話のなくならない少女と兄
「なんっ!」
一振り。
「なのっ!」
一振り。
「よっ!!」
一振り。
「あの男はぁぁぁ!!!!」
一振り。手に持っていた木刀が訓練用の丸太とぶつかる衝撃に耐えきれず折れる。
自らをアキラと名乗った普通科生徒とルウが出会ったその日の彼女は、荒れていた。天気で言えば大嵐、生物で言えば飢えた獅子と言ったところだろうか。
屋敷の庭の、ルウやルウの兄のために設けられた訓練用スペース。普段なら近くに執事なりメイドなりが控えているのだが、今日はルウが一人にしてくれと頼んだために誰もいなかった。
折れた木刀を投げ捨て、足元にあらかじめ用意しておいた予備の木刀を無言のまま左手で拾い上げる。そのまま木刀を流れるような動きで右手へと持ち替え、振りかぶって――
「おー、おー。荒れてるなぁ、ルウ」
「!」
振り切ることはなかった。
聞こえてきたのはルウにとって一番身近な声。
はじめて我に返って、声のした物陰を見る。庭の木に混ざりきれない群青が不自然に揺れ、姿を現した。
ルウの比較的直毛のツツジ色とは真逆と言ってもいい猫っ毛の群青の髪。瞳もまた全く似ていない、翡翠色をした切れ長の目。すべてルウの真反対を描いたような男だ。
ルウは彼を敬愛を込めて呼んだ。
「リューお兄ちゃん……!」
――そう。
ルウとは似ても似つかぬこの男は、ルウの兄である。名を、リューオン・リンギットと言う。
昔は聖ランデア学園風紀委員会委員長を努めていたこともある、聖ランデア学園護衛科――その名前の通り人や物、はては自分を守ることを想定とした授業が中心の学科である――の元生徒で、現在は国家警察機関である〝ポリツィア〟にて警部の地位を持っている。
猫っ毛の髪先を弄りながらルウに歩み寄る。右腕に巻いた包帯が何か嫌なものを連想させ、思わずルウは目を一瞬伏せた。
それに気づいてか、否か。リューはルウの頭を右手で軽く撫でた。
「わ、わ」
「何かあったのかー?」
「……まぁ、うん」
言うつもりはないが、聞かれたので答えておく。敬愛する兄を無下にするのも気が引けた。
どうせばれないだろう、と。
「コンプレックスのことでも突っ込まれたか?」
「な……っ!」
――ばれないだろう、とは思ったが、どうやらばれていたらしい。
なんで分かったの、と意味を込めた目線を投げかけてみれば、苦笑いを浮かべられた。
「ルウ、わかりやすいからなぁ……。
俺が今まで出会った人間の中でも屈指の分かり易さだぞ?」
「そんなことっ」
「あるんだなぁ、それが。
それに、何年お前の兄貴やってると思ってるんだよ?」
「そ、れは」
言葉に詰まる。
意識するな、とは言われてるが、意識しないでいられるわけがなかった。
――リューが実兄でない、なんて。
ルウが物心ついたころにはリューは〝兄〟だった。
それがルウにとっては当たり前だった。
しかし、リューは違ったのだ。リューはリンギットに引き取られた養子。
聞いた話ではリューオンの両親は行方不明で、今でもその捜索は続けられている。
当時九歳のリューオンは、両親に捨てられた。
食べ物も何もない家で衰弱しているところを、父であるエメルッツ・リンギットに保護され、今に至る。
その事件が絡む二人の間柄のせいで、ルウはこのような話題が苦手だった。
リュー自身がその話をよく振ってくるのは〝気にするな〟の表れなのだろうが、それでも気にしてしまう。
見兼ねたらしいリューが――元はと言えばリューがその話題を振ったわけだが――わざとらしく明るい声で言った。
「ついでにどんな人種がそのコンプレックスを言ったのかも言ってみせよーか」
「え」
「ルウの嫌いな……そうだな、普通科辺りの人間とか」
「……なんで当てちゃうの?」
「そりゃあ、ルウのことだから」
にっこり、人の良い笑顔を口元に描くリュー。
もしも義兄としてではなく別の形で出会っていたら、ときめきを覚えてもおかしくないかもしれないな、と一瞬考え、同時にまったく女の影が見えないリューに対して疑問を抱いた。
彼女の一人や二人いてもおかしくないはずなのに、何故年齢と彼女いない歴がイコールなのだろうか、と。
その理由など、ルウは知る由もない。
「……もう、兄さんのせいで訓練する気無くなっちゃったじゃない」
「女の子はお淑やかな方がいいと思うけどなぁ、俺は」
「私がお淑やかなんて、想像できるの?」
「んー……そうだな。とりあえず月の光の下でウエディングドレス着ている所までは想像出来る」
なぜそんな想像が出来るのか、少し問いたくなった。多分聞いてもはぐらかされるので何も言わないでおく。
代わりに喉をついたのは、リューの右腕のことだった。
「……その包帯どうしたの?」
「これか? ちょっと、めんどくさい案件を見ることになって。捜査中にやられたってだけさ」
「めんどくさい案件?」
おうむ返しで聞いてみる。
実力者のリューがめんどくさいと言い放つ案件とは一体なんなのだろうか。本当は聞くようなことでもないのだろうが、腕の怪我のことと重なって少し興味を抱いてしまった。
「……コアの破壊者たちの殲滅、ってやつ」
「……っ」
紡がれたのは、ヴァルツフート大陸における大罪者への〝粛清行為〟だった。