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俺と私の正義録!  作者: 音羽 狗音
プロローグ
3/18

静まらない憩いの広場

 聖ランデア学園の中央に位置する通称〝憩いの広場〟。本来ならばそこは生徒達の和やかな話し声で満ちているのだが、今日は違った。

 広場の中心を取り囲むように生徒が溢れかえっている。そこにいる生徒の顔色は様々だ。不安そうに中心に目をやるものもいれば、好奇の色でそこに目をやっているものもいる。

 生徒の間を縫うようにして、ルウはその中心へと近づいていく。最前列に見慣れた藍色の髪をひとつ見つけた時、中心から大きな声が響いた。


「謝れっつってんだろ!!」


「俺何にも悪いことしてねえから」


 ひとつは激昂した、もうひとつは酷く冷め切った声。それに反応するように野次馬(かんしゅう)の声が一際大きくなる。

 やっと最前列に出ることができたルウは、とりあえずと言った様子で当事者たちの姿を見た。

 激昂した声の持ち主はルウも何度か見たことのある生徒だった。同じ剣術科の、確か三年生。学年合同で剣技授業のとき、手合わせしたことがあった気がする。冷めた声の生徒は――


――瞬間、目があった。

 おぞましい程に澄み切り、しかし何処か暗い光を灯した、深い青味がかった水晶のような瞳。恐ろしいのに、綺麗な瞳。


 吸い込まれそうになって、ルウは思わず左手で剣の柄を握る。使命を忘れるな、と、何度も心の中で唱えながら、彼を観察しようと試みる。

 世界に飽きたような瞳と、それを顕著に表してるかのような漆黒の髪。制服は着崩し、首には十字架のついたチョーカーが鈍く輝いていた。

 怖い、と。素直にそう思った。しかし同時に、違和感も抱えながら。


 彼の視線がルウから外れる。そこでハッとして、野次馬を見渡した。

 これだけ人がいては面倒事になるのも時間の問題か、と脳裏によくない想像が沸き立って、思わずひとつため息。

 とにかく、どうしてこういう状況になったのかは知っておかなければならない――例えそれがどんな理由であれその殆どが普通科生徒の責任になるわけだが――ので、ルウは見慣れた藍色の短い髪を不安げに揺らす親友に声をかけた。


「何があったの、リリアン?」


「! ルウ……!!」


 ルウを初めて捉えたリリアンの茶に近い紅の瞳は恐怖に濡れていた。元々心優しいだが、それだけでここまで恐怖を露わにするだろうか。

 すぐにルウは察する。リリアンもこの事態の当事者なのだ、と。リリアンに野次馬根性なんてものは備わってない、なのに野次馬の一番前にいるということも加味すれば、恐らくそれは的中しているだろう。


「……私、帰ろうとしてて……そしたら、あの特殊科の三年生の人に話しかけられて……。

 困っている時に、普通科の三年生の人が……」


 しどろもどろに答えるリリアン。しかしそれを聞いているルウの心中は穏やかでない。

 親友が特殊科の生徒に軟派まがいなことを受けた上に、それを助けたのがルウらが嫌う普通科の生徒なのだから。せめて逆ならまだしも、何もかも気に食わなかった。

 しかしルウは深呼吸し、心を落ち着かせる。仕事をするために右手を携えた剣に添えた、その時。


「一度痛い目見るか、あぁ!?」


「――!」


 ルウが飛び出すより早く、剣術科の三年生は対峙する普通科の生徒に飛びかかった。

 いくら普通科の生徒が相手でも、止めなければ。〝普通科如きに力を振るうな〟と。風紀を守るために、止めなければ。


 ルウが逡巡したその時、小さく鈍い音がした。

 え、と小さく声を漏らしながらルウは剣術科の生徒が飛びかかったはずの普通科の生徒へと目線を移す。

 重なる二つの人影。ぴくりとも動かない二つだったが、やがて吐き捨てるような声がした。


「……やっちまったじゃねえか。めんどくせえ」


 普通科生徒の声。

 ルウがそう把握した時には、全て終わっていた。


 崩れていくように、普通科生徒に重なっていた剣術科三年生の体が倒れる。

 そうして露わになる普通科生徒の姿。彼は右手の拳を握り締めていた。左手はポケットの中に突っ込んだまま。

 ただ、それだけ。それだけで、彼は剣を持った剣術科の生徒を倒してしまった。


「何してるのッ!?」


「……あ?」


 何をしているもなにも、見たまま暴力沙汰ではあるのだろうが、無意識の内に叫んでいた。

 普通科生徒の、あの水晶のような瞳が再びルウを捉えた。おぞましいまでに澄んだその目は、瞬間、楽しげな光を灯す。しかしそれは一瞬で、彼は足元に(うずくま)る剣術科三年生に視線を落とした。


「……別にィ? ただの正当防衛」


「普通科生徒が特殊科生徒に手を上げていいと思ってるの!?」


「……」


 ゆっくり、普通科生徒の瞳がもう一度ルウへ。

 ただし、さっき迄とは違う様相で。

――鋭利な殺意を孕んだ、敵意の目が、ルウの心臓を貫く。

 ゾッとした。鋭利すぎてルウにしか突き刺さらないそれは、ルウの心に恐怖を簡単に植え付けた。


「……ッ!」


「へー……天下の風紀委員サマも〝そういう〟信念っつーわけかよ」


 思わず後退しそうになる自分の足を無理矢理地面に縫い付ける。

 微かな足音を響かせて近づいてくる彼。隣でリリアンが息を飲んだ気がした。水晶は、まだこちらを確実に捉えている。


「だから、めんどくせえ」


「ッ、来ないで!!」


 勢い良く剣を抜いた。その切っ先が普通科生徒の鼻先を掠めたが、皮一枚を少し裂いただけらしい。

 剣の先が再び鼻先に当たるか当たらないかのところで普通科の生徒は止まる。怯えてはいないらしく、毅然とした態度で彼はそこに立っていた。


「この学園で貴方たち普通科の生徒は権力を持ってないわ。あなたの処分は如何様(いかよう)にも出来るのよ」


「じゃあすればいいんじゃねえの。俺は別にどーでもいい」


 引かない。

 普通の生徒ならこれほど脅しをかければ引き下がるか謝るか、何らかの変化は見せているはずなのに。彼は引き下がるどころか、〝風紀委員会副委員長〟の地位を持つルウの、上に立とうとしている。


 粛清しなければ。

 風紀委員としての使命感が、正義感が、ルウを支配していく。

 普通科生徒への粛清は、必要だ。普通科生徒への、権力の提示。誰かが称した恐怖政治とは、よく言ったものだと思う。


 それでいい。分からせるのだ。分からせて、黙らせる。

 傷つけるつもりは更々ないが恐怖を植え付けるには必要だろうと、持った剣を引こうとした、その時。


「で。こんなもんを向けるのがお前らのやり方か」


「な、あ……!?」


 何が起こったのかわからなかった。

 少し遅れて、自分の持つ剣におかしな重みがかかっていることに気づく。力をどれだけ入れても、下へしたへと押しやられる、そんな重み。

 なにか、嫌なものが背筋を這ったような気がした。


「ひゃ、あ……!?」


 リリアンの声で我に返り、脳が全てを把握した。

 剣の刃を目でなぞっていくと、その先には赤。


「人を傷つけることにビビってるような奴がこんなもん人に向けてんじゃねーよ」


「……っ、う……!」


 刃を伝って柔らかな肉が食い込む感触がルウの掌を覆う。

 彼は何のためらいもなく――剣を握っていた。流れる血も気にしないというように、力強く。


 困惑した。混乱した。

 いくら剣術科といえど、いくらこの真剣がルウの〝心の具現〟であったとしても、本当に人を傷つけたことはない。傷つけるつもりだって、なかったのだ。

 なのに何故、自分の持つこの剣から赤が滴っているのか。


――自分のせいで、この赤は流れているのか?


「で、どーよ。風紀委員サマ? 剣を向けるっつーことは、こういうことなんだけど」


「どういう――」


 どういうこと。

 聞かずともわかった。こういう〝流血沙汰〟だろう。

 しかしそれは乱入してきた第三者によって憚られる。


「其処までだよ、二人とも」


「あ……」


「ミツキ先生……!」


「……ちっ、まためんどくせえ奴が来た」


 穏やかな笑みを貼り付けて、先生と呼ばれた彼は南の方角からやってきた。

 柔らかい金髪が傾き始めた陽の光を反射する。ルウは思わず剣のことを一瞬忘れ、その姿に見惚れてしまう。


 ミツキ・カゲシロ。

 貴族のルウとは違い、ミツキはワメイル共和国出身の平民である。そして、ルウのクラスの担任だ。

 剣術に関しての歴史は誰よりも詳しい。その知識量は、歴史のことに関してだけ言えば学園図書館の本を掻き集めたとしても、ミツキには敵わないと言われるほど。


 ミツキは自分のことを多くは語らない。クラスで一番ミツキを慕っていると思われるルウですら、知っていることは彼がワメイル共和国出身であるということと、かつてこの学園の剣術科にいたこと、そしてこの学園に現在彼の弟が通っているということだけ。

 それでも生徒と話をすること自体は好きなようで、生徒達からの評判は他の先生よりも頭一つ抜けて良い。


 彼以上に、生徒に対して親身になって話すような先生は見たことがない。だからこそ、ルウは微かな希望を抱いた。彼ならばこの普通科生徒を〝粛清〟することが出来るだろうと。

 そして同時に少しだけ、ほんの少しだけ煩わしかった。彼による〝粛清〟は多分、ルウのものとは違うからだ。普通科に対する、粛清は。


 形のいい唇が僅かに開く。何かを言ったようだが聞き取れなかった。

 え、と思わず聞き返してみると、ミツキはほんの少しだけ笑顔を浮かべる。


「リンギットさん、彼のことは僕に任せて。

 リンギットさんは……そうだね、ここの後始末と、エヴリヴァさんのこと、お願いできるかな?」


「え……あ、はい!」


 エヴリヴァ、と言われて一瞬困った。何処かで聞いたことあるような。

 それがリリアンの姓だと気づいて、思わず苦い顔をした。やってしまった、と。


 エヴリヴァ家。それがリリアンの生まれた家で、かつてはオルレアン帝国一の貴族だった一族。

 没落した理由をルウは詳しく知らなかったが、昔何処かで、エヴリヴァの中から犯罪者が出たから、と聞いたことはあった。


 それゆえ、リリアンは理不尽な目にあってきたという。

 その昔エヴリヴァと友好関係にあったはずの一族の子供に何度苦しめられてきたかわからないと、そう語るリリアンの瞳がひどく濁っていたのは、今でも鮮明に覚えている。


 それを聞いたのはリリアンと親しくなって間もない頃で、ルウの掲げる〝正義〟の一端もここにあると、ルウはそれとなく悟っていた。

 犯罪者がいなければ、リリアンは苦しまなくて済んだのに――と。


「あ、そーだ」


「……」


 普通科の生徒の声で現実に帰ってくる。

 彼はまたルウを見ていたものの、先ほどまで感じていたような恐怖やおぞましさは微塵も感じられなかった。イタズラ好きな猫のように、目元を綻ばせているようにすら見える。

 にぃっ、と口角をあげた彼に妙な違和感。誰かに似ているかもしれない。


 しかしそんな思案は彼が(きびす)を返しながら言った一言に全て吹き飛ばされてしまった。


「あんた、結構自分に自信持ってるみてーだけどさ。……作りもんの胸じゃー、しまいに飽きられるぜ? 偽乳(ニセチチ)さん」


「……はぁ!?」


「後俺にゃーアキラっつー名前があるから。あなたとか呼ばねえで、気色悪ィ」


 人のコンプレックスをそんなに楽しそうに言い当てる奴がいるか。

 しかも一応、ばれないように工夫はしていたのに。それでもばれた上に、公衆の面前で、そんなことを。


 知らぬ間に落ちていた右手に力を込めると、そこには確かな柄の感触。

 〝粛清〟、する。

 どんな手を使っても、どれだけ醜かろうと。

 あの普通科生徒には、特殊科との格の違いを教えてやらねばならん。


 自分自身の掲げる正義に、そう誓った。



――これが。

 アスコーネ王国貴族、警察の卵ルウリット・リンギットと

 ワメイル共和国平民、〝大罪人〟アキラ

 この二人の運命の歯車が、ゆっくり噛み合った瞬間だった。


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