第1話 溜息ディストーション
1.
季節はある夏の日、夏休みも間近にせまる7月のことである。
ミーンミンミンミン。
ジーリジリジリジリ...ミーンミンミンミン。
「......起きた」
水曜の午前6時55分。
本当ははまだ寝ていたい。
けれど、起きなきゃいけない。
常識のレールから外れるから。
「また...あの夢か」
壁で区切られた8畳半の空間をのっそりと抜け出し、登校用の鞄を持って、僕、佐藤直樹は朝食を摂るために一階のリビングへ向かう。
あぁ、さっきのはセミの声か。
ふぅん、...もう夏なんだなぁ。
トタ、トタトタ...キィ。
「おはよう、直樹。朝ごはん出来てるから、食べちゃいなさい」
台所から母さんが食事を促す。
「...おはよう、いただきます」
遅れた思考もほどほどに、食卓へ着いて食パンをかじりながら、テレビを点ける。
そこには近頃流行りのSNS発の女性タレントが映っていた。
ピンクや空色のパステルカラーに、目に刺さる黄色が混じりある意味毒々しいファッションを身に纏っている。
その風貌、印象は。
安易に作られたような人格、間違いなく"変わり者"にカテゴライズされるだろうキャラクター、若者ウケの良さそうな軽いスタイル。
僕はこういうの、嫌いだなぁ。
なんてことを思う一般人の心象など知る由も無いだろうが、そのタレントは嘘みたいな明るさで人気番組のインタビューに応答している。
そこに一瞬の...黒。
...!?!?
「...は!?何だ、この化物っ...?」
何だコレ、心霊現象...!?
突然の、不可思議な映像に声を荒らげる。
「もぉ、直樹。何言ってるの。失礼でしょう?こんな可愛い女の子に」
「いや、そうじゃなくてさ...!」
僕には視えたんだ。
テレビに映る女性タレントの顔から滲み出る...ドス黒い怪物の姿が。いやにハッキリと。
...幻覚か。
というか、心霊キャラなんて一番不確かだ。それに普通過ぎる。
SNSタレントのインタビューが終わると次は気象予報。
因みに、今日の気象は曇りのち晴れ、続いて豪雨となるらしい。...忙しない1日になりそうだ。
さっきの真っ黒な化物?怪物の姿はもう、映る気配がない。
朝食を摂り終えた僕は前日に準備しておいた、教科書類の入った鞄を持って家を出る。
この行動の主がもしも根っからの主人公気質であれば、ベッドの上でヒロインや妹に揺すり起こされ、遅刻スレスレの時間に家を飛び出し猛ダッシュ、その先で何らかのイベントが発生するんだろうけれど。
あいにく僕は、主人公じゃない。
「行ってきます」
「はぁい、行ってらっしゃい」
玄関のドアを開けると、視界には見慣れた住宅街が広がる。
直に聞こえる、蝉の声。
玄関上の屋根が作る濃い影を抜けると、強い日差しに目を細めさせられる...この感じ。
今日もただ普通に生きていくのか。多分、この先も。
そんなの億劫で仕方がないけれど、そこから抜け出すことは不可能なのだろう。
なんて
「だーれだっ!」
「やめろ幸一」
「ひゅーっ!流石直樹だ」
ドアを開け玄関を抜けて、僕の家の前。
塀の陰に隠れていた不審者に、いきなり目隠しをされた。
多分相当タチの悪いやつだろうから、そのままどこかへ誘拐されるのかと思ったのだけれど。
「いや分かるだろ。僕にこんなことするの、お前くらいだ」
「直樹、お前は学校へ行け!オレは玄関でがんばる!」
...まぁ、お茶目なやつだ。
おちゃめ男幸一。
もとい、鈴木幸一。
こいつとは幼馴染で、昔から何かにつけて行動を共にし、よくつるんでいる。その理由は親同士のよしみ...ありがちである。
白と黒が混同した髪の色、見るからに優れた容姿、関わる者全てに無条件で好印象を与える柔らかい物腰...僕とは違い、こいつは特別な人間らしいが。
「現場だろ、玄関で頑張ることってなんだ。ばか」
「へへ、分かってるじゃん。さてはこの前オレの貸したDVD観ただろ?」
「観てないし」
「面白かっただろ?」
「っ面白く...ていうかなんでここにいるんだよ、お前。学校行くのに向き反対だろ」
そうなのだ。
僕の家から学校へ向かう通学路の直線上に、こいつの家が存在する。
距離はそう遠くないのだけれど、やはり進路を逆行することになるから単純に手間だろう。
「いいの、いいの。今日はね。なんか嫌な予感がしたんだ」
「なんだそれ。...まぁ、いいけど。」
「てかさぁ直樹、今日のニュース見た?爆発の」
「爆発...?」
テレビに映る怪物なら見た...と言いかけたが、こいつの性格上、そういうのを話してしまうとやたらテンションが上がって面倒なことになるのでやめた。
「ああ、最近この辺りで多いらしいぜ。原因不明の事故とか。...幸い人身事故は起きていないみたいだけれど」
「ふぅん...そういうの、興味ないな」
「あー、こりゃまた失礼いたしましっ!」
「いや、大袈裟なのいいから。...ん、待て幸一。お前...課題忘れたな?」
「あ、バレたかっ!」
こいつが僕に対して何か面倒なことをするときは大抵何か魂胆がある。昔からずっと。
まぁそれはほとんどの場合、僕にとっても意味のあることに違いないのだけれど。...今回みたいなのはともかく。
全く、成績こそ評定平均9/10を優に上回る優等生のクセして、なんで高校の課題程度やろうとしないんだ。
...僕の評定平均?学年順位のピッタリ真ん中。そろそろ怖いだろ。
「ほら直樹。早く行かないと学校、遅刻するぞ?」
「...いいや。僕は歩いてもホームルームまでに10分ゆとりが持てるように家を出ることにしてるんだ」
...あとから思えば、ここが分岐点だったのだ。
この、2人の関係上分かりきった問答に一応の説明を受けた幸一の言葉が...その後の何気ない一言が。
僕の運命を平凡から突き落としたのかもしれない。急降下。...急浮上。
...幸一のことだ。何か意図があったのかもしれない。でも、このときの僕にはそれがわからなかった。
「全く。君は主人公らしくないよ」
「...は」
「はは、何だよそれ」
「いや、まぁ。うん...こっちの話」
「...ああ。幸一は確か、小説家志望だったっけ。そういうのに当てはめると...ってことか」
「まぁね。...なんていうか直樹は、うん。ふふ、何だろうね」
「何だよ。気持ち悪いな」
「...へへ。まぁ、後にわかるよ」
ー...直樹、君は真っ向から主人公に向いていない。
このとき幸一は、そういう風に言ったんだっけな。
「まぁいいや、早く行こうぜ。...知ってると思うけど、僕はギリギリってのが嫌いなんだ」
「おう!...じゃあ競争か?」
「しないぞ」
「...カタいなぁ。直樹は」
言葉の反面、幸一は"やっぱり"な色をちらつかせていた。...まぁ流石に、男子高校生が2人で学校まで駆けっこなんてするわけがない。
青春な小説じゃないんだから。
しかし今日に限って、この一連のやりとりも僕を苛つかせた。