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前史その1 1993-1995

 辻直広と岡野佑一郎は幼馴染である。幼稚園の頃から高校まで同級生として同じ場所で学び、ともに小学3年生になった時サッカー部に入ってその競技の力量のみならず人間としても大きく成長していった。高校は地元では一番の強豪に入って、惜しくも全国出場は逃したものの頼れる仲間達とともに充実した時を過ごした。


 高校卒業後はそれぞれの道に進んだが、最終的には故郷である尾道に就職してずっと親友のままでいた。しかし話題の中心はどうしても今立ち向かっている仕事となっていった。サッカーは青春の1ページとして懐かしがりはするものの、少しずつ遠ざかっていたのを仕方ないと思いつつそれ以上に惜しんでもいた。


 そんな日々を繰り返す中で、お互いの生活もかなり安定してきた。時はバブルの残り香も芳しき1990年代前半。折しも当時の日本はリーグのプロ化が進み、日本代表も優秀な監督就任を期に一気に成績が向上するなどして空前のサッカーブームが到来しつつあった。その熱気の発端がこの尾道でも開催されたアジアカップだったのもまた眠っていたはずのハートに火を点けた。


「しかしやるもんだなあ日本代表。今までとは本当に違う気がするぜ」

「そうだな。これからもっと強くなっていくんだって、手応えがある。ああいうの見せられるとなんだかあの頃の情熱を思い出すよな」

「実は俺もそう思ってたところなんだよ。そうだ佑ちゃん、久々に同じユニフォームを着てサッカーやろうぜ」

「そうだな直やん。でもどうせやるならいっそ俺達で新しいチーム作ろうじゃないか。最近職場でもサッカーの話題が増えてきたし、やりたい奴も結構いるからそいつらも引き連れて」

「それいいな! ユニフォームとかもバシッと格好良いのにしてさ!」

「今ならチーム名も決めたい放題!」


 後に辻がこのように回想して岡野も「大体そんな感じだったね。じっくり考えてのビジネスじゃなくてその場の勢いで一気に決まった」と肯定していたが、ともあれどちらが先に言い出したかと問われると「同時に」としか答えられないないほどに二人の気持ちは一致していた。そしてそうと決まったからには後は行動あるのみ。一気に選手勧誘の旅が始まった。1992年末の事であった。


 辻は近所の仲間を片っ端から勧誘して大岡亨、寺田吉政、平田健、林淳一の首を縦に振らせた。岡野は勤務先の幸波造船から松本圭輔、神原和久、村上武男をスカウト。またサッカー雑誌を使っての選手募集に応じた新本敦、赤川昌人、松田文也も加わった。


 そこから赤川が大学の後輩である藤井省吾を、神原が息子の神原辰馬を呼び寄せて最初の14人は集まった。チーム名は尾道グリーンブレーブス。辻の好きな色である緑色と、岡野が好きだったプロ野球チームの名前を合わせたものである。


GK

18 松本(まつもと)圭輔(けいすけ) 25歳 造船業


DF

4 大岡(おおおか)(とおる) 31歳 僧侶

5 藤井(ふじい)省吾(しょうご) 19歳 大学生

17 新本(しんもと)(あつし) 24歳 アパレルショップ店員

40 神原(かんばら)和久(かずひさ) 40歳 造船業


MF

1 平田(ひらた)(けん) 26歳 酒屋

6 赤川(あかがわ)昌人(まさひと) 20歳 大学生

10 (つじ)直広(なおひろ) 28歳 銀行員

11 岡野(おかの)佑一郎(ゆういちろう) 28歳 造船業

15 寺田(てらだ)吉政(よしまさ) 22歳 釣具屋


FW

00 神原(かんばら)辰馬(たつま) 14歳 中学生

2 (はやし)淳一(じゅんいち) 23歳 農協職員

8 村上(むらかみ)武男(たけお) 34歳 造船業

29 松田(まつだ)文也(ふみや) 27歳 郵便局員


 このグリーンブレーブス時代はまさしくサッカー愛好者が集まって楽しくプレーするためのチームであった。新加入選手もほとんどが個人的な親友だとか先輩後輩といったコネありきだったが、それで全く問題はなかった。まさかここからプロ化するとは辻岡野林らも含めて誰も思っていなかっただろうから。


 以前辻はインタビューで「グリーンブレーブスを設立した時点でプロ化を目論んでいた、と言えば格好つけすぎになる」と語っている。後にプロ化を推し進めた最右翼である辻でさえこうなのだから他の選手は言わずもがなであろう。




1993


 この時期の基本的なフォーメーションは以下の通り。とは言うもののポジションなどあってないようなもので、そもそも試合ごとに「その日は仕事があるから」「家族で広島まで野球観戦に行くから」などそれぞれがそれぞれの理由でメンバーの増減があるのだから、固定したチームなど組めるはずもなかった。はっきり言って草サッカーそのものである。


 選手の技量を大雑把に分けると最上位が大岡新本寺田、それに続くのが辻岡野村上、一般的な高校サッカー部員レベルが神原父藤井平田林、ほぼ一般人レベルが松本赤川松田神原子といった順番になる。実力上位の選手こそ率先して下とは異なるポジションを担っていた。例えばゴールキーパーに関しては松本不在時に大岡や神原父が務めた試合があると判明している。それと背番号に関しては、基本的には各々が好きな数字を選んでいる。この傾向は当分続く。


GK 18 松本圭輔

DF 40 神原和久

DF  4 大岡亨

DF 17 新本敦

DF  5 藤井省吾

MF 15 寺田吉政

MF 10 辻直広

MF 11 岡野佑一郎

MF  1 平田健

FW  8 村上武男

FW  2 林淳一




1994


 平田が退団し、辻岡野の親友だったが前年は既存の別チームに所属していた沢田(さわだ)礼司(れいじ)が加入し、その抜群のテクニックでゲームメーカーに定着。また40歳の神原に無理はさせられないという事で藤井の後輩である小口(こぐち)久志(ひさし)、キーパー一人じゃきついので寺田の中学時代の同級生だった野川(のがわ)克彦(かつひこ)が参加した。小口は体力がありなかなかの働きを見せた。


 そんな年の基本的なスタメンは以下の通り。とは言えこの年もポジションは流動的だった。そもそも選手の数だってまだまだ多くないし力量もバラバラ。それでも気心の知れた仲間達とサッカーをするだけで楽しい。グリーンブレーブスとはそういうチームだった。


GK  1 松本圭輔

DF 33 小口久志

DF  4 大岡亨

DF 17 新本敦

DF  5 藤井省吾

MF 15 寺田吉政

MF 10 辻直広

MF 11 岡野佑一郎

MF 12 沢田礼司

FW  8 村上武男

FW  2 林淳一




1995


 寺田と松田は仕事が忙しくなったので、赤川は大学を卒業して大阪へ就職したためそれぞれ退団。代わりにこれまた辻岡野の友人だった(ほり)秀平(しゅうへい)が帰郷に際してチームに加わった。森島(もりしま)大輔(だいすけ)佐々木(ささき)光一(こういち)は職場において岡野の後輩として配属された新人で、ともに大学までサッカーを続けてきた有望株。それと藤井の後輩(せき)利永(としなが)も参加した。明るい性格の藤井は地元でやたらと顔が広く、選手として以上に仲間集めに欠かせない存在だった。


 そんな年の基本的なスタメンは以下の通り。高齢ゆえにフル稼働が難しくなった村上と選手としてそこまでの力量はなかった林に代わって佐々木森島の新人俊足ツートップが新たなオフェンスの核に定着した。同級生カルテットの安定感も高かった。この年あたりから比較的ポジションが固定されて、サッカーチームらしくなってきた。


GK  1 松本圭輔

DF  3 小口久志

DF  4 大岡亨

DF 17 新本敦

DF  5 藤井省吾

MF 13 堀秀平

MF 10 辻直広

MF 11 岡野佑一郎

MF 12 沢田礼司

FW 22 佐々木光一

FW  7 森島大輔

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