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前史その3 1999-2001

 着実に強化されていった尾道ジェミニFCだが、この時点では全国どこにでもあるサッカー愛好者の集いでしかなかった。そしてそういったチームが今もなおサッカー愛好者同士で楽しんでいるものが、なぜこの尾道だけが今プロのサッカークラブとなっているのか。その大きな答えがこの1999年にある。つまり土生(はぶ)健次(けんじ)の加入である。


 この土生もまた辻や岡野との個人的な繋がりから尾道に来た、あるいは戻ってきた。そもそも高校時代、彼らは同級生だったのだ。もちろん当時から土生の実力は強豪校だったサッカー部の中でも飛び抜けていて、卒業後は大学を経て広島や神戸でプレーしたのも当然だと誰もが認める天才選手だった。


 しかしそんな土生も34歳。しかもこの前年となる1998年は既存のプロクラブが合併によって消滅するなど経営危機が大きくクローズアップされた時期でもあった。それゆえに高いレベルで通用する実力は持っていても経営合理化のために行き場を失ったベテランは彼に限らず多かった。


 土生も一度はサッカーから完全に離れる決意を胸に故郷尾道へと帰ってきた。そこに旧友として顔を見せた辻と岡野が今は自分達のサッカーチームを持っている事、そして将来はプロにまで育てたいという野心を初めて打ち明けた。


「俺には夢がある。我らが故郷、尾道発のプロサッカークラブを立ち上げるという夢だ。そのためにはケンちゃん、君の力が必要なんだ。高校時代、俺達は土生健次という天才にプロサッカー選手になってほしいという夢を託した。それからの君の軌跡、プロでの活躍を見るたびにこんな素晴らしい男とともに生きて来られた誇りを感じてきた。そして今、ケンちゃんは尾道に帰ってきた。この瞬間を俺は、俺達は扉の鍵を開けて待っていたんだよ、ずっと! その才能をこれからは尾道の、備後のサッカー界に還元してほしいんだ!」


 その熱い友情に打たれた土生は、ためらいなくイエスの返事を寄越した。土生は選手兼監督としてチームの絶対者として君臨する一方、サッカー雑誌などで「尾道のこの小さなサッカーチームをプロに押し上げる」と事あるごとに明言するなど広告塔としても大奮闘。スポンサー集めに辻や林らと同行して頭を下げる模様がドキュメンタリー番組で報道されるなど、着実に知名度を高めつつあった。


 無論、サッカーの実力も飛躍的に向上していった。まず土生からして県や地域リーグレベルではとても歯が立たないハイレベルな実力者だったし、その土生のスカウトや評判を聞きつけて優秀選手が集まるなどして一気に強化。一方でそれまでの選手にはとてもついていけない世界へとあっという間に突入していった。


 またチーム創設者の一人だった岡野佑一郎がこの時期、本業に専念するためチームから身を引くという重大な別れもあった。逆に辻は経営者に専念し、林がその右腕としてGM的な役割を受け持つようになった。




1999


 まさしく第二の誕生と呼べる土生加入。この年に関してはこれがアルファでありオメガだった。井上が怪我のため退団し、また直江(なおえ)大樹(ひろき)飯塚(いいづか)慶太(けいた)という高校生が加入したが戦力としては計算出来るものではなかった。


 結局戦力と呼べるのは土生だけだったが、それだけで十分だった。前年神戸で29試合、加えてシーズンの終わりに開催されたJ1参入決定戦にも出場というバリバリの主力だった男がいきなり県リーグ二部に登場したのだから、止められるはずもなかった。


 というわけでこの年の基本的なスタメンは以下の通り。土生は一応ボランチという事になっているが一人で攻撃も守備も全部こなせる超人として君臨した。やろうと思えば単独で点を取るのも容易いが、パスを出せば他の選手の動きがぐっと良くなるし、指示を出せばそれだけで守備が固くなる。あまりにもレベルが違うので、対戦相手も悔しがる以前に感動していた。


GK 22 豊田晃

DF  4 小口久志

DF  5 金山誠

DF  3 新本敦

DF  2 森西敏伸

MF 30 土生健次

MF 17 山本勝人

MF 18 山本哲司

MF 13 森島大輔

FW 21 中郷六郎

FW 23 中山輝明




2000


加入


首脳陣


GK


1 野呂(のろ)文一(ふみかず) 23歳 山口アスレチック

31 田辺(たなべ)龍之介(りゅうのすけ) 37歳 神戸


DF


4 出雲(いずも)哲也(てつや) 24歳 仙台

12 (さかい)永時(えいじ) 23歳 宇品FC

16 新垣(あらかき)俊則(としのり) 26歳 宇部石油

19 (はま)雄一郎(ゆういちろう) 18歳 山陽工業高


MF


6 栗崎(くりさき)雄二(ゆうじ) 25歳 川崎

7 山奥(やまおく)信次(しんじ) 36歳 呉ロジスティクス

8 野村(のむら)尊之(たかゆき) 28歳 大分

10 モハメド(Mohamed) 27歳 幸波造船

18 小路(しょうじ)(さとし) 18歳 緑井高


FW


9 奥田(おくだ)雅道(まさみち) 19歳 宇品FC

15 小林(こばやし)拓馬(たくま) 22歳 岡山技術大

20 杉山(すぎやま)勝喜(かつよし) 22歳 門司大




退団


首脳陣


辻直広 フロント専念

岡野佑一郎 社業専念

円福寺義丈 新チーム立ち上げ


GK


松本圭輔 引退

谷山慎一 円福寺の新チーム移籍


DF


山根和博 円福寺の新チーム移籍


MF


辻直広 引退

岡野佑一郎 引退

堀秀平 引退

沢田礼司 引退

寺田吉政 引退

山本勝人 円福寺の新チーム移籍

山本哲司 円福寺の新チーム移籍

平田純 円福寺の新チーム移籍


FW


佐々木光一 円福寺の新チーム移籍

林淳一 コーチ専念


背番号変更


4→17 小口久志



 引退していた元プロの田辺をコーチ兼任で復帰させるなど土生が己のコネクションを最大限に活用して、また近隣の有力選手を林を中心としたフロント陣が口説き落とすなどして大量の実力者が加入した。この年以降は人数が多すぎるので冒頭に増減表も掲載する。


 選手も一気に入れ替わったが、首脳陣もまた激動であった。それまでは辻岡野コンビに加えて、レッドウォーリアーズ合流以降は円福寺も指導に加わり、年上という事もあって存在感はぐんぐん増して辻岡野派か円福寺派かといった組分けさえ生まれつつあった。


 それだけ人が増えた証拠ではあるのでありがたいと言えばありがたい話ではある。しかしそれで新加入選手はどっちの派閥に属するかなどというつまらない争いまで発生しつつあったとなると害悪となってくる。最終的な目的のためにはこういった問題で足踏みしてはいけない。それを一気に解消させるため、辻は乾坤一擲の賭けに出た。それが土生加入だった。


 その目論見は見事に当たり、それまでの派閥は一瞬にして吹き飛んだ。これ以降の尾道ジェミニFCは明確にプロ化を目指すべく組織を整えていく中で辻が社長として経営に専念し、現場は土生や右腕の田辺を中心に回していく体制を整えた。一方で岡野は本職に復帰、円福寺は新たにチームを立ち上げて山本兄弟ら退団選手数人もそれに追随した。この新チーム、尾道スカイレットは現在も活動を続けている。


 こういった流れも含めて20世紀最後の年は未だジェミニFCでありながら現在のジェミルダートまで直接的に繋がる道筋が築かれた一年であった。


 そんな年の基本的なスタメンは以下の通り。前年のスタメンから引き続き名を連ねているのが土生だけという異様なまでの大変貌を遂げている。土生以前の選手で多少たりとも試合に絡めたのは中山と中郷ぐらいで、あんなに安定していた豊田さえベンチ入りすらままならなくなったのだからまさしく新生だ。


 出雲、野村、栗崎といった元プロ選手に加えてプロからも注目されていた浜、小路、小林、杉山といった極めて優秀な学生選手が絡み、その実力は県リーグレベルを遥かに超越していた。シンガポール人モハメドも忘れがたい。元々出稼ぎで日本に来ていたのでこの1年だけで帰国したが、続けていればプロにもなれたと言われる幻のテクニシャンだった。


GK 31 田辺龍之介

DF  4 出雲哲也

DF 12 堺永時

DF 19 浜雄一郎

MF 30 土生健次

MF  8 野村尊之

MF 18 小路智

MF 10 モハメド

FW  9 奥田誠道

FW 20 杉山勝喜

FW 15 小林拓馬




2001


加入


首脳陣


GK


17 渡辺(わたなべ)博秋(ひろあき) 18歳 呉学園高


DF


2 野島(のじま)大進(だいしん) 22歳 広島教育大

12 (むかい)(けん) 20歳 ピジョンズ

16 浅井(あさい)大和(やまと) 27歳 倉敷繊維

21 井上(いのうえ)知重(ともしげ) 18歳 今治高


MF


5 石森(いしもり)正大(まさひろ) 25歳 大宮

7 糸川(いとがわ)公平(こうへい) 26歳 新潟電力

13 小玉(こだま)泰建(やすたけ) 22歳 広島教育大

24 山田(やまだ)哲三(てつぞう) 18歳 大山西高


FW


19 加藤(かとう)(つとむ) 18歳 下松商業高

20 片本(かたもと)太一(たいち) 23歳 水戸



退団


首脳陣


GK


DF


森西敏伸 県リーグ移籍

新本敦 引退

金山誠 円福寺チーム移籍

堺永時 AS豊橋

新垣俊則 引退

飯塚慶太 円福寺チーム移籍


MF


山奥信次 コーチ専念

モハメド シンガポール帰国

森島大輔 県リーグ移籍

直江大樹 円福寺チーム移籍


FW


背番号変更


19→3 浜雄一郎

20→10 杉山勝喜


 地域リーグでも引き続き絶好調で、無敗で優勝を飾った。その勢いに乗じて昇格最大の関門とも呼ばれる地決も1年で突破した。これは本当に凄い事だ。


 この年の基本的なスタメンは以下の通り。地味にこの年からダブルボランチに変更されており、去年土生不出場時にボランチを埋めたのは技巧派の栗崎とタフな石森という元プロコンビ。さすがの力量を発揮し、極めて強力な守備網が形成された。土生はより前線にポジションを移したが相変わらず圧倒的な実力。ただ選手専任ではなく監督であり強化部長、広報部長の役割までも事実上兼任する多忙ゆえに運動量はやや落ちつつあった。


 昨年ほとんどの試合で採用された3-4-3から3-5-2のフォーメーションが多用されたのは土生の圧倒的支配力が落ち着いたので人数で補おうという発想もある。しかしそれ以上に最前線に片本という人材を得たのが大きかった。


 片本は所属していたクラブの財政難ゆえに契約満了となった選手で、二部チームからのオファーを蹴ってまで尾道に加入した男。前評判通りの暴れっぷりは鮮やかだった。そのサポート役として体格のある中郷が抜擢された。ポストプレー、囮役、前線でのチェイスなどフォワードでありながら得点に関わらない、地味な役割を淡々とこなす姿は元プロ以上にプロらしく見えた。


 なお後の目から見るとこの年最大の掘り出し物は山田哲三という事になるが、この当時の山田は4人加わった高卒新人の中の一人に過ぎない。元々は二列目だったが豊富な運動量を買われてサイドハーフに挑戦、しかし鋭さに欠けて出番はほとんどなかった。この下手な若手が20年もチーム一筋を貫くとは誰も予想できなかっただろう。


GK 31 田辺龍之介

DF  4 出雲哲也

DF  2 野島大進

DF  3 浜雄一郎

MF  5 石森正大

MF  6 栗崎雄二

MF  8 野村尊之

MF 18 小路智

MF 30 土生健次

FW 20 片本太一

FW 11 中郷六郎

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