穏やかでない校舎裏
「校内での暴力沙汰は取り締まりの対象ですよ」
ツツジ色の髪を揺らし、凛とした声を放課後の校舎裏に響き渡らせた。左腕に巻いた白の腕章は、ルウの〝風紀委員〟としての立場を無言のままに誇示している。
ルウリット・リンギット。アスコーネ王国出身の聖ランデア学園剣術科二年J組、風紀委員会副委員長にして、警察一家と名高い貴族リンギット家の長女。剣術科ということを象徴するように、その左腰には携えられた白銀の剣。
ルウの仕事は風紀委員として、また、リンギット家の長女として、この学園の治安を維持すること。そして彼女はそれを苦痛と感じたことは一度もない。
「喧嘩なんて、もっての外です。……ここで私が見つけていなかったら、どうなってたか分かりますよね?」
己の足元で正座する二人の男子生徒が一瞬身を強張らせた。ネクタイとタイピンからするとおそらく魔術科と武闘科の生徒だろうか。どちらにせよ、二年の女子に気迫負けしている姿はあまりにも情けない。
萎縮されてしまうと怒るに怒れない。ため息をひとつ落とすとそれに反応して男子生徒はまた肩を揺らす。
これでは話が進まないと考えて、ルウは二人に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。そしてその体制のまま、なるべく優しい声で言葉を紡いでみる。
「いいですか? あなた方は普通科の生徒ではありません。このランデア学園の、誇り高き特殊科の生徒なんです」
また男子生徒たちが言葉に反応する。しかしそれは先ほどまでと同じ理由、ルウへの畏怖ではなかった。
その反応を待っていた、とでも言うようにルウは言葉の続きを紡ぐ。
「聖ランデア学園。
ヴァルツフート大陸五大国の中心に立つその広大なこの学園は一学年につき千を優に超える生徒が学びのために通っています。
多国籍民が一同に介しているわけですから、価値観の相違や衝突は避けられないと、先生方や我々風紀委員、それに生徒会の方々もわかってます」
男子生徒は俯いたまま、ルウの言葉を神妙に聞いている。学園のことなど改めて説明されるまでもないが、それでもルウの言葉には有無を言わさぬような迫力が含まれていたのだ。風紀委員副委員長にして、警察貴族リンギットの少女としての、威厳が。
しかしそれだけが理由ではない。その説明をされるということは、ある〝レッテル〟が貼られる可能性があるということなのだ。
「このランデアに所縁のあるものが他の学校と相違点を挙げろと言われれば、そのほとんどが二つの点をあげます。さあ、ひとつめはなんだと思いますか?」
魔術科の生徒さん、と人差し指で右側の男子生徒を指差す。指名され一瞬怯んだものの、言葉を選ぶようにしてたどたどしく、魔術科の生徒は口を開いた。
「が……、学園が五大国の国境を跨ぐように大陸の中心に立っているから、五大国やその他の小国様々なところから人が集まるということ……。
ランデアの敷地内では国境は関係なくて……強いて言うならば、ランデア自体がひとつの国を形成しているようなもの……とか」
「はい、ご名答です。ではふたつめ、武闘科の生徒さん」
凛々しく固めた表情を崩さず、今度は左側の生徒を呼ぶ。魔術科の生徒よりも体格が良い武闘科の生徒だったが、ルウに対する態度は魔術科生徒のそれとなんら変わりはなく、どこか強気に出れないでいる。
それは今、ルウがこの二人よりも高い権力を持っていることを示していた。
「……膨大な数の学科があるということ、っすか? 学科が複数あること自体は珍しくもないっすけど、ランデアはその数が尋常じゃなくて……。
その数を把握している人はほとんどいなくて、生徒の間では『人の毛穴ほど』だとか『星の数を超える』だとかいう噂が広がるほど、とか。見分け方はタイピンっすけど、それを全て把握してる人間は多分いない……」
「はい、続けてください」
ルウの言葉の語尾がほんの少しキツくなった。ここからが本題、というような口調に武闘科の生徒が顔を上げる。
ひとつも表情を変えない。真剣な眼差しで、じっと二人を見つめる深紅の双眸。その瞳に吸い込まれそうになる恐怖を覚え、武闘科生徒は慌てて目を逸らした。
「学科は大雑把に分けると二つ……。『普通科』と『特殊科』。
特殊科の中で更に分類されていて、その中には剣技を磨くための『剣術科』、銃の授業に特化した『銃撃科』、一概に魔法とは言えないらしく細かく分岐してしまった『魔術科』『呪術科』『奇術科』、果てには人に仕えることを前提とした『執事科』といった変わり種、その他もろもろ。
……問題なのが『普通科』。その名の通り、何かに特化した学科と言うわけではない……わざわざランデアに通ってるのに、普通科を選んだ……」
武闘科生徒はその先の言葉を濁した。ここから先は、自分の口からそれを言うのを憚られた、というように。そして、その理由は至極簡単だ。
――特殊科生徒は普通科生徒を虐げている。そんなこと、特殊科生徒のうち誰が言えようか。
たとえば、普通科の生徒が教室の椅子に座っている時、後から入ってきた特殊科の生徒が椅子に座れない場合は、普通科の生徒が椅子から引き摺り下ろされる。無論、力尽くだ。そんな話――誰が言えるのだろう。
その答えはすぐ、ルウの口から紡がれることによって解決された。
「全てにおいて普通科生徒は特殊科生徒に逆らうことはできません。たとえそれがどれだけ特殊科生徒に非があるとしても、です。
逆らってしまえば、その後どうなるかはわからない。それに耐えきれず、退学した生徒もいます。入院した生徒もいました。それ程までに根強い思想で、そして先生方もそれを見て見ぬ振りで過ごしています。
……但し、特殊科同士での問題があった場合は我々風紀委員も生徒会も、先生方も放ってはおけません。それ相応の処罰を下させてもらいます。たとえば――普通科への〝降格〟、とか」
言い終えたルウはひとつ息を落とす。これだけの言葉がすらすらと出てくる自分に、ほんの少し呆れたからだ。
それはルウの頭にも、正座する男子生徒にもインプットされている知識。ルウが普通科の名前を出した途端彼らが反応したのは、このためだった。普通科と同レベルというレッテルを貼られることは、何としてでも避けるべきなのだから。
弱いものは助からない。
この世は階級社会。
弱いものに権利なんてない。
強いモノが救われ、弱いものは虐げられる世界。
そんな思想は、ルウがリンギット家に生まれた瞬間から植え付けられているものだ。警察一家だなんて名ばかりで。
――否、〝この世界の正義〟が、その程度のものだ。だからルウは、それを信じて疑わない。それが絶対的に普遍で、不変のもの。
普通科と並べられた悔しさからか、男子生徒の武闘科の方が下唇を噛んだ。それに気づいたルウは、満足そうに唇を歪めて立ち上がる。
「分かってくださったらいいんです。あなた方は優秀な特殊科の生徒。普通科の生徒の中に名を連ねたくないでしょう? だったら、今後このようなことがないようにお願いしますね」
「……はい」
「ありがとうございます」
ここで始めてルウが二人に向かって微笑みを浮かべる。その瞬間、その場の空気が少しだけ和らいだ。
ルウは自分の顔が絶世の美女とまでは行かなくてもそれなりに整っている方だと自負している。そしてそれを有効的に活用する方法を使いこなすことも彼女にとっては簡単なことだった。
怒ったあとは柔和に笑えばいい。そうすれば大抵の人間は自分に対して好意的な感情を抱いてくれる。おかげで自身に纏わる人間関係で悩むことは殆ど無かった。
あ、とルウが小さな声を漏らす。慌てたようにしゃがみ込み、視線を男子生徒二人に合わせた。
どうかしたのか、と顔を上げた男子生徒二人は息を詰まらせた。あまりにも近いその距離にルウの端正な顔があったから。
そんなことを知ってか知らずか、ルウはひとつ指を鳴らして口元を緩める。
「名前、お教えいただけますか? 一応仕事なので、貴方がたの名前を把握しておきたいんです」
なんだそんなことか。魔術科の方の生徒の顔に少し残念そうな色が映ったのは多分気のせいではない。
しかし彼らだけに時間を割くわけにはいかないルウ。放課後と言えど、やることは溜まりに溜まっているのだ。だから、その残念そうな色には触れない。
お願いできますか、と紡ごうとした、その時だった。
「風紀委員さん!」
「……うん?」
焦ったような女子生徒の声が左からした。
声の主は校舎の表からやってきたようで、やはり声と同じく焦りの表情を浮かべている。
白い腕章を見てルウを風紀委員と判断したらしい女子生徒はルウに歩み寄り、息を整えてから口を開いた。
「あの、来てくださいっ。広場で、普通科の生徒と特殊科の生徒が揉めてて……っ」
「……普通科の生徒が?」
意図せず、ルウの片眉が引きつった。条件反射とも言っていいスピードで、普通科という単語に嫌悪感を抱く。それだけ、ルウの中にある〝正義〟は根強いものだ。
なるべく、関わりたくはない。しかし特殊科の生徒が面倒事に巻き込まれるのは風紀委員としての使命感が許さない。
仕方ない、とため息と共に言葉を落として、腕章を一度握りしめ、広場へ向かって走り出した。