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第10話 喧嘩して、見えるものがあるなら

11.

『ハハァッ、おぅけィ。D・ロード...展・開』


スケイルの背後から無数の黒い手が、空を泳ぐ(こい)のように伸び広がってゆく。そのそれぞれが伸び終えたシルエットはまるで、闇色の翼のようだった。


...すると一瞬だけ、身体にいくらかのGが加わった気がする。

スケイル曰く、この重力は簡易な時間操作によるもので、周囲の人間の思考や動きを極限まで制限するため、らしい。

やがてあたりは特有の空気感に包まれ、僕の体から何かが抜け落ちたような...スケイルが自立したのか。


『ふう。久々のシャバは空気が上手いぜェ...。ほぅら、アレが...あの不良の隔だ』


構えをとっている隼人の体から、赤黒い泥のようなものが夥しく滲み出て、ボトボトと地面に...零れ落ちる。

やがてそれは蒸発し、空中で新たに形成される。

赤黒い、見るからに(おぞ)ましい物質が凝縮されたそれは、...昔の隼人と同じ姿をしていた。


昔の隼人...。おとなしかった頃の、人畜無害で、凡庸で、当時の僕はそれをつまらないと感じていた頃の、隼人。

しかし目の前の当人よりも明らかに幼いそれは、まさに現在の隼人が好むような服装を...着こなせていなかった。

幼さゆえに不釣り合いなサイズのシャツ、ズボン。

それらはやっぱり着崩されていて、耳には金のピアスが開けられている。髪は脱色されて、塗りつぶすような白に染まっていた。

不恰好な過去の隼人を模した隔は上空で現実の人物と同じ構えを取り、僕らを待っているようだった。


対してスケイルは


『あちゃあ...不味ったか。まさかレア種のヒト型とはなァ...』


おいおい。ここへきて計画ご破綻なんて、やめてくれよ。


『...オレを誰だと思っている。ウルフェアの中でも特にこういった隔の駆除を得意とする、いわばこの道のスペシャリスト。スケイル様だぞ』


...お前のことなど知らん、余計な情報を与えるな。


『ったァく...お前は本当に可愛げが無いやつだ。...始めるぞ』


スケイルは複数の腕や手からなる不気味な翼を用いて上昇し、それぞれの腕が空を押し撫でることで目的の方向へ、そのままそれらが空気を押し潰す反動で無理やりに勢いをつけてー...!?

飛行方法に反して驚くほどの加速度で、(えもの)を見つけたカラスのように滑空していく。

その刹那、空間が軋むような鈍い音が聞こえたかと思うと、既に黒色は隔の目前だ。


...僕も、行く。

全部空にして...ただの自分で。

深呼吸...ふぅっ。


ー...ダァドッ!ーッ!!


短く息を吐き出し、足下で破裂する予想外の踏み切り音を置き去りに、僕は隼人へ猛突進をかける。

放たれた矢ように駆けていく。


約0.7秒。

僕と隼人の距離、10メートルが消失するまでの時間だ。

これが、隼人の感覚。


「なァー...っ!?はァッ!?!?」


...流石に驚いただろう、自分でも正直ヒいている。

何せ人間に出せる速度じゃない。

僕と隼人の距離は、僕が手を伸ばしてピッタリ0になるまで縮まっていた。

放つ拳は、必ず当たる。


「ぉぉぉおおォオオっ!!」


ボォウッ!!

一撃きり、後先なんて考えるヒマも無く。

接近の勢いをそのままに、滞在する空気を引き破るような...無茶苦茶なサイドブローが隼人の左頬を狙う。

特別な技を使わずとも、これなら一撃でゲームセットだ。


「ァ"ァ"ーッ!クソッがッ!!」


ゥ"ンッ!ドッ!!

僕の放ったアッパーブローは確かに隼人の右頬、...少しズレて右側の顎付近を直撃した。


続いて僕の視界には、隼人の右腕の(こう)の残像が映る。

...予想外に。

攻撃が成功していれば隼人の体はそのまま視界の向こうに押し出されるはずがー...


「しまっ...」


咄嗟に左腕を内に押し曲げて衝撃に備えるが、体勢が悪かった。

ボグゥッ!

衝突とともに、身体の中に鈍く小さな破裂音が響く。

左腕、前腕の骨が粉砕する音。


隼人はサイドブローを左頬に受けながら、押し出される向き・速度を打撃の威力と同じくし、その場で右脚を軸に回転、右の裏拳を繰り出したのだ。


物質はぶつかる速度が大きいほど、強大な破壊力を生む。


「ぅぐゔっーッ!?!」


左腕だけじゃない。隼人の裏拳が炸裂した箇所からミシミシと、長い感覚を経て身体全体が歪んでいくのを感じる。

体感時間にして、約12秒。

まるで大砲で射出されたみたいに、一瞬の衝撃を爆発的な跳躍力に変えて吹き飛ばされる。

ー...13メートルの水平飛行。


ドシャアッ!...ッッ!


僕の体は、何の威力吸収も無しに地面へ叩きつけられる。

動体視力が強化されたため相手の挙動を見逃すことは無かったが、戦闘経験の差は埋まらない。


「はァっー...がッ」


勢いよく背中から地面へ打ち付けられ、全身に大打撃を喰らう。

......ん。

視界に赤みが強く差し込む。

打ち所が悪かったのか、いくら頑張っても両手両足の指先ひとつも動かなくなってしまった。

おそらく地面への激突時、首への過大な負荷による一時的な全身麻痺。

勝ち目がー...無くなった。


「...まさかお前もこの力を持っているとはな」


「しかしこの喧嘩は早々に終わりみたいだ。...その怪我じゃ痛みでまともに動けないだろう...負けを認めろ」


隼人はじりじりと僕に近づき、降参を求める。

もし僕がこれに抵抗するようなら、もう何発か入れるつもりなのだろうか。

...それは嫌だ。

正直に言って、ここで早々に降参してもいいんじゃないか...実力差は歴然。

こんなのに勝てなくても、誰も僕を責められるはずがないと思う、


...のが、普通なんだろうけれど。


「直樹ィ、左腕を見てみろ。たった一発のパンチが当たっただけで、見るからに骨折...大量出血してんじゃねぇか」


見ると僕の左腕は本当に、濃い(あか)の絵の具を溶いたバケツに腕を突っ込んだように染められていた。

...こんな状態じゃ今すぐ身体の痺れが取れたとしても、もうまともに戦うことは叶わないだろう。

しかし状況とは裏腹に、僕はこの時点で...強烈な違和感を感じていた。

僕の身体から、ゆっくりと血の気が引いていくのを感じる。


「...それにな、お前が攻撃を喰らったのは偶然じゃない。はじめに距離をとった...あれくらいの距離があれば、先制にあるのは手の内を晒すデメリットだけだ。お前は開始と同時に負けてんだよ」


...僕に降参させるためだろう、隼人は僕の戦意を喪失させるような言葉を並べ立てる。

互いの距離は、あと半歩分にも満たない。

大怪我を負った左手を放り出して横たわる僕を前に、隼人は凶器の右脚を引き絞る。


「チッ...もう一発...」


ドグゥッッ!!


サッカーボールを蹴り飛ばすみたいに、隼人の足が、脚の付け根が直角になるように振り切る。

ー...人間に蹴りを当てて、驚く事に足が振り切ったのだ。ほとんど負荷も無く。

予想以上に重い蹴り、重力のかかる感じ。


バキバキバキィッ!!


おそらく、肋骨の砕ける音。

...もしかしたら背骨もヤバイかもしれない。


その蹴りは僕の右の脇腹から左の肋骨内側にまで皮膚を挟んで抉りこみ...どうやら僕を、上空へ蹴飛ばした。

遠目にスケイルの姿が見える。あっちの状況はもう、カタがついているようだった。


......いや、これは。

言葉にすればスケイルの圧勝だけれど、それ以外に見えようがないのだけれど。

一瞬見えたそれは、あまりにも残酷だった。

僕の姿が横目に映ったのか、スケイルが呟く。


『おいおい。なんだァ?そのザマはー...』


時間がねェぞ?


多分、そう聞こえた。

平らな地面(グラウンド)へ直下ー...衝突。

飛行の高度があったせいで、ゴム製の巨大ハンマーでぶん殴られたような衝撃が、脳天に突き刺さる。


「ぁぐうっっ!?」


チカチカッ。

視界が二、三回点滅する。


「ぁ"あ"ァっ...ぅぐっ...」


...なんとか、肢体を視認。

どうやら両腕がイカれたらしい、左右とも、骨折のお手本のようにぐにゃりと折れ曲がっている。

...辛うじて脚は動くようだけれど、多分、歩くことすら難しいだろう。


けれど、不思議だ。

...いや、当然と言ってしまっても良いかもしれない。


僕は今、平静なのだ。


両腕骨折、内臓破裂、...満身創痍。

言い並べると結構なことだけれど、決して良い並べでは無いのだけれど、明らかにこの状況...普通は耐えられるはずがない。本能的な危機を感じてしかるべき事態。

それでも僕が余裕を保っていられるのは、逆に焦りを感じることが出来ずにいるのは、

この状態にして...


"全く痛みを感じない"からだ。

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