第1話+@ さらに歪む
2.
「直樹、"モンティ・ホール問題"って知ってるか?」
幸一だ。
登校中、通学路、学生たちの声。
つまらないラジオから流れるような、雑音以下のそれを片耳に感じながら歩く最中。
...僕たちもその例に漏れないということか。
「知らない、何だそれは」
幸一のことだ。多分お得意の小説に使えそうな、何かしらの論理や説のことなのだろう。
「あちゃあ。知らないかぁ」
...いらっ。
「そう怖い顔をするなよ、ただの雑談。バカにしようってんじゃないからさ」
にやり、と。
幸一がこの顔をするときは、何か面倒な話をするときだ。しかしそれは容易に止められない...このパターンの展開にいくらか予測がついた時点で、もう億劫極まりない。
まぁ...聞いてやるけど。
「...こほん。モンティ・ホール問題っていうのは、とある海外のテレビ番組で行われたゲームの一つなんだけれど」
「簡単にルールを説明すると
①3つの扉があって、そのうちどれか1つを開けると景品がもらえる。
②プレイヤーはその扉のうち1つを選ぶ。
③ゲームマスターが、プレイヤーの選ばなかった扉の中から、景品の貰えない..."ハズレ"の扉を予め一つ開けてしまう。
④このあとプレイヤーは、開く扉を選び直すことが出来る
ー...というゲームなんだ」
「直樹はこの場合、どうする?」
「...最終的な2択の中から扉を選び直すか、そうでないかってことか?」
説明を聞く限り、どちらにしても確率は変わらないような気はするけれど。
僕はー...
「...。選び直す...かな。特に根拠はないけれど」
「おおっ!正解だ」
...正解ってなんだ、どういうことだ。
「いや、実はこのゲーム...選び直す方が、正解率が高くなるんだよ」
「どういうことだ?」
学校まであと数百メートル程度...ここで少し、興味が出てきた。
「あのさ、これは少し難しい話になるけれど」
「扉のそれぞれをa.b.cとする。プレイヤーがaの扉を選べば、ゲームマスターがbかcの扉を解放することになるよね。
このとき、プレイヤーが"選択肢を変える"という考えを持っていれば、aかc、またはaかbのうち選択肢のどちらでも勝つことが出来る可能性があるわけだ。まだ答えは分からないからね」
「言葉のトリックになるかもしれないけれど、選び直さなければ、確率ははじめの3択から1つの扉を選ぶ1/3。選び直せば、2択になってからの選択であり、確率は1/2」
幸一は、どうだと言わんばかりに得意げな顔をする。
「は...?...んん?」
対して、こっちは気の抜けたマヌケヅラ。
表面的な評価は普通であれど地頭は良い方だと思っていたが...正直、説明を聞いてもよく分からない。
「そこでオレは思ったわけだ。あれ?これって、選び直さない方が主人公っぽくね?...ってね」
「どういう事だ、益々わからん」
しかしこの言葉や一連のやりとりは僕の、のちの行動に深く突き刺さることになる。...不覚にも、だ。
言葉の上では難色を示せど。
それは僕がこの意見に対して、内心とても共感を覚えたから。
「詳しい説明はあえてしない、ニュアンスで分かるかもしれないと思っただけだから」
不服そうだね。まぁ、あえて言うならば...だよ?
と、そういうような目配せをし、幸一は以下の台詞に続けた。
一応言っておくが、このとき僕は爛々と目を輝かせて将来の有名小説家様の話に聞き入っていたわけではない。
幸一の意向に沿うつもりはなかったし、彼がこの先本当に小説家になったとして、その威光にあやかるつもりも毛頭ない。
寧ろ、そろそろ飽きてきたのでさっさと学校に行こうと急かしかねない様子だったことは語らずとも図り取れるだろう。
「少し話の角度がズレるけれど、"トライアンドエラー"...試行錯誤。自分の行動に修正点を見つけて、その次のそれをよりよいものにする。ここではじめに非の打ち所がなければ...向上の余地はない」
「要は、成功すれば話は終わるってことさ。語るまでも無くね」
「逆を言えば、失敗出来るからこそ、語る意味がある」
失敗を前提に、物語は語られるのだ。...と。
なんだか抽象的かつ意味深なことを言っているように思えるだろうが、僕はこのパターンを知っている。
「...お前、幸一。遠回しに"何で当てちゃうんだよ、驚かし甲斐がないだろ"って言ってるな?」
「っ!?...わわ」
「...わ、凄いな。今日の直樹はスゴい」
「?いつもこんな感じだろ」
「いやぁ、今日は違うよ」
以下、本当に取り留めのないグダグダの日常会話である。
...しかし僕は長い間、この会話を忘れることが出来なかった。
それ故に起こる事件があったとしても、きっと幸一が目論んだ通りなんだろうけれど。
こいつはそういうやつで、僕と幸一はこういう関係なのだ。
間も無く僕と幸一は学校へ到着した。
校門から、下駄箱...階段。
「じゃ、ここで」
幸一と僕はクラスが別だ。
仲の良い友だちとクラスが同じになるとか、隣の席にはヒロインが座るとか、まちまち転校生が越してくることはない。
ここは現実なのだから。
幸一のクラスを通り過ぎて僕の教室へ入り、いつもと変わらない無意味な喧騒の中、ただ静かに席に着く。僕の席は前の方の窓際で、今日は空がよく見える。
それにもすでに飽き飽きしていたけれど。
「やぁやぁ直樹クン、今日もクールかい?」
...副委員長だ。
佐々木 あかり学級副委員長。
清楚な黒の頭髪、惜しげなく笑顔の張り付いた端正なご尊顔に、天真爛漫な踊り子のような出で立ち。
身長はわりと小柄だけれど、窓の外を無表情に見つめる僕にも気さくに話しかけるあたり器の大きい女子だとは思う。
無視してやろうかと思い黙ってはいたが、僕が無言でいる間にも(多分)底なしのlikeの視線を当て続けられては流石に罪悪感のタンクが持たない。
こいつを見ていると、あの男を思い出すのだけれど。
「...なんか用?」
仕方ないので、返事だけはしておいてやる。
「うん。用は無いけれど、アレだね。今日も、...アレだね!」
先に言って置くけれど。
こいつは間違いなくクラスカースト一軍に入るコミュ力優等生であるが。
「クールだね!直樹クンって!」
間違いなくバカなのだ。
誰にでも臆面なく話しかける、声が通る、常に笑顔、そこそこ美人で可愛い、間違いなくモテる。
しかし考える力が無い。
何か用があって話しかけたわけではないハズだ。こいつ、佐々木 あかりの行くあてに僕がいたからこうなったのだろう。
何とも理解しがたいが、これほどの図太さを持っていればどこででも生きていけるはずだと確信出来る。
「悪いが、僕は今気分が悪いんだ」
それこそ、普通や平凡に辟易し過ぎて。
「何?大丈夫?...保健室行く?」
何なら勢いで自殺でもしそうなくらいに。
「いや、いい。ほっといてくれ」
飽きたんだ、このやり取りにも。
このあと、こいつは同級生の女子のもとへかけていくのだ。
「なぁんだ。つれないなぁ。...あっ!さくらちゃーん!」
佐々木副委員長は僕に興味を無くしたのか、知り合いの女子の元へかけていく。
僕はほっとしてまた、窓の外へ視線を移した。
......。
...あれ?
このやりとり、何度目だ?