第5話 白黒コンシーラー/成功例とは
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例のお洒落ビルはもう見渡せる視界の外にまで遠ざかって、僕の隣にはお喋りな黒色の怪物が並行しているだけだ。腹がスケスケの...ハラスケイル。
『オイ直樹、聞いてんのか?だから契約後はこうやってオレが付き従うことになる。...いや、憑き纏うか!ぶハァッ!』
なんだこいつ。
いや、本当に何なんだ。
本当にお喋りではあるけれど、なんというか...この短時間で発音の上達が見られるのは気のせいだろうか。
ほんの数十分前...出逢った当初のカタカナ混じりの流暢さが、今や完全におっさんのそれである。
「........」
しかしそれらは全部無視して、僕はiPhoneのホーム画面から短縮ボタンのアプリを押し込んで待機している。
「...もしもし、幸一か?」
冷静になって考えてみると、明らかにおかしい。
平静を嫌う僕としてもこの状態は異常過ぎる。まずは連絡...誰かに状況を報告したかった。
.......。
...のだけれど。通信ができない、iPhoneが電話として機能していない。
電波が繋がらない、留守電とか、話し中ということならまだわかるのだけれど...マナーモードでも無いのに何の音声も聞こえてこない。
『オイ、直樹。もしかしてそのiPhoneで電話かけようとしてるのか?』
「...そうだ、悪いかよ」
『いや、ソレ。...通話画面になってないが』
「...は」
よく見ると、iPhoneにはホーム画面が表示されていて、ダイヤル短縮のアプリが消失していた。
『表面に起こった事実を言うとするならば、直樹は今、ほとんど使わなくなったであろう短縮ダイヤル機能のアプリを自らホーム画面から消去したところだ』
「...は!?どういう...、...そうだ。確かに僕はアプリを消去した。しかし...幸一に電話をかけたのも事実だ」
『段々両面の事実を把握出来るようになって来たみたいだな。まァ、俺が憑依している間は多少虚構の事実も認知し易いように、情報圧力の操作をしてはいるが』
...両方の事実?情報圧力の操作?
なんだ、それぞれがそれぞれとも全く理解不能だ。
しかし今の僕になら多少は何が起こったのかは分かる。
今幸一に電話をかけることは、僕にとって何らかの不自然だったのだろう。
「じゃあ、さっそく運命収束値を開放して連絡を取らせろよ。何の連絡も無しに両親が心配すると困る」
嘘だ。両親に連絡を入れるつもりはない。この辺の常識が通じるかはなかなか判断の難しいところではあったけれど...。
僕はこの状況を誰よりも早く、あの特別な人間に伝えたかったのだ。
あいつが絡むと、この雰囲気を少しでも緩和してくれそうな気がしたから。
『いやダメだ。さっきも言ったが、この事態を誰かに話すことは契約違反となる。...そうでなくとも、ここで運命収束値を開放すれば間違いなく凶暴化した隔に取り憑かれた人間がお前に襲いかかるだろう』
『ホラ、謎の怪物との契約直後は...なんとなく事件が起こりやすそうな気がするだろ?』
「......」
確かに今の感じ、そういう流れではあるかもしれないけれど。
運命ってそんなに漫画みたいな方式なのか。
『オマエの考えていることは分かるぞ。運命とは、そんなにコミックチックな仕組みなのか...と言いたいのだろう?その通りだ』
『運が良ければ、努力の結果報われる。運が悪ければ、自分の犯した罪に対して罰が与えられる。...となれば普通、こんなに不敵な怪物と契約した直後には何らかのバッド・イベントが付きものだろうが』
いや、説明が強引過ぎるだろう。
...それにさっきからルビが強引過ぎる。
しかし言われてみれば、そうあって不自然ではないと思う...多分。
『だからこれからお前が行うべきは、極めて"普通"の態度に努めることだ』
「......何?」
『ふハァッ!いかにも不思議そうな...いや、不服そうな顔をしているな。心配するな?...約束は守る』
『ただ、特殊な状態で特殊なことをすれば、そこに来るのは異常の事態だけだ。オマエがオレと契約出来たことも同じ理由で、オレはごく自然にオマエの運命収束値を求めて契約を持ちかけた。オマエはその運命収束値を持つが故に不自然なくオレと契約をした』
『つまり、ここまでは極めて自然な状態なんだ。オマエからすれば、運命収束値の抜け穴と言えるかもしれんが』
『しかしオマエの意思でここより先に事態を発展させようものなら忽ち運命収束値の矯正力により行動が修正...再試行されるだろう。が、その場合』
『オレとオマエの関係上の、どこまで修正されるかは分からないんだ』
『何らかの原因で、オレと直樹が出会ったことこそが"不自然"と判断された場合...オレとオマエは出会わなかった事になる』
『その場合... 』
先は言わなくても、分かる。
僕がこの怪物と出会わなかった場合、僕はあのビルからの投身まで遡ることになるんだろうけれど。
その途中で、僕はスケイルに遭った。
しかし、投身の瞬間からスケイルに遭うまでは僕の運命は矯正されていなかった。
...ということは、あの投身事態は"ごく自然"であるということだ。
つまり...こいつと出遭ったこと事態が不自然と見なされれば...
正当な投身自殺により僕は死ぬ。
『なかなか物分りが良いじゃねえか、そういう事だ。...ということは、どういうことか判るな?』
『オマエには莫大な利用価値がある。...仕事熱心なオレ様の為に、協力してくれるよ、なァ?』
やはり、見た目通りの悪魔か。
...それでも表面の出来事だけをなぞれば、僕の命を助けたことになるのだけれど。
本当に訳が分からない、ここまでのことが全て。
『ホラ直樹、もっと嬉しそうな顔をしろよ。オマエの持ち前の運命収束値にオレ様がちょちょいと手を加えれば、即席主人公の完成だ』
『オマエの望んだ展開だろ、今日からオマエが主人公だ。日々を普通に暮らしたいと嘆きつつ適当な登場人物と時間を潰していれば、やがては何らかの重大事件にぶち当たるだろう』
『それらを乗り越えながら仲間とともに成長し、最後には感動のラストが待っているんだろうな。何ともめでたい。そしてそのとき感じた想いや思いは大事な記憶となって一生の宝物になるんだろう、素晴らしいことだ』
『色々な冒険の果てにオマエが何を望みどうなるのかはとても予測がつかないにしても』
『とにかくオマエはこれから特別だ。どうだ、嬉しいか』
この口ぶり、人を舐め腐った態度。どうしても度し難いところはあるけれど、今はただひとつだけ。
「嬉しいよ。ありがとう、スケイル」
今日から僕が主人公だ。




