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ラウンド1:そもそもAIに政治判断は可能か?

(オープニングの熱気が冷めやらぬ中、あすかがクロノスに触れる。スクリーンに「ROUND1」の文字が浮かび上がり、その下に「AIに政治判断は可能か?」というテーマが表示される)


あすか:「それでは、ラウンド1を始めます」


(スクリーンに映像が流れる。AIが株価を予測し、医療診断を下し、自動運転車を制御している様子。そして、政治家たちが議論している国会の映像)


あすか:「現代のAIは、すでに様々な分野で人間を超える判断をしています。医療では癌の診断精度が医師を上回り、金融では瞬時に市場を分析し、囲碁や将棋では世界チャンピオンを破りました」


(映像が消え、4人を見渡す)


あすか:「では、政治判断も可能なのでしょうか?まず、この根本的な問いから始めましょう。チューリングさん、あなたは『機械は考えられる』と主張しました。政治判断についても同じですか?」


チューリング:「もちろんだ」


(即座に答え、身を乗り出す)


チューリング:「いや、『可能か』という問い自体が誤っている。『可能だ』が正しい。理論的には確実に可能だ」


(指を折りながら説明を始める)


チューリング:「考えてみてほしい。政治判断とは何か?第一に、情報を収集する。経済データ、人口動態、国際情勢。第二に、それらを分析する。因果関係を見出し、予測を立てる。第三に、複数の選択肢を比較し、最適解を選ぶ」


(テーブルを軽く叩く)


チューリング:「これはすべて計算プロセスだ。アルゴリズムで表現できる。人間の脳も、突き詰めれば生物学的なコンピュータに過ぎない。ニューロンが電気信号を伝達し、シナプスが情報を処理する。それは私が設計した機械と本質的に同じだ」


プラトン:「しかし──」


チューリング:「待ってくれ、まだ話は終わっていない」


(手を挙げて制し、さらに続ける)


チューリング:「具体例を挙げよう。私はブレッチリー・パークでエニグマ暗号の解読に取り組んだ。ドイツ軍の通信を傍受し、それを解読する。これは極めて複雑な問題だった。設定の組み合わせは天文学的な数だ」


(興奮気味に語る)


チューリング:「だから私は『ボンブ』という計算機を作った。機械が何千、何万通りの組み合わせを試し、正解を見つけ出す。人間には不可能な速度でだ。そして、その情報は連合国の戦略決定に使われた。Uボートの位置を予測し、補給船団を守った。これは『戦略的判断』の一部だ」


(一同を見渡す)


チューリング:「政治も同じだ。膨大なデータを処理し、最善の政策を導き出す。人間より速く、正確に。そして──」


(少し皮肉っぽく笑う)


チューリング:「何より重要なのは、AIには感情がないということだ。怒り、恐怖、嫉妬、虚栄心。これらが人間の判断を狂わせる。しかしAIは純粋に論理的だ。データだけに基づいて判断する。これは弱点ではなく、強みだ」


(アーレントを見る)


チューリング:「人間の政治判断がそんなに優れているとは思えない。20世紀を振り返ってみろ。二度の世界大戦、大恐慌、ホロコースト、核兵器。これらはすべて人間の『感情的な判断』の結果だ。もしAIが統治していたら、こんな愚かなことにはならなかっただろう」


(席に座り直す。満足げな表情)


あすか:「なるほど。論理的で、データに基づいた判断。そして感情に左右されない。それがAIの利点だと」


チューリング:「その通りだ」


あすか:「では、アーレントさん。真っ向から反論をお願いします」


(アーレントが立ち上がる。その目には静かな怒りと、深い悲しみが混在している)


アーレント:「チューリングさん」


(彼を見つめる)


アーレント:「あなたは根本的に間違っています。いいえ──間違っているというより、問題を履き違えています」


(一歩前に出る)


アーレント:「政治判断は計算プロセスではありません。政治とは『行為(action)』です。これは私の思想の核心ですが、説明させてください」


(手を広げる)


アーレント:「人間には三つの活動があります。労働(labor)、仕事(work)、そして行為(action)です。労働は生命を維持する活動、仕事は世界に物を作り出す活動。そして行為は──他者との関係の中で、予測不可能な新しさを世界にもたらす活動です」


(強調して)


アーレント:「政治は行為です。それは計算ではない。なぜなら、行為には『開始する力(natality)』があるからです。まったく新しい何かを始められる。これは計算では導き出せません。アルゴリズムでは表現できません」


チューリング:「しかし──」


アーレント:「まだ話は終わっていません」


(チューリングの言葉を逆手に取り、彼を制する)


アーレント:「あなたは『人間の脳は生物学的なコンピュータ』と言いました。違います。人間には自由意志があります。過去のデータから予測できない選択をする能力があります」


(エルサレムでの経験を語り始める)


アーレント:「私はエルサレムで、アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴しました。彼は親衛隊中佐として、ユダヤ人の移送を組織しました。600万人の死に責任がある男です」


(声を落とす)


アーレント:「しかし、法廷で彼を見たとき、私は驚きました。彼は怪物ではなかった。平凡な、むしろ愚かとさえ言える官僚でした。彼は何と言ったか?」


(間を置く。全員が固唾を呑んで聞いている)


アーレント:「『私は命令に従っただけです』『規則を守っただけです』『システムに従っただけです』と」


(鋭く指摘する)


アーレント:「彼は考えなかった。判断しなかった。ただ、システムが示す『最適解』に従った。その結果が、人類史上最悪の大虐殺です。これを私は『悪の凡庸さ(thebanalityofevil)』と呼びました」


(チューリングに向き直る)


アーレント:「AIに従うことは、再びアイヒマンになることです。『AIがこう言ったから』『データがこう示したから』『アルゴリズムがこう計算したから』──誰も責任を取らない。誰も本当の意味で判断しない。思考を放棄する」


(手を胸に当てる)


アーレント:「人間の偉大さは何か?過ちを犯すことでも、感情的になることでもありません。『考える』ことです。自分の頭で判断し、その結果に責任を持つことです」


(優しく、しかし強く)


アーレント:「あなたは『感情がないことが強み』と言いました。しかし、政治には共感が必要です。他者の痛みを理解する能力が必要です。データの向こう側にいる、血の通った人間を見る能力が必要です」


(席に戻りながら最後に)


アーレント:「AIには『世界への愛(amor mundi)』がありません。世界と他者への配慮がありません。それなくして、どうして良き政治ができるでしょうか?」


(着席する。スタジオに重い沈黙が流れる)


チューリング:「しかし、それは極端な例だ。アイヒマンは──」


アーレント:「極端ですか?」


(即座に反応する)


アーレント:「20世紀は『システムへの盲従』が何度も悲劇を生んだ世紀です。ナチスだけではない。スターリンの粛清、毛沢東の文化大革命。すべて『システム』『イデオロギー』『計画』に従った結果です」


チューリング:「しかし、AIは学習する。過去の失敗から学び、改善する──」


あすか:「お二人とも、白熱していますね」


(微笑んで割って入る)


あすか:「この議論、核心に迫っています。計算と判断、システムと自由、論理と倫理。しかし、ここでプラトンさんにもご意見を伺いましょう。2400年前の知恵は、この現代の問題に何を教えてくれるのでしょうか?」


プラトン:「お二人とも、情熱的だ。これこそ対話だ」


(穏やかに立ち上がる)


プラトン:「チューリング、アーレント、君たちの議論は興味深い。では、私からも問いかけよう」


(古代の哲学者らしい、問答法のスタイルで)


プラトン:「チューリングよ。君の『機械』は、『善のイデア』を知っているか?」


チューリング:「善の──何?」


プラトン:「イデア。真理の原型だ」


(説明を始める)


プラトン:「私たちが見ている世界は、真の世界の影に過ぎない。洞窟の壁に映る影のようなものだ。真の世界、イデアの世界には、『善そのもの』『美そのもの』『正義そのもの』が存在する」


(手で形を描く)


プラトン:「政治の目的は何か?ただ効率的に国を運営することか?違う。市民の徳を育て、正義を実現することだ。では、AIは『正義とは何か』を知っているのか?『善とは何か』を理解しているのか?」


チューリング:「それは──プログラムできる。倫理のルールを組み込めば──」


プラトン:「ルールか」


(首を振る)


プラトン:「善はルールではない。善を『知る』とは、イデアを直接見ることだ。30年の教育を経て、哲学を修め、ようやく到達できる境地だ。これをプログラムで再現できるのか?」


(アーレントに向かって)


プラトン:「アーレント、君の言う『行為』も重要だ。確かに人間には自由がある。新しいことを始められる。しかし──」


(少し厳しい表情で)


プラトン:「私はアテナイの民主政を見た。その『自由』が何をもたらしたか?大衆は扇動に流され、感情的になり、最も賢い人間を処刑した。私の師、ソクラテスをだ」


(悲しげに)


プラトン:「民主政の問題は何か?誰もが平等に投票できる。しかし、政治には知識が必要だ。船を操縦するとき、誰に任せるべきか?乗客全員の多数決で決めるか?それとも、航海術を学んだ船長に任せるか?」


(答えは明白だ、という表情)


プラトン:「国家も同じだ。統治には専門知識が必要だ。だからこそ私は『哲人王』を提唱した。哲学者こそが王となるべきだと」


(チューリングに戻る)


プラトン:「その意味で、AIは興味深い。知識を持つ。感情に左右されない。大衆の愚かさも、独裁者の横暴もない。これは私の夢に近いように見える」


チューリング:「ならば──」


プラトン:「しかし、問題がある」


(手を挙げて制する)


プラトン:「誰がAIを作るのか?プログラマーか?では、そのプログラマーは哲学者か?善のイデアを見たのか?30年の教育を受けたのか?」


(鋭く指摘する)


プラトン:「AIが『公正だ』というのは幻想だ。AIはプログラムされた通りに動く。つまり、プログラマーの価値観を実行しているだけだ。それは隠された独裁ではないのか?」


(深く考え込む表情で)


プラトン:「民主政の問題は大衆の無知だ。しかし、AI統治の問題は、権力の不透明さだ。誰がAIを支配しているのか?それが見えない」


あすか:「なるほど。プラトンさんは、AIに可能性を見つつも、『誰が作るのか』という根本的な問題を指摘されました」


(チャーチルに向く)


あすか:「チャーチルさん、あなたは沈黙していますが、何か思うところが?」


チャーチル:「ああ、哲学者たちの議論を楽しんでいた」


(葉巻を手に取り、火をつけようとして、あすかの視線に気づいて止める)


チャーチル:「まあ、いい。吸わずとも喋れる」


(立ち上がる。その存在感は圧倒的だ)


チャーチル:「理論は素晴らしい。哲学も結構。しかし、私は戦場にいた男だ。理論ではなく、現実を語ろう」


(演説口調になる。これが彼の真骨頂だ)


チャーチル:「1940年5月26日。ダンケルク。イギリス遠征軍33万人が、フランスの海岸に追い詰められた。ドイツ軍が迫っている。脱出の手段はない」


(間を置く)


チャーチル:「軍事顧問は何と言ったか?『全滅は時間の問題です』と。海軍は何と言ったか?『船が足りません。せいぜい3万人です』と。データは明確だった。『救出不可能』と」


(拳を握る)


チャーチル:「さあ、チューリング。君のAIなら、この状況で何と言う?」


チューリング:「データが『不可能』を示しているなら、別の戦略を──」


チャーチル:「降伏か?」


(鋭く問う)


チューリング:「いや、そうではなく──」


チャーチル:「では何だ?データは明確だ。兵士は救えない。ならば損切りして、次の戦略を考える。論理的にはそうなる」


(しかし、と続ける)


チャーチル:「私は決断した。撤退させろ、と。『ダイナモ作戦』だ。軍艦だけでなく、民間船も総動員した。漁船、遊覧船、ヨット。ありとあらゆる船をかき集めた」


(声を高める)


チャーチル:「誰もが不可能だと言った。数字は不可能を示していた。しかし、私は数字を超えた。なぜか?」


(三つの理由を挙げる)


チャーチル:「第一に、直感だ。『まだやれる』という、説明できない確信。これは計算ではない。経験と勇気だ」


(第二の指を立てる)


チャーチル:「第二に、象徴的意味だ。あの撤退は軍事的には敗北だった。しかし、国民を団結させた。『我々はナチスに屈しない』というメッセージになった。これもデータでは測れない」


(第三の指を立てる)


チャーチル:「第三に、未来への賭けだ。あの兵士たちがいたから、後にノルマンディー上陸作戦ができた。目先の損失ではなく、長期的な勝利を見据えた」


(結果を語る)


チャーチル:「9日間で、338,226人を救出した。奇跡のダンケルクだ。しかし、これは奇跡ではない。人間の意志だ」


(チューリングに向き直る)


チャーチル:「君のAIは、データに逆らえるか?『不合理な希望』を持てるか?数字が示さない『何か』を信じられるか?」


チューリング:「しかし、それは──」


(必死に反論しようとする)


チューリング:「データが不完全だったのでは?民間船の動員可能数、天候の予測、ドイツ軍の行動パターン。それらを正確に計算すれば──」


チャーチル:「後知恵だ!」


(笑い飛ばす)


チャーチル:「当時、そんな完璧なデータはなかった。不確実性の中で決断する。それが政治だ。それがリーダーシップだ」


(さらに続ける)


チャーチル:「そして、政治家の仕事は数字を処理することじゃない。人々を鼓舞することだ」


(演説の一節を思い出すように)


チャーチル:「私は国民に言った。『我々は戦う。浜辺で、上陸地点で、野原で、街路で。我々は決して降伏しない』と。この言葉が、イギリスを救った」


(問いかける)


チャーチル:「AIにこのスピーチができるか?言葉を組み合わせるだけなら誰でもできる。しかし、魂を込められるか?信念を伝えられるか?」


アーレント:「まさにその通りです」


(立ち上がって)


アーレント:「チャーチルさんのダンケルクは、『行為』の完璧な例です。過去のデータから予測できない、新しい何かを世界にもたらした」


プラトン:「そして、それは『勇気(andreia)』の実例だ。四元徳の一つ。知識だけではない、魂の強さだ」


チューリング:「しかし──」


(反論しようとするが、言葉に詰まる)


チューリング:「確かに、ダンケルクは素晴らしい。しかし、それは例外的な状況だ。平時の政策判断なら、AIの方が優れているはずだ」


チャーチル:「例外か?」


(首を振る)


チャーチル:「政治は常に例外だ。毎日が危機だ。予測不可能なことばかりだ」


(席に座る)


チャーチル:「ただし──」


(少し柔らかく)


チャーチル:「私は全否定はしない。AIは良い補佐官になるだろう。情報を整理し、選択肢を示す。私もそういう参謀がいたら助かった」


(重要な条件を付ける)


チャーチル:「しかし、最終決断は人間がすべきだ。なぜなら、責任を負うのは人間だからだ。AIは責任を取れるか?失敗したとき、AIを死刑にするのか?」


あすか:「責任の問題。これは重要なポイントですね」


(クロノスで論点を整理する)


あすか:「さて、ラウンド1をまとめましょう。熱い議論でした」


(スクリーンに各人の主張が箇条書きで表示される)


あすか:「チューリングさんは『技術的には可能。むしろ人間より優れている』と主張されました。政治判断は計算プロセスであり、感情がないことは強みだと」


チューリング:「その通りだ」


あすか:「アーレントさんは『本質的に不可能』と反論されました。政治は計算ではなく行為であり、AIに従うことは思考停止、アイヒマンと同じだと」


アーレント:「はい。人間であり続けることが重要です」


あすか:「プラトンさんは『可能性はあるが、慎重に』というスタンスでした。AIは哲人王の夢に近いが、『誰が作るのか』『善を理解しているのか』という問題があると」


プラトン:「うむ。対話を通じて、さらに深めたい」


あすか:「そしてチャーチルさんは『基本的には不可能。しかし補佐官としてなら有用』という実務家の視点を示されました。ダンケルクの決断、責任の所在、そして言葉の力」


チャーチル:「AIは道具だ。使いこなせばいい。しかし、主人は人間だ」


あすか:「論点が明確になりました。技術と人間性、計算と自由、理想と現実、そして責任」


(4人を見渡す)


あすか:「しかし、まだ答えは出ていません。いいえ、むしろ新しい問いが生まれました。では、次のラウンドで、さらに踏み込みましょう」


(スクリーンに「ROUND2」の文字が浮かび上がる)


あすか:「民主主義との関係です。AIが判断を下すとき、主権はどこにあるのでしょうか?国民なのか、機械なのか、それともプログラマーなのか?」


(緊張感が高まる)


あすか:「ラウンド2、まもなく開始です」


(音楽が流れ、短いCMブレイクへ。しかし、4人の表情は真剣そのもの。議論はまだ始まったばかりだ)

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