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あの花に水を。  作者: 増井 龍大
第一章

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24/27

fight!

 部室に入ると、変わらず飯田が着替えてゲームをしており、僕は昨日に時間が巻き戻ったかと錯覚を起こした。


「おお、今日は昨日より速いな」


 飯田が放った言葉が昨日と変わっていることに僕は安堵した。


「まあな。でも今日はなんか、大変だったなあ」

「そうか、なんかあったのか?」

「衝撃的な事が発覚したり、嫌いな奴が先生に怒られたりした」


 僕は着替えながら、飯田との話を継続する。


「そうか……。まあ人生生きてればいろいろあるからな。俺もソシャゲで良いキャラ出ないときは、何と言うか、疲れるし」

「まあ、そういうもんか」


 僕は着替えを終えると、久しぶりに飯田と競い合いたい衝動にかられた。

 僕は今日、いろいろなものを経験した。失恋に仮病、最後には担任を黙らすほどの自我を出した。だから今日はいける気がした。飯田にも勝てるのではないかと、そう思った。


「なあ、今日は4000m本気で勝負しないか?」

「珍しいな。後藤がそんなこと言うなんて」

「まあ、ちょっと今日は自分の殻を破る日な感じがするんだ」

「なんだそりゃ、まあいいよ。やろうぜ」

「じゃあ、五時にグラウンドな」

「オッケー、それじゃアップにいこうかねえ~」


 飯田はスマホをロッカーにしまい、部室を出て行った。僕もそれを追うように着替えを急ぐ。今日は何かを起こせそうな、そんな期待感に包まれていた。僕が僕でなくなるには今日しかないと、本気で思った。


 しかし現実はそんなに甘くなかった。


 結論から言うと僕は飯田に歯が立たなかった。もちろんアップに抜かりがあったとか、コンディションが悪かったとかではない。むしろ僕は今日、調子が良く、自己ベストを更新した。しかしそれでも飯田には届かなかった。僕の実力不足だ。強いて言うなら、3000m地点の駆け引きが勝負の明暗を分けただろう。


 僕と飯田は走り終えると二人でグラウンドを見ながら座って水分補給をしていた。

「久しぶりに実践したけど、楽しかった」

 飯田はボトルから水を飲みながら、笑顔でそんな感想を呟く。


 僕が何より彼に負けたところは、レースを楽しめなかったことだ。僕は3500m地点で飯田がゴールした時、僕も早く終わりたいと思ってしまった。きっと自分のタイムと競うなど楽しむ方法はあったはずだ。しかし、レースを楽しむには実力がいる。実力をつけるには練習がいる。つまり僕に今必要なものは練習だ。その点、僕は彼に完敗した。


 僕は座っている力を失ったように、その場で横になった。

「飯田は流石だよ」

 僕の心からの本音だった。しかし、彼は僕の方に振り返って、言った。

「いやいや、今日の後藤はなかなかだったよ。後藤は正直、先輩が引退したぐらいからちょっと諦めてたっしょ。でも今日のは本気の駆け引きで、勝つための走りで面白かったよ」

 笑う彼の顎から滴る汗は、まるで花を咲かせる種のようだった。


「ははは、そんなことまでバレてんのかよ。でもまあ、確かに今日は本気で負けたわ」

 いつも何も考えてなさそうな飯田が、僕のことをしっかりと分析していることに思わず笑ってしまった。何も見えてなかったのは自分のほうだったと反省もした。


「またやろうぜ。今度は大会で。俺は県で優勝すっから、後藤は二位で」

「いいや、次は俺が勝つよ」


 今回の勝負を終えて、僕に足りないものが見えた。レースを振り返るとなんだか懐かしい気持ちになった。怪我の事も忘れて、何もかも忘れて、走ることに没頭できた。こんなに幸せな走りはいつぶりだっただろうか。


「もっともっと練習して、飯田に届くように、俺も頑張るよ」

「そうしようぜ。同級生も俺らは二人しかいないんだし。まあ追いつかせる気はないけどな」

 僕は飯田に感謝した。前を走っていることがこんなにもありがたいことなのかと、目標があることが、ライバルがいることが、こんなにも嬉しいことなのかと、感動すら覚えた。僕は体を起こして、立ち上がる。


「そのために大事な事に決着をつけてくる」

「そうか。失敗するなよ」


 僕は部室に戻った。飯田はまだその場に座っていた。この冬の時期の努力が夏の大会結果に繋がる。飯田はきっとこの後も練習するのだろう。僕が部室に入ると、後輩たちが着替えていた。


「「「お疲れ様です」」」

「お疲れ~」

 僕はいつも通り挨拶を返す。


「後藤先輩、明日から一緒に走ってもらっていいですか?」

「……いいけど、どしたの? 急に」


 いつもはあまり一年生の会話を邪魔しないように部室では静観することを心がけていたが、今日はあまり話したことがない一年生から練習のお誘いが来た。


「いや、今日の飯田さんとのレースをみて、自分感動しちゃって、あんなに楽しそうに走るんだなって」

「え、俺が?」

「そうですよ。特に駆け引きしてる時、めっちゃ楽しそうでしたよ」


 僕はレースを楽しめていたのだろうか?

 後輩が嘘を吐いているようにも見えず、僕は反応に困った。


「自分、後藤先輩はあんまり気持ちを表に出さない人だなって思ってたんです。ぶっちゃけ頼りなかったっす。でも今日のレース見て、ああ、陸上好きなんだなって、しかも飯田先輩とバチバチやるじゃないですか。それ見てて、めっちゃかっこいいなって思って、こんな人と練習して、学んでいきたいなって思いました」


 僕は思わず涙が出そうになった。

「そっか、僕でよければ、いつでも練習付き合うよ」

「あざっす、よろしくっす」

 僕は着替えが終わったところで会話も終わらせ、部室のドアを開ける。


「じゃあ、そうゆうことで、お疲れ~」

「「「お疲れ様です」」」


 後輩に練習に誘ってもらったことは嬉しかったが、相変わらず体育会系の雰囲気は苦手だ。


 僕は一度深呼吸をして、教室へ向け歩き出した。



閲覧いただきありがとうございました。


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