戸惑い
今岡の姉が登場
今岡育は、自分の部屋でベッドに寝転がっていた。もちろん、万が一に備えて黒の四角いメタルフレーム眼鏡は外してある。
今日は休日で、テストに向けての勉強をしていたのだが、どうしても昨日の自分を思い出すと、頭がこんがらがってしまい、手が止まってしまうのだった。
「……はぁ──」
ぼーっと少しぼやけている天井を見つめていると、机のスマホが震えた。
起き上がって机に向かい、スマホを確認する。
上浦俊一からのラインだった。
『昨日、何かあった?』
「……何かっていうか……」
またベッドに戻り、座って返信する。
『特に何も』
『ならなんで帰ったんだよ』
『ごめん……』
『理由はよ』
「理由って言われても……」
と今岡は戸惑う。
「鳥塚肇にドキドキして、それを知られたくなかったから帰った」とは言えないので、とりあえず適当に返す。
『マンガが俺を呼んでたからさ!』
『嘘つけ』
「ですよねー……ああああああ──」
と今岡は叫んで、スマホを枕に投げつけて唸る。
「うーん……俺、ホモじゃ」
「あんた、ホモだったの?!」
バンッと勢いよく部屋のドアが開いて、ゆみが入ってくる。
「姉ちゃん?! 入ってくんなよ、てか聞き耳立ててんなよ……」
と今岡は頭を抱えてうなだれる。
ゆみは肩まである黒い髪をさらりと手で払ってから、ふふんと鼻を鳴らして言った。
「だって育の叫び声がしてきたから、遂に襲われたのかと思って……様子を見にね」
「誰に襲われるんだ……、しかもここ二階だし」
「甘い、甘いわよ育。二階だからこそ、身軽だけど筋肉質な男が窓から入ってきて、育のことを──」
「やめてくれる? 人のことネタにするの……」
と今岡は本当に嫌な顔をしてゆみを見る。
ゆみは悪びれもせず、ドアを閉めて机の椅子に座った。
「だって、それが生き甲斐なんだもん──それに、育の口からホモなんて言葉が出てきたもんだから、ちょっとテンション上がってね……!」
とゆみは頬を赤くして、両手で顔を挟みうっとりする。
今岡はうんざりして、大きく溜め息を吐いた。
ゆみはいわゆる、男同士の恋愛物を好む腐女子である。部屋の本棚には、普通のマンガに混じって、そういう本がずらりと並んでいるため、普通のマンガを借りようと初めて今岡が間違えて手に取った時は、思わず手から落としそうになった。
最近では萌えが足りないため、今岡が下になる話を妄想しては形にしている。
もちろん今岡は、そんなことを知るよしもない。
「……で、何で育はホモなんて言葉を口にしてたの?」
「え、いや……べつに……」
「あ、もしかして──友達を好きになっちゃってたりして?」
その言葉にドキリとして、今岡はしっかりしろ自分、と否定する。
「違うよ……、そんなんじゃない。ただ何となく、言ってみたというか、何というか……」
「ふーん。まあいいけどねー、読みたくなったら、いつでも部屋に借りにおいで。オススメ貸したげるから」
「お構いなく──!」
笑顔のゆみに速攻断ってから、今岡は一つの疑問を口にした。
「……そういえばさ、姉ちゃんはいつそういうのにハマったの?」
「え? あー、中三かな。友達にね、受験勉強で息抜きできるマンガ貸してって言ったら、そういう本でね。でも、驚くほど抵抗なく読めてさ、少女マンガと変わんないじゃんって──そりゃまあ、色々違うとこもあるけど……で、気づいたらこうなってたよね、うん。大学に入ったら同志もいっぱいいてさ、すぐ仲良くなれたし」
「悪いことばっかじゃないよ」とゆみは微笑む。
今岡も「そっか」と返した。
「それに……、育が彼氏を連れてきて家族がいない時にキャッキャウフフなんて展開になってたりしたら、お姉ちゃん凄い嬉しいよ?」
「うん、だから人をネタにすんなって」
「私、歓迎するから。お父さんお母さんが何と言おうとも、私は育のこと応援するからね?」
「人の話聞こうか──?!」
ゆみがどんどん話を進めるので、今岡はもう諦めて言う。
「姉ちゃんさ……、彼氏出来ないよ?」
「あー、いいのいいの。推しカプが幸せなら……。それで私は満足なの。あぁ、萌えのある生活──」
「素晴らしい……!」とゆみは目を閉じて微笑んだ。
それを聞いて、母さんたち悲しむよそれ……と思いながらも、今岡は黙っていた。
「……用がないなら、出てってくれない?」
それから机の椅子で遊びだしたゆみに向かって、今岡は迷惑そうに言う。
ゆみは椅子に座って回転していたのをピタッと止めて、大人しく椅子から下りた。
「はいはい、すいませんでしたねー」
とゆみはわざとらしく謝る。その時、
──ブブブブブブ、ブブブブブブ
と枕に放置していたスマホが、振動を始めた。さっきよりも長い。電話だった。
今岡は手で払う仕草をして、ゆみを部屋から追い出す。それからすぐに応答ボタンを押した。
「はい、もしもし?」
『……あ、今岡?』
「鳥塚?! なんで!? え?!」
とパニック状態になりながら画面をしっかりと確認するが、眼鏡をしていないから間違ったわけでもなく、上浦からのライン電話だった。
「お前──、上浦からパクったのか……?」
思わず今岡は、素朴な疑問を口にする。
『いや、違うから! 今一緒に居て……、それで貸して貰ってんだよ』
「あぁ。……何で?」
『あの、ライン交換してもらってもいいかって、訊こうと思って……』
と向こう側で鳥塚が口をもごもごするのがわかる。
そういえば交換してなかったか、と今岡は思った。
特に無くても問題なかったので、今まで気づかなかったが、鳥塚との連絡手段が何一つないのだ。あると言えば、高校の緊急連絡網ぐらいだろう。
『上浦から、教えてもらってもいい……?』
「あぁ、いいよ──」
てかラインで訊けば済むだろうに……と思いながらも、今岡は返事をした。
『マジで? やった──ありがと』
鳥塚が笑っているのが聞いて取れて、今岡は少し可笑しく思った。
「鳥塚──」
『ん?』
「昨日、無視っていうか……はぐらかしてごめん……」
『え? ぁ、あー……。いや……、全然気にしてないから』
「嘘つけ──」
思わず言ってしまってから、今岡は焦って取り消す。
「いや! 違っ……、今のは気にすんな! ちょっと言葉を選び間違えた! だから深い意味はない! じゃあまた学校で!」
『今──』
まだ鳥塚が何か言いたげだったのを、今岡は切ってスマホをまた枕に投げつけた。
それから自分の言った言葉を思い起こして、激しく後悔する。
「嘘つけって何だ……?! “俺は気にしてるのに、何でお前は気にしてないんだ”みたいな事になってないか!? どうした自分!? しっかりしろ俺──!」
と今岡はベッドに倒れ込み、拳を何回も打ちつけた。
そしてすっと動きを止めて、仰向けになる。
「……ほんと、何してんだ……」
そう呟いて、今岡はまたぼんやりと少しぼやけている天井を見つめるのだった──
ゆみ「ねえ育、男の娘に興味ある?」
今岡「ないけど?!」