ノイズの夢
第6話 ノイズの夢
その夜、夢は二つ同時に来た。
改札の電子音。ピッ、ピッ。蛍光灯の白。缶コーヒーの冷たさ。終電を逃した駅前の風。
同時に、別の風景。川沿いの土手。濡れた革靴。遠くで誰かが方言で怒鳴る。「ソル、足場見ろ、落ちるぞ」
どちらも一人称だった。
どちらの「俺」も本物だと主張して、頭の中でぶつかる。
ホームの階段を駆け下りる足と、土手を滑る足。
右手で缶を握る感触と、左手で短剣を押さえる感触。
重なって、裂ける。
目が覚めたとき、息が切れていた。喉が焼ける。寝台の布が汗で湿っている。
「……ちくしょう」
悪態が口をついて出た。自分でも気づく。語尾が違う。灰枝の方言で、俺が知らないはずの言い回しだ。
視界にログ。
`[COG] DREAM_REPLAY=DUAL`
`[COG] LANGUAGE_DRIFT=DETECTED`
`[COG] HAND_PREF_SWITCH=LIKELY`
戸が開く。ミアが椀を持って入ってきた。俺の顔を見るなり、眉を寄せる。
「眠れてない顔」
「夢がうるさかった」
「また数字のやつ?」
俺は頷いて、椀を受け取る。受け取った瞬間、左手が先に動いた。いつもは右だ。ミアの視線が手元に落ちる。
「今、左で取った」
「偶然だ」
「昨日は右。さっき廊下で、紐結びは左」
ミアは帳面を開いて、さらさら書き込む。
「症状として残す」
「方言漏れ、利き手切替、夢の内容。三点」
廊下を通った洗濯係の婆さんが、戸口で足を止めた。
「今の訛り、ソルの親父さんそっくりだね」
俺は答えられず、椀の湯気だけを見た。
言い返す気力がなかった。椀の中の薄粥を口に運ぶ。塩の加減が、妙に正確に「家の味」だと思ってしまう。知らないはずなのに。
午前、ルドが封筒の中身を机に広げた。古いカルテ断片。回収時刻表。濡れた紙に滲んだ数字。
俺は断片の一枚をつまむ。
`被験体 S-ORL`
`頭部広範欠損`
`緊急補綴プロトコル起動`
指先が冷える。読むのをやめたくなる。だが目が離せない。
「S-ORLって何だ」
ルドは黙り、ミアが小さく言った。
「ソル、じゃないの」
「それっぽく見えるだけだ」
俺は紙を机へ叩きつけた。
「偽記録だ。誰かが後から作った。俺は転移者だ。駅前の記憶がある」
ルドが低く返す。
「ある記憶が真実でも、ない記憶が嘘とは限らん」
「禅問答はいい。証拠を出せ」
語気が荒くなり、ミアが間に入った。
「証拠、取りに行く」
「どこへ」
「落ちた前室の奥。昨日は入口で引き返した。そこに中継コアがある。先生が昔見たって」
ルドが渋い顔をした。
「見たのは昔だ。今動く保証はない」
「動かなくても、配線は残る」
ミアは俺を見る。
「あんたが読める文字と、私が見える地形。両方必要」
昼過ぎ、三人で再び遺跡帯へ入った。昨日より空気が重い。奥へ進むほど、耳の奥で微かな振動が鳴る。
中継前室は半壊していた。床の中央に、丸い窪み。周囲に走る細い溝。俺は膝をつき、溝を指でなぞる。視界に薄い線が重なる。
`[SYS] TRACE_MATCH 34%`
足りない。
俺は立ち上がり、奥の壁へ向かった。そこだけ石の色が違う。叩くと空洞音。ミアが短剣の柄で継ぎ目を打つ。板が外れ、狭い空間が口を開いた。
中にあったのは、掌大の黒い板だ。表面に細い紋。俺が触れると、光が走る。
`[SYS] CORTEX MAP CACHE`
`[SYS] SUBJECT: S-ORL`
`[SYS] WRITE TIME: -00:23 PRE-RECOVERY`
息が止まる。
線が立体になって浮いた。神経の地図。損傷部位の空白。そこへ別の網目が縫い込まれている。乱暴で、でも精密な継ぎ方だった。
「……これ」
言葉が続かない。ミアが横から覗き、何も言えずに唇を噛む。ルドは目を閉じた。
「見えたか」
俺は首を振った。否定のつもりだった。だが動きは曖昧で、どっちとも取れない角度になった。
「帰る」
自分の声が遠い。
帰り道、俺は一度も後ろを振り返らなかった。振り返ったら、何かが確定する気がしたからだ。
診療所に戻ると、夕暮れの光が床に伸びていた。俺は帳面を開き、最初の空白ページの次に、短い一文だけ書く。
「偽記録だと断言できる証拠は、もうない」
書いた手が震える。
それでも最後に、もう一行足した。
「それでも、俺は転移者だ」
右手で筆を置こうとして、また左手が先に動いた。
視界の端で、冷たい文字が確定する。
`[SYS] NEXT: CORE_VERIFICATION`




