第8話 僕にはもう一人、友人が居たはずだ
9.
「...あ」
向こうからはこちらの表情が見えないような立ち位置を保っているが、やはり異変に気付いたのか。そりゃそうだ。もしもこちらの音声だけに集中すれば、明らかに異常な会話になっているだろうから。
...いや、違う。見間違いだ。
以前にも見たことがある、以前は見なかったことにした。
あの眼は。あの、隼人の目は...間違いなく。
((助けを求める目だ))
...裏切ったんじゃない、仕方なかったんだ。僕が悪いんじゃない、この運命が悪いんだ。
言い訳して言い別けて生き別れた。...そんな過去を回想する。
......。
...それでも今なら。いまだからこそ、出来る。...償うわけじゃないけど。
...助けられる、はず。
""やり直し...たい""
そのとき、得体の知れない力に背中を押された。背中だけじゃない、脚も、腕も、体全体が。飛び出す、感覚的にわかった。
瞬間、僕の脚は目の前の幸一にぶつかる勢いで前へ伸びた。
幸一はそれを何なくよける。そのまま、まるで"邪魔しないように"とでも言いたげに教室の脇へ捌けていく。
「よくわかんないけど、頑張れ」
「...頑張る」
ぐんっ、ぐんっ。
1歩、2歩。3歩。まるでジェットコースターに乗っているみたいに、周りの景色が流れていく。前しか見えない...隼人しか。
まっすぐ。進む足は丁度、隼人の席の真ん前で歩みを止めた。
「なんだよ...。直樹」
「隼人、お前に用がある」
隼人の眼は不良そのものだった。気に入らないものを排斥し、来席する度に圧政し、周囲の雰囲気を圧制する。
眉間のシワ、両耳に開けられた金のピアスが、一層僕を威圧する。
ここで引き下がれない、理由は僕が持っている。
ドッ...ガシャンっ!!
僕は、思い切り隼人の机を蹴り飛ばした。
...中に何も入っていなかったのは幸いだったかもしれない、下手な罪悪感を背負いたくないからだ。
しかし、精神的にはこれで五分ー...
「...あァ"?」
ドッ、ドドッ...ドッッガァッガラガラガラガラッッ!!!
隼人の声、僕に何らかの、何発かの打撃が食い込む音、吹き飛んだ僕の身体が後方の机を突き崩す音。
聞こえたのは多分数秒前のことで、僕は今、血を吐きながら地面に伏している。
「何してくれてんだ...オイ」
そう言ったのは隼人、僕の視界に映る足と上履きも、隼人のものだ。
あぁ、漫画とかで見たことはあったけれど、腹部に強い打撃を受けると本当に血を吐くことがあるのか...内臓の血管が破裂したのか?
...普通の人生では決して実感できないことだ。
『バカか、お前は。もっとマトモな方法があるだろう』
スケイルか。煩い、口を挟むな。
お前は知らないだろうがな、日本では何があろうと先に手を出しちゃダメなんだよ。
少し、変な感じがする。
...苦しい。違う、気持ちが、じゃない。身体的に。
?おかしい、呼吸が出来ない。
痛い痛い痛い痛い、苦しい苦しい苦しい!!
「ーっ?」
口の中に血の臭いが濃く広がる。
『だからそういう問題じゃねぇんだ、阿呆。お前、ろっ骨が3本折れてて、それぞれが内臓に突き刺さっている。殴られた腹はもっと重傷だ』
『大人しそうなやつだから言う必要はないと思っていたがー...。ある程度の隔を持った被憑依者は、人間の枠を超える』
...それを本当に、先に言って欲しかったなぁ。と、また一つスケイルを嫌いになった...いや、これで最後かもしれない。何もかも。
...くそ。あまりにも色々が突然すぎて、この怪物に対する怒りすら湧いてこない。
『しかしまぁ、決闘を始める前で良かった』
?...どういう事だ?
『お前は元々、こういう事が出来る、される人間じゃない。つまりこれは起こりえない事態だ。お前のバカみたいに強靭な運命収束力とオレの力を併合すれば、この程度の怪我はすぐに無かったことに出来る。...そうだなァ、1分くらいはかかると思うが』
長ぇよ。それまでに僕が死んだらどうする。
...だからといって1分間、このまま苦痛に耐えているわけにも行くまい。
幸い打撃を受けた腹部自体は破裂していなかったようで、制服を着ているため外見的なダメージは吐血だけだ。
問題はここから。次は隼人の動向に気を配りつつ、何事も無かったかのように立ち上がり、そして言うんだ。そのために、まずは時間稼ぎ。
内臓により深く骨が刺さる感覚を感じつつ、無理やりに息を吸い込む。
「お前...前より...っ弱くなったんじゃねぇか。お前に...っ撲られたのははじめてだけど...前の方がもっとイイの...かませただろ」
その間隙に隼人の眼を掠め見る。
大丈夫、変わっちゃいない。
「なんだと...?」
隼人は信じられないといったふうだった。それは僕にか、隼人自身に対してかー...。
とにかくこれで、今のうちに。
僕は何事も無かったかのように立ち上がる、立ち上がろうとする。
脚は頼りにならず、側の机に体勢を依存しながら。
内臓は潰れ、体調も気分も最悪で。
呼吸さえままならないような悪条件の中、あろうことか虚勢を張らなければならないとは。
表面的な事情は違えど、これは隼人もー...?
このとき僕は、はじめて生の実感のを得たのかもしれない。
...なんとか...立てた。
...言わな、きゃ。
「隼人。...僕と...喧嘩、しようぜ」
言い終わるまで、息が持つか。
...二つの意味で。
「...場所は...グラウンド。制限時間を決めるとすれば...朝のHR...までっ...だ」
喧嘩。
その単語に、脊髄反射的に隼人の表情は険しさを増す。反面、僕を認識し余裕さえ入り混じる。
その中にはどこか疑問も感じ取れるのだけれど。
言うならば敵なしの自分に喧嘩を挑んでくるのは、さっき吹っ飛ばした...もっと言えば現時点で負かしたばかりの、幼馴染みなのだから。
疑問というか、気持ち悪さだろう。
得体の知れなさ。
しかし隼人は断れなかった、その立場から、この状況から、明確な拒否は出来なかった。
思わぬ深手は追ったにせよ、僕の狙いはここにあった。
引くに引けない状況にする。僕のような凡人でも、だてに普段考え事ばかりしていない。
「...いいけど。お前は...」
この緊迫した雰囲気の中でこういう表現はどうかと思うが、端的に表すとすれば、ドン引きだろう。
これは、今の隼人なりの最大限の気遣いか。
そんなものはいらない。
僕は僕の都合で...お前を助けたつもりになりたいだけだ。
そのためにかつての親友と血で血を洗おうと、構やしない。
...もう、声を出すのは限界だ。
僕は残った力で強く隼人を睨みつける。いわゆるメンチを切る、というやつだ。
まさか僕の人生にこんな機会があるとは思わなかったけれど、だいたいメンチを切ることには"威嚇"のほかに"挑発"の意味も含まれている。
この場合なら、"やれるもんならやってみろ"というところか。
「っ...いいだろう。...言っておくが最近の俺はすこぶる調子が良い。飛ぶ鳥を落とす勢いと言えど、俺の場合は掛け値なしに、飛ぶ鳥を素手で掴むことも不可能じゃない」
それはさっきの打撃で実際の痛みを伴って痛感している、あの感じならおそらく可能なのだろう。
こっちも掛け値なしに今、アネハヅルみたいに天高く飛んで行きそうだ...意識が。...ブラックジョークで返す場合ではないだろうけれど。隼人なりの再勧告か。
...それでも、僕は止まらない。
自分のために。
「なら...ぶっ壊してやる」




