禁忌蘇生体
第9話 禁忌蘇生体
灰枝へ戻るまで、誰も口を開かなかった。
N3からの追跡を撒くために、谷を三つ回り、川を一度渡った。
息が上がるたび、視界の端でログが滲む。
`[RISK] PURSUIT PROBABILITY: HIGH`
`[COG] IDENTITY CONFLICT: ACTIVE`
診療所の裏口へ滑り込んだときには、もう夜だった。
ルドが戸に閂を落とす。ミアが窓布を二重に張る。
「時間を稼ぐ」
それだけ言って、三人で机を囲んだ。
N3で写し取ったログ片、カルテ、封蝋片。証拠は揃っている。問題は、揃いすぎていることだ。
先に来たのは、神聖国家だった。
戸を叩く音は三回、一定間隔。軍ではなく役所の叩き方だ。
外から落ち着いた声。
「封印管理局のレインです。対象個体へ通告します」
ミアが俺を見る。俺が頷くと、彼女は戸を半分だけ開けた。
レイン司祭は白い外套のまま、一歩も中へ入らない。後ろには武装兵が二人。距離を守っている。
「通告内容は簡潔です」
羊皮紙を広げ、機械のように読み上げる。
「あなたは禁忌蘇生事象の当事者です。再現防止のため、保護拘束下での監視を受けてください」
「保護拘束って、拘束だろ」
俺が返すと、レインは頷いた。
「否定しません。ですが処分ではない。あなたの生存も、他者の再現被害防止も守るためです」
理屈は通っている。だからこそ余計に息苦しい。
「いつまでだ」
「再現不能性が証明されるまで」
「終わりがない」
「現時点では、そうです」
会話を切るように、通りの向こうで馬のいななきが上がった。
次に来たのは、ドラハン側だ。
黒外套の将校が、兵を連れて門前に立つ。
こちらは最初から距離を詰めてくる。
「交渉に来た」
将校は名乗る。
「技術局先任、ハーディ。ドラハン将校の代理だ」
机上へ小袋を置く。中身は硬貨ではない。魔導核片。高価で、即時運用できる。
「蘇生ログの共有、現象再現への協力、本人同席。対価は払う。身分保障も出す」
ミアが低く吐き捨てる。
「人を部品で買う気?」
ハーディは表情を変えない。
「部品ではない。技術協力者だ。世界を変える手札だ」
レインが割って入る。
「この案件は封印管理の管轄です。接触権を持ちません」
「宗教側の独占を許す理由がない」
門前で二つの理屈が正面衝突する。
どちらも俺の意思を主語にしていない。
俺は戸を全開にして外へ出た。
ミアが腕を掴むが、振りほどかない。並んで立つ。
「両方に言う。俺はどっちにも渡らない」
空気が止まる。
レインの眉がわずかに動き、ハーディの口角が下がる。
「現実的ではない」
ハーディが先に言った。
「君の存在はすでに国家案件だ。個人判断では済まない」
「国家案件でも、署名するのは俺だ」
レインが静かに続ける。
「拒否するなら、強制手段の検討に移ります」
予想していた台詞だった。
それでも、背中に冷たい汗が流れる。
ルドが一歩前へ出る。
「この場は診療所だ。病人の前で剣を抜くなら、先に私を斬れ」
老いた声なのに、通りの端まで届いた。
兵たちの手が柄に触れかけて、止まる。
緊張を破ったのは、路地から走ってきた使いだった。黒外套側の少年伝令。
「代理殿、緊急報告!」
紙片を受け取ったハーディの顔色が初めて変わる。
「……確保済み?」
握りつぶされる前の紙端に、俺は一瞬だけ読めた。
`候補三体 / 搬入完了`
俺の喉が勝手に鳴る。
ハーディは紙を握りつぶし、俺を見る。
「交渉は後で続ける。先に別件を処理する」
「別件って何だ」
返答はなかった。
代わりにレインが低く言う。
「ドラハンが、複製実験の被験者を確保した可能性があります」
頭が真っ白になる。
俺ひとりの問題じゃなくなった。最初からそうだったのかもしれないが、今ようやく痛みとして理解した。
ハーディ隊は即座に引き上げた。
レインも兵を下げるが、最後に短く告げる。
「あなたの自由行動は今夜までです。明朝、正式通告に来ます」
通りから足音が消える。
残ったのは、夜風と、机上のログ片だけ。
ミアが低く言う。
「どうする」
選択肢は三つに見えて、実際は一つだ。
「先に実験を止める」
ルドが頷く。
「場所の当ては」
俺はN3で見た地図断片を思い出す。
視界ログが補助線を引く。
`[MAP] DRAHAN TEMP FACILITY / DELGA EAST RIDGE`
「デルガ東稜。仮設施設」
「正面突破はしない。荷路から入る。私は囮線を引く」
「ミアは搬送檻、ルドは制御盤。役割を分ける」
ミアは即座に荷袋を掴んだ。
「行く」
「危険だ」
「あんたが言うな」
反論できない。
俺は机上の紙束をまとめ、封蝋片と一緒に胸へ押し込む。
戸を開けると、夜は深かった。
でも迷いは、さっきより薄い。
タクミでもソルでもない。
どちらも抱えたまま、次に選ぶ。




