猫のコンプライアンス違反
従業員のストレス軽減と士気向上を目的に導入された「社内癒やし推進員」制度。その初代推進員に抜擢された三毛猫のたまは、愛くるしい容姿と愛嬌で瞬く間に社内のアイドルとなった。しかし、その圧倒的な権力を前に、企業の規範を揺るがす前代未聞の危機が迫っていた
「おい大河原君」
「おい大河原君」
部長の重々しい声が、静まり返った会議室に響き渡った。平社員の大河原は、背筋をピンと伸ばして「はいっ」と緊張した声を上げた。
「君の部署で重大なコンプライアンス違反が発生したという報告が入っている。自覚はあるか?」
「えっ……コンプラ違反ですか? サービス残業もハラスメントも徹底して防止しているはずですが……」
冷や汗を流す大河原の前に、部長は一冊の「業務日誌」と、一枚の写真を叩きつけた。写真に写っているのは、総務部のデスクの特等席で堂々と丸くなり、キーボードを枕にして爆睡する一匹の三毛猫である。名札には『社内癒やし推進員:たま』と書かれていた。
「この『たま員』の勤怠管理と行動規範についてだ」
部長は眼鏡の奥の目を光らせ、指で追うように違反項目を読み上げ始めた。
「まず第一に**『過度なスキンシップの要求』**だ。今朝、取締役が廊下を歩いていたところ、たま員が足元にスリスリと体を押し付け、腹を見せて転がったそうだ。これは明確な『ハニートラップおよび業務妨害』にあたる。取締役はメロメロになって役員会議に15分遅刻した」
「あ、あれはただの挨拶で……」
「言い訳は無用! さらに第二の違反、**『ハラスメント行為』**だ」
部長は声を潜め、深刻な顔で続けた。
「昨日、経理部の佐藤さんが重要書類を作成している最中、たま員はキーボードの上に乗り、正確に『sssssssss』と連打した挙句、マウスを床に叩き落とした。佐藤さんは『可愛いから許すしかない』と精神的不可避状態に追い込まれている。職権乱用だ」
「職権というか、ただの猫の気まぐれでは……」
「最後に最大の違反、**『贈収賄の疑い』**だ! 営業第二課の田中君から高級チュールを受け取り、その見返りとして彼だけに優先的に膝の上を解放したという目撃情報がある。我が社は無体策な利益供与を一切認めていない!」
大河原は頭を抱えた。「部長、たまは猫です! コンプライアンスなんて理解できるわけがありません!」
「ルールはルールだ!」部長は机をドンと叩いた。「人事部としては、たま員に対して『自宅待機処分』または『おやつ減給1ヶ月』の厳罰を下す予定だ。直属の上司である君から、本人にしかと申し渡すように!」
「そんな……」
その時、会議室のドアが「ガラッ」と開き、三毛猫のたまが「ニャ〜」と間の抜けた声を上げて入ってきた。
たまは威厳に満ちた部長の足元へトコトコと歩み寄ると、靴の先頭に頭を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、仰向けになってふわふわのお腹を丸出しにした。
会議室に、深い静寂が訪れる。
部長の顔がじわじわと赤くなり、目元が緩み、固く結ばれていた唇が「ひゅっ」と小さな音を立てた。
「……部長?」大河原が恐る恐る声をかける。
部長はガタガタと震える手でポケットから猫用カリカリを取り出し、震える声でつぶやいた。
「……今回に限り、口頭注意にとどめる。大河原君、この件は他言無用だ」
こうして、我が社のコンプライアンスは、一匹の猫の「あざとい一首」によってあっけなく崩壊したのだった。
【了】
お読みいただきありがとうございました!
どれほど厳格な企業ルールも、猫の「モフモフお腹オープン」の前には無力でした。たま員のハニートラップや贈収賄行為は、今後も社内で拡大していく予定です。
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