその場を離れると、足音を殺して裏口からスーパーを出た。


さて、これから別の入り口に向かわなくては。

彼は手帳に「×」を書いて移動を再開した。

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