返還門を探せ
第5話 返還門を探せ
出発は夜明け前だった。
森の縁に白い靄が溜まり、足元だけが薄く見える。俺は肩掛け袋の紐を締め直した。
中身は最小限だ。水袋、乾パン、炭筆、帳面。ミアは薬包と小型の灯り石、ルドは封蝋つきの封筒を一本だけ持ってきた。
「これを持って行け」
ルドは封筒を俺に渡した。
「開けるのは、戻る道を決めてからにしろ」
「回りくどいな」
「お前は、読んだ瞬間に突っ込む」
否定できなかった。ルドは目を細める。
「条件は覚えてるな。入口より深く潜るな。異常が出たら撤退。片方でも崩れたら、もう片方が引きずってでも帰れ」
ミアが先に頷いた。
「守る」
俺も頷いて、森へ入る。背中に診療所の気配が遠ざかっていく。
目的は一つ、帰還門を見つけることだ。少なくとも、俺はそう決めている。
樹海の縁は静かだった。朝露の匂いと、湿った土。しばらく歩くと、石の露頭が増え、地面の色が灰へ寄る。遺跡帯の入り口だ。
視界にログが浮かぶ。
`[NAV] NODE_PROXIMITY=LOW`
`[BIO] STRESS=58`
`[COG] NAME_CONFLICT=ACTIVE`
「その顔、また出てる?」
ミアが俺の横顔を覗き込む。
「顔?」
「眉間に皺。数字見てるときの顔」
ああ、そういうことか。俺は曖昧に頷く。
「出てる。道の候補が二つ」
「どっち」
俺は視界の矢印を追った。左は短く、右は遠回りだ。
`[NAV] SHORTEST: LEFT_TUNNEL`
`[RISK] UNKNOWN`
「左が最短」
「最短は信用しないって、昨日言った」
ミアは即答して、右へ進んだ。俺は一瞬迷ってから続く。数歩先、左の通路から鈍い破裂音がした。天井石が落ちた音。遅れて白い粉塵が噴き出す。
「……ありがとう」
「礼は帰ってから」
右ルートは長かった。代わりに罠は浅い。床板の傾き、風の流れ、壁の擦れ。ミアの観察は正確だ。途中で小型の警報杭を見つけた。新しい刻み。最近触られている。
「誰か先に入ってる」
「救助隊?」
「いや、歩幅が違う。軍靴」
反宗教国家側か。喉の奥にざらつきが残る。
遺跡の前室に着いた。半壊した扉の上に、旧文明語の刻印。俺の目には、読めた。読めてしまった。
`EMERGENCY BACKFILL ACCESS`
バックフィル。脳裏で単語が反響する。けれど俺は無理やり意味を捻じ曲げた。
「……返還門の案内だ」
ミアが眉を上げる。
「返還門?」
「緊急帰還、みたいな意味。たぶん」
自分でも苦しい解釈だとわかる。だが、そう思わないと足が止まる。
前室中央の台座に、薄い板が差し込まれていた。記録板。抜き取ると、粉のような光が散る。視界に追記。
`[SYS] BACKFILL_LOG FOUND`
心拍が跳ねる。ミアは俺の腕を掴んだ。
「顔色、悪い」
「平気。読む」
「いま読むな」
ミアの声は低い。叱るときの声だ。
「ルド先生が何て言った」
戻る道を決めてから。
その一文を思い出して、舌打ちを飲み込む。俺は記録板を布で包んで袋に入れた。
「……わかった」
その時、奥の通路で靴音がした。二人分、重い金具の擦れる音だ。
俺とミアは同時に息を止め、壁際へ身を寄せる。通路の向こうを黒い外套の影が横切った。胸元に歯車紋。見覚えはないが、フィンの紋ではない。
低い男声が響く。
「中枢は次班に回せ。今日は入口ログだけ持ち帰る」
女の声が応じる。
「回収物にBFL表記あり。将校へ直送します」
BFL、バックフィル。俺の指先が袋越しに板を握り潰しかける。
足音が遠ざかるまで待って、ミアが囁いた。
「いま見たの、誰」
「神聖国家じゃない」
「なら、急ぐ。ここ、もう安全じゃない」
前室を出る前に、俺は一度だけ振り返った。扉の刻印が、薄青く明滅する。帰還門などではない。おそらく、最初から。
それでも、まだ言葉にしたくない。
帰路の途中、陽が落ちる。森の外縁に戻ったところで、俺はルドの封筒を取り出した。封蝋を割る。中には古い紙が三枚。カルテ断片と、回収時刻表と、手書きの短いメモ。
メモには一行だけ。
「読んだなら、次は嘘を減らせ」
俺は紙を畳み直した。
返還門を探しに来たはずなのに、持ち帰ったのは別の証拠だった。
視界の隅で、まだ頼んでもいない予告が点る。
`[COG] DREAM_NOISE_RISK=ELEVATED`




