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「さあ、手を」
家の近くで馬車が止まる。
扉が開けられ、ヘンドリックス様が手を差し出してくれた。
なんていうか、不思議な気持ちでドキドキする。
「ああ、気持ち悪いか。そうだろうな」
馬車に乗る時にはエレノス分隊長に手伝ってもらった。
なのでヘンドリックス様の手を借りるのはこれは最初だ。
「いえ、あの。お手をお借りします」
馬車のステップを支えがなくて降りるのは流石に少し怖い。
いつもは不機嫌で高圧的にも見えるヘンドリックス様の態度が柔らかくて、何か申し訳なさそうにしているのもあって、私はそのまま甘えてしまった。
ヘンドリックス様の手は冷たくてひやりとした。
余り体重をかけないように、けれども転ばないようにして降りる。
「ヘンドリックス様。ここからは一人でも大丈夫です」
家まではすぐそばで。
警邏隊のおかげで大通りで馬鹿な行動をする者はかなり減った。
「家まで送る。君の両親に約束したんだ」
「約束……」
そんな約束を。
「それではよろしくお願いします」
頑として譲らない感じだったので、これまたお願いする。
本当変な感じだ。
ヘンドリックス様と並んで道を歩く。
もう夜も更けているので人通りはない。
家までは数メートルの距離だ。
「……本当に悪かった」
「だから、もう謝らなくてもいいです。私が迂闊にヘンドリックス様に触れたのも原因ですから。女性嫌いと聞きました。大丈夫でしたか?」
「……誰から聞いた?」
「えっと、あのガマガエル」
「ガマガエル、面白いこというな」
声を押さえて、ヘンドリックス様が笑う。
笑ったところを見たのは初めてで、ちょっと見惚れてしまった。
本当にエレノス分隊長に似ていて、カッコいい。
「ユリア!」
家に到着する前に、両親が駆けてきた。
「ああ、無事でよかった。ヘンドリックス様、娘を助けてくださり、ありがとうございました!」
母は私を抱きしめ、父がヘンドリックス様にお礼を言っている。
「礼などは必要ない。私が悪かったのだ。事情を説明したいのだが、後日改めて伺ってもいいか?」
律義だ。
説明なんてしないほうがいいと思う。
私はいらないのに。
「事情?何かあるのですね。わかりました。それでは明日か明後日、お越しください」
父は気になるらしく、そうはっきり答える。
まあ、確かに急に降って湧いた話で、奇妙だったけど、貴族様に対してその態度はないかもしれない。お父さん、どうしたんだろう。
「明日、ユリア嬢を仕事の後送り届ける。その際に事情を説明したい。また明日の朝は、迎えに来るつもりだ」
「はい?」
何言ってるの?
迎え?
それは両親にとっても初耳だったらしく、目をぱちくりと何度も瞬きしている。
「しばらくは警戒したほうがいい。送り迎えは責任をもってさせていただく。それでは、私はこれで。また明日くる」
ヘンドリックス様は深々と頭を下げ、踵を返して行ってしまった。
「ユリア。本当に無事でよかった。今日は休んで明日話そう」
わんわんと泣き出す母を宥めながら、私たちに家に戻った。
☆
事情を話さないまま眠り、起床。朝の支度をしていると、ヘンドリックス様がいらっしゃった。
まさか本当に来るとは。
「ヘンドリックス様。朝食を食べていかれますか?」
「母さん!」
「食べていってください!是非」
父と母に請われるまま、ヘンドリックス様が食卓につく。
き、気まずい。
だって、庶民的なもの食べないよね?貴族様って。
よくよくみたことはないけど、持ってこられている昼食は立派な籠だったし……
「美味しいな。これは」
だけど、ヘンドリックス様は顔をほころばせて食べてる。
貴重、こんな表情、貴重すぎる。
そうして、朝食を終え、私たちは警邏隊の事務所へ向かう。
徒歩で二十分くらいの距離なので、私はいつも歩いて通っている。それを知っているのか、ヘンドリックス様も馬車や馬を用意せず、私の隣でゆっくり歩いてくれている。
「今日は朝食までご馳走になって、すまなかったな」
「いえいえ、謝られる必要はないです。大丈夫でしたか?」
「何がだ」
「味とか」
「美味しかった。ありがとう」
ちょ、調子が狂う。
ヘンドリックス様、どうしたんだろう?
「どうした?」
「いえ、あの」
あなたの態度が柔らかすぎて、変ですとは言えないなので、曖昧にごまかした。
警邏隊の事務所に到着すると、仕事に取りかかる。
その前に、言わなければ。
「あの、昨日は助けてくださって本当にありがとうございます。それで、あの、退職届を撤回することはできますか?」
「もちろんだ。まだここにあるからな」
「え?」
「君の後任に誰かを当てがわれるのが嫌だったから、私のほうで止めておいたんだ」
「そ、そうですか」
だから、誰にも辞めるのかとか何も聞かれなかったのね。不幸中の幸い??
「ケッセル。これからもよろしく頼む」
「はい」
ヘンドリックス様の態度も大分軟化したし、これでよかったのかな。
☆
あ、また見てる。
倉庫の備品の数を確認して、事務所に戻る途中、ヘンドリックス様を見かけた。
訓練風景を眺めている。
以前は話しかけて失敗したけど、今は大丈夫かもしれない。
「ヘンドリックス様。訓練をご覧になってるのですか?」
「あ、ああ」
前と同じように不機嫌になることはなかった。でも様子がちょっとおかしい。
「ヘンドリックス様も混ざってみてはいかがですか?」
「は?」
「えっと、すみません」
それはそうだよね。
私は突然過ぎた。
「お!アウルスに、ユリア!元気そうでよかった」
「エレノス分隊長、それにカノン分隊長補佐」
後ろからエレノス分隊長に声をかけられた。
もちろんカノン分隊長補佐も一緒だ。
「昨日はありがとうございました!」
昨日は本当に助かった。
そういえば、細かい事情を聞いていないんだけど、なんで勢ぞろいしてたんだろう。
私、なんか動揺しすぎていて、そこまで気が回らなかった。
「礼を言う必要はないぞ。当然のことだ。まあ、アウルスが気が付かなければ危なかったけどな」
「ヘンドリックス様が?」
「なんだ、お前事情を話してないのか?」
「話しをする余裕がなかったのだ。後でご両親を交えて説明するつもりだった」
エレノス分隊長に言われ、ヘンドリックス様は眉を潜めて答える。
「そうか。そうなんだな。じゃあ、私からは説明なしでいいな。ユリア、後からアウルスから事情は聞いてくれ」
「はい!」
そう言われば、納得するしかない。
何も知らないことに気が付いた今、物凄い気になったけど、私は終業時間まで聞くことを我慢した。
「さあ、家に行きましょう」
なので本日最後の書類を仕上げたところで、私はヘンドリックス様を自分から誘ってしまった。
誘うという言葉は間違っているけど、ちょっと気が急いていたので言葉を選べなかった。
「ああ、送っていく。説明もする」
「よろしくお願いします」
苦笑しながら言われて、私はちょっと恥ずかしかったけど、それを堪えて深々と頭を下げた。