帰還しない選択
第12話 帰還しない選択
東稜の救出から三日後、俺は再び遺跡へ降りていた。
目的は一つ。日本へ戻る道が本当に存在するのか、そして使えるのかを自分で確かめる。
同行はミアとルド、そして監視役としてレイン司祭。
武装兵は入口で待機。約束どおり、過剰な拘束はない。
出発前、家の戸口で母が手袋を渡してきた。
「昨日より冷える。帰りが遅くなるなら、灯を残しておく」
短い言葉に、拒絶はない。
俺は頷いて、手袋を鞄へしまった。
N3よりさらに下、封鎖壁の手前に古い制御卓が残っていた。
HUD補助はない。読み取りに時間がかかる。俺は文字を一つずつ指で追った。
`CROSS-WORLD TRANSFER: THEORETICAL`
`REQUIREMENT: HIGH-DENSITY MASS INPUT`
`EST. BIOMASS: CITY-BLOCK SCALE`
喉が乾く。次の行が追い打ちをかける。
`ETHICAL FLAG: UNACCEPTABLE`
`EXPECTED HUMAN LOSS: EXTREME`
`EST LOSS: >1200`
「理論上は、ある」
声が掠れる。
ミアが息を止める。レインは目を伏せた。ルドが短く問う。
「実行は」
「無理じゃない。やれる」
そこで一度言葉を切る。
残りを飲み込むわけにはいかない。
「その代わり、人を大量に使う。犠牲が前提だ」
静寂のなか、滴る水音だけが地下で響く。
ミアが先に口を開いた。
「帰りたい?」
真正面の問いだった。
俺は即答できない。日本の駅前、夜の灯、缶コーヒーの冷たさ。すべてまだ残っている。
しかし同時に、灰枝の朝、診療所の匂い、母の震える声も残っている。
「帰りたい気持ちはある」
正直に言って、続ける。
「でも、この方法では帰らない」
レインが確認するように聞く。
「不可逆の選択になります」
「わかってる」
制御卓の端末に、無効化欄がある。
帰還系手順を封じる、単純で重いボタン。
`RETURN PATH DISABLE`
`Y / N`
俺は `Y` を押した。
端末が低く唸り、帰還系の行が灰色へ落ちる。
`TRANSFER PROCEDURE: LOCKED`
胸の奥が痛んだ。喪失の痛みだが、後悔ではない。
地上へ戻る道で、レインが並んで歩く。
「監視付き自由行動の条件を更新します」
「厳しくなる?」
「むしろ明確にする。再現研究不参加、定期報告、危険域侵入時の事前申請。加えて東稜施設は三重封印、月次の共同査察に移す。守るなら、行動制限は最小化する」
妥当な条件だった。取引として成立している。
「受ける」
レインは小さく頷く。
「あなたを“禁忌蘇生体”と呼ぶ文書は残るでしょう。
ですが現場では、あなたが今日選んだ事実も残る」
別れ際、レインはためらってから右手を差し出した。
俺はその手を握り返した。
その直後、入口の伝令が封緘文書を渡してくる。
神聖国家監理院とドラハン監察局の連名だった。文面は違うが、要旨は同じだ。
「四半期ごとの追跡監査。違反時は拘束復帰」。外圧は、形を変えて残り続ける。
遺跡入口へ出ると、夕陽が斜めに差していた。
俺は持ってきた木板を地面に立てる。ミアが杭を打ち、ルドが水平を見た。
筆を取る。手は震えるが、途中で止まらない。
「ここは入口であって出口ではない」
書き終えると、ミアが板を軽く叩いた。
「これで、次に来るやつは少し考える」
ルドが鼻で笑う。
「考えない連中は、どうせ読む前に突っ込む」
「その時は止める」
俺が言うと、二人とも短く頷いた。
帰り道、空の色が藍へ変わる。
俺は胸の中で名前を確かめる。ソル=タクミ。
町へ戻ると、診療所の前で子どもが新しい注意札を読んでいた。
「入るなら申請」。ルドが書いた太い字だ。ミアがその横に、矢印だけの簡単な地図を足している。
夜、診療所の帳場で、俺は新しい台帳を開いた。
見出しに「高濃度域対応手順 改訂一版」と書く。帰還を夢見る誰かがまた現れても、犠牲を前提にした道しか残っていない、という状況は二度と作らないためだ。
症例欄には、救助時刻、損傷部位、処置順、同意の有無を記す。再起動の成功率より先に、人間の扱いを規則化する。
ミアが薬瓶を並べながら言った。
「その署名、今日は止まらないね」
ルドも帳面を覗き込み、短く頷く。
「生き延びた記録は、祈りより効く。続けろ」
俺は最後の欄に名前を書く。線はもう途中で折れない。
どちらかを消した名前ではない。
どちらも抱えたまま、ここで生きるための名前だ。
視界の隅に、最後のログが一行だけ灯る。
`[COG] CURRENT WORLD: ACCEPTED`




