腑に落ちない少女
一日の授業全てが終わり、教室に人が疎らになり始めた頃、ルウは自分の机の上に広げた白い紙をじっと見ていた。
そこに書き連ねられているのは今朝の事件の中心人物であるエーデマー・シャーミリオンについてをルウ自身が独自にまとめたものだ。
紙は彼の〝コア〟から得た情報や――コアの情報を引き出す魔法機械は個人単位では使えないが風紀委員という立場とリンギット家の名前を用いれば容易いことだった――、彼の知人から聞いた情報で埋め尽くされ黒々としていた。
「……まさか、本当にあってるなんて」
無意識のうちに言葉が落ちた。
並ぶ言葉の一部を見て、思わずため息。
警察の情報:二日前アクセサリーショップ『エコー』にて盗難発生
コアの情報:アクセサリーショップ『エコー』にてブレスレットを盗む
コアの情報:猫を惨殺。理由不明
ウォルター・カインズの証言:猫嫌い。上記に補足
コアの情報:幼少時代エヴリヴァ家の長女へ暴行
リリアン・エヴリヴァの証言:未入手。落ち着き次第証言を取る
サヤ・ナイツェルの証言:彼氏であるウォルターとは不仲。昨日はエーデマーと帰路についた。詳細不明
トリシェル・エイラの証言:エーデマーの浮気を疑い尾行。浮気確定とのこと。真偽不明
「……当たってるじゃない」
また一つ息を落とす。
この一角の情報は、今朝アキラが語ったものだった。
証言の正確さは不明だが、魔法機械によって吸い出されたコアの情報は間違いない。コアは人の心の具現で、嘘をつけるようなものではない。ちょうど、人の心が自分自身に嘘はつけないように。
そして、警察組織ポリツィアの情報も間違ってはいないだろう。
総合すると、アキラが言っていることは当たっている。
あの場を乗り切るためのでまかせかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
粛清するどころか、これでは彼に遅れをとっているような気がしてくる。ルウを悩ませる原因はこれだった。
鬱ぎ気味な気持ちのまま、自分の席の前を見る。
そこにあるのは無人のリリアンの席。机の横にある物かけには、まだリリアンの鞄が掛かっている。
あの騒ぎの後、錯乱状態になったリリアンはミツキに連れられ保健室へ行った。
無理もない。リリアンは自分の忌まわしい過去をエーデマーに――そして、申し訳なさそうにはしていたがアキラによって掘り返されたのだ。
ルウにはいまいち重い過去といったものに縁はないが、それを無理やり思い出させるというのは、想像以上に辛いものがあるのだろう。
そう考えるとやはりアキラに対し憤りを覚える。親友になんてことをしてくれるんだ、と。
風紀委員としてではなくリリアンの親友としてアキラに勝たねば、という考えが脳裏に過った。
同時に、扉を開く音が控えめに聞こえてきた。
「リリアン! 大丈夫なの!?」
「あ……ルウ。私は大丈夫……」
大丈夫、という言葉のわりには顔色が優れないような気がする。
しかしそれを伝えたところで大丈夫しか返って来ないので言わないでおこう。
リリアンは自分の椅子に腰掛けて、帰る支度をし始めた。
何から話すべきだろうか、とルウが迷っている間に、珍しくリリアンから話題を振ってきた。
「……保健室にね、アキラさん来たんだ」
「は!? あいつが!?
な、何かされてない!?」
動転。
リリアンから天敵の名前が出てきたことにも驚くが、それよりも彼が保健室に行ったことに意識が行ってしまう。
慌てるルウとは対照的に、リリアンは穏やかに笑っていた。
「私の様子を見に来てくれたの」
「はぁ!?」
「間接的であれ、傷つけたのは自分だからって……」
信じられないと言いたげにルウの口が開く。開いた口が塞がらない、とはまさしくこのことだろうか。
そんなことを知ってか知らずか、リリアンは笑みを浮かべたまま再び言葉を紡ぐ。
「アキラさん、甘いものが好きなんだって。もってきてたクッキー貰っちゃった。お兄さんが作ったんだって」
「た、食べたの? 毒とか薬とか入ってなかった!?」
「もう……ルウってば。アキラさんはそんな人じゃないよ。
確かに見た目はちょっと、目とか怖いけど……笑うとチェシャ猫みたいで可愛いし、話した感じはとても優しい人だったよ」
「チェシャ猫……?」
昔オルレアンで読んだ書物の中にそんな名前の猫が登場した気がする。
ルウの記憶でのチェシャ猫の笑みは『にやにやと耳から耳まで届くような笑顔』だ。あのアキラがそんな風に笑うとはまず考えられないし、笑ったとしても可愛いと思えない。リリアンの美的センスのズレを感じてしまう。
否、それよりも。
やはり腑に落ちない。
どれだけ〝あれ〟があの場に必要で、リリアンが〝あれ〟を許しても、彼はリリアンを――
「あいつは、リリアンの心の傷を抉ったのよ。
なんでそんな簡単に、あいつのことを許すの?」
問う。
その問いにリリアンは困ったように笑った。
一瞬の間を置いて。
「……それは、考えの相違じゃないかな?」
と、リリアン。
「確かに……傷を抉られたのは事実だけど。
私は……救われたんだ。過去に、私を傷つけたあの人のことを裁く……まではいかなくても、あの人の悪事を暴いてくれて……。
私はあの人のこと、怖くて覚えてなかった、というか忘れようとしていたけど、あの人のファミリーネーム聞いてハッとしたよ。
シャーミリオンってエヴリヴァと昔から親交があった家で、もしかしたら学外で再会することになってたかもしれないの。……そうなったら私、どうなってたか分からないから」
その言葉に含まれるふたつのニュアンスを、ルウは察した。
ひとつは、あのエーデマーに〝酷いこと〟をされるという未来。未だに理不尽な私刑がエヴリヴァ家へ行われているので、想像に難くない。
もうひとつは、リリアン自身が発狂する未来。覚えていない否、忘れようとしていたエーデマーと、もっと別の形――例えば生徒同士ではなく貴族の子同士として再会していれば、もしかすると封じていた記憶の扉が壊されて、それに心が耐えられずに精神を壊してしまうかもしれないということ。
察してしまえば、なにも言えなくなる。
黙り込んだルウに、とどめとばかりに一言。
「……救世主に、なってくれたんだよ、アキラさんは。
虐げられることも気にせずに、助けてくれたんだ。あの普通科の生徒さんと、私のことを」
憧憬とも、羨望とも、恍惚ともとれる目で、リリアンは窓の外の空を見つめていた。