あげませんよ
「お姉さま大変です!!」
婚約者のゲイルさまはよく動かれて服を破られてしまい、服がもったいないと嘆くので暇さえあれば服を繕っているのだが、そんなわたくしの元に慌てたように妹のヒルデが駆け込んできた。
「ヒルデ。廊下を走るのははしたないわよ」
困ったわねと苦笑しながら注意をすると、
「ごめんなさい。メルリージュお姉さま。ですが、早く伝えないといけないことがあったので」
息を切らしながら慌てたように告げてくるヒルデの後ろからヒルデ付きの侍女が必死に追いかけてきたのか肩で息をしている。
「隣国の王女が留学なされているのはご存じですか?」
「ええ。我が国と交流を深めるために王子殿下と共に学園に入られたとか」
そのついでに我が国の第三王女殿下と内々で婚約をしようとしているのだろうと噂されている。どうして、一人で留学しなかったかと言えば王女殿下と王子殿下は双子でもともと隣国の方が危険性が高い事情もあって二人の安全を確保――まあ表向きは一人では心細いだろうという親心と王女同士が親しくなってからの方が婚約を進めやすいと判断したからだろう。
我が国と違って、かの国は絶対に国交をより深めたいので婚約をぜひとも成功させたいという思惑もあるので。
「その隣国の姫………エルトリーザ王女殿下が、我が国の王女殿下の護衛についていたゲイルお義兄さまに一目ぼれをして婚約を迫ってきました」
「………………まあ」
驚きすぎてそんな反応しかできなかった。
「まあ、ゲイルさまったら初恋ドロボウなんですね。でも、わたくしという婚約者がいるのだから」
「婚約者がいるとゲイルお義兄さまが伝えたとたん『なら、婚約を破棄しなさい』と命じられて……」
「…………………………まあ、我が国の騎士なのに隣国の王女がご命令できるんですね」
どう言えばいいのかと困ってしまって変な感想しか浮かばない。
「で、帰り際にエルトリーザ王女殿下にわたくしがゲイルお義兄さまの婚約者だと勘違いされて呼び止められて……。わたくしの見た目を地味だと鼻で嗤った後にゲイルお義兄さまと別れなさいと別れなかったらそこらの男性に……あとは言えないわねと言葉を濁して脅されました」
「――脅した? ヒルデをゲイルさまの婚約者だと勘違いして?」
まあまあとさっきまでは微笑ましく聞いていられたが、その王女殿下の行いは笑って流せないことのようだ。
繕い中だった服をそっと邪魔にならない場所に置き、机に向かって手紙を二通書く。
「お願いね」
手紙は二羽の白いハトに変化して飛び立っていく。
「ちょっと、ゲイルをどこにやったのよ!!」
いきなり馬車が我が家の門に到着したと思ったら執事が止めるのも聞かずにずかずかと中に入ろうとしている女性の姿。
ああ、これが例の王女殿下だとすぐに理解できた。
挨拶をした方がいいのかもしれないが、目上の者にこちらから声を掛けるわけにはいかないのでどうしましょうと困ってしまうが、執事にこのまま任せるのも問題あるだろうと思って門の近くに向かう。
「やっと来たわね」
腰に手を当てて、
「さっさとゲイルに会わせなさい!! ゲイルにはあんたよりもわたくしの方が相応しいのだから」
ヒルデが婚約者だと勘違いしているという話だったけど、それは解決したのだろう。
「ゲイルさまを隠していませんよ」
「嘘おっしゃい!!」
「ゲイルさまはもともと魔族討伐をメインの部隊で任務をしていたのですが、隣国の王族が留学してきたので万全な護衛のために一時的に王女殿下の護衛になったのです」
隣国が我が国で国交を深く結びたいのは魔族相手の戦いに力を貸してもらいたいため。
そして、我が国の第三王女は聖女の称号を持つ一人なのだ。得意な聖術は結界。王女殿下の張られた結界は常……とはいかないが魔族の侵攻を防いでいる。他の聖女だったら外には出せないが、第三王女なら外に出しても大丈夫だと我が国も判断したから内密に婚約の話を進めている。
だが、その王女殿下にもいくつか欠点があり、その欠点を補うためにゲイルさまが一時的に護衛に入ったが、護衛に入ったことで此度の騒動だ。このまま護衛で居続ける方が問題なのではとゲイルさま自身とゲイルさまの上司には先日手紙を出したので配置換えに口出したと言えばそうかもしれないが、隠す必要性はないので隠したと言うことには否定させてもらう。
(もしかして…………ゲイルさまの戦力も必要と言うことだろうか……)
そのために、ゲイルさまと結婚したいのだろうか。
「そう言って婚約者だからって脅してわたくしとゲイルを引き離したのね。わたくしに取られるのが嫌で」
(取られるのは嫌と言っている時点で奪おうとしていると宣言していますね)
流石にそんなことを言ったら国際問題になるので笑って聞き流す。
「メルリージュさま」
どうしましょうと困っているとわたくしを迎えに来た馬車が現れる。そうそう、王女殿下の相手をしていたので動けなかったが、わたくしは今から仕事なのだ。
「とりあえず、お帰りください」
両親も妹も居ないので留守になる状況にいつまでもいられたら困りますとそっと諭すが、
「!! 分かった!! 今からゲイルのところに行くのねっ!!」
「………………」
「図星ね!! なら、一緒に行かせてもらうわ!!」
こちらの意見も聞かずに馬車に乗り込んでいくのを迎えに来た騎士が困ったようにこちらを見てくる。
「………引き下がらないでしょうね」
とりあえずこの王女殿下のことは報告した方がいいと手紙を用意してすぐに鳥に変化させて飛ばす。すぐに了承と返答が来るので王女殿下を連れて行っても責任を取ってくれると判断して、そのまま連れて行く。
「なっ、何よこれ…………」
辿り着いたのは戦場。とはいっても統率の取れていない小競り合いなのでそこまでひどくない。
魔族は統率の取れた侵攻をしてくる場合と魔族の本能のままに攻撃してくる場合があり、統率が取れている時はかなり危険なので戦える者は全員戦場に向かう必要性があるが、このような小競り合いなら部隊が交代制で戦場に出ていく。
だけど、王女殿下にとっては戦場自体見慣れないのかすでに臆している。
「ああ、ゲイルさまが居ましたわ」
そんな王女殿下に全く構うつもりもないのですぐにゲイルさまを探すとゲイルさまは相変わらず服をびりびりに破いて戦場で大暴れしている。
「ゲイルっ!! えっ、どこっ⁉」
王女殿下が恋する乙女の顔でゲイルさまを探しているけど、何度もゲイルさまを素通りしてあちこち見渡している。
「いないじゃない!!」
「いますよ。あそこで大暴れしているのがゲイルさまです。ゲイルさまは戦女神の加護を受けているので常に戦場の中心にいるのですよ」
「大暴れって……あの化け物みたいなのしかいないわよっ!!」
「ええ。ですから。バーサーカーを使用しているのです」
ゲイルさまは平時は穏やかで美形なのですが、戦場に出ると筋肉が倍以上に膨らんで自分の身丈以上の大剣を振り回して大暴れする方だ。
あれで、統率の取れた魔族の軍の総大将も屠るさまは見ごたえがある。
「メルリージュさま。そろそろ」
わたくしの護衛をしていた騎士が声を掛けてくる。いくら統制の取れていない戦場でも時間が経ちすぎていると心配された陛下がわたくしに戦場に行ってくれと命じられた。
「そうね」
手にするのは巨大な黄金の弓。矢は番えない。それを頭上に向けて掲げると大量の銀色の矢が出現して、わたくしの手に触れる。
空気を裂くような音と共に放たれる矢は、侵攻してきた魔族全軍に刺さって一瞬で消滅させていく。
「なっ、なっ、なっ⁉」
信じられないと指をさしてくる王女殿下はわたくしをただの伯爵家令嬢だと思っていたのだろう。そう、隣国が崇めていない狩猟神の聖女と言われてもお飾りだと思い込んでいた。
「さて、戦争もいち段落したので話し合いましょうか?」
気が付くとわたくしが来たのを知ったゲイルさまがわたくしの元にやってきて力いっぱい抱きしめてくる。ちなみにまだバーサーカーモードであり、全身は返り血まみれだ。
「会いたかった。メルリージュ」
暴走しているなのでわたくしに抱き付いて、戦場の興奮を別のところで抑え込もうとわたくしの服の中に手を入れてこようとするので、裏拳を顔面に叩き付けて調教をする。
「ゲイルさまと婚約を破棄してくれ。でしたか?」
わたくしの言葉と同時に放たれるゲイルさまの殺気。魔族ですら戦意を喪失するそれを正面に受けて、
「あうっ」
隣国のエルトリーザ王女殿下はあっという間に意識を失った。
我が国が魔族の侵攻に耐えられ……いや、有利なのは我が国は八百万の神が力を貸してくださっていて、その加護を持つ者が活躍しているからだ。
だけど、我が国を一歩出ると信仰している人が減少していく影響で加護は消えてしまうので防衛のみしかできない状況。他国に魔族の侵攻に援軍を出してくれと言われても土台無理な話だし、魔族を滅ぼすために攻めに転じることもまた不可能。
そんな無茶ぶりを言ってきた国々に、なら我が国と同じように神を崇めるかと尋ねたら一神教が都合のいい国々がそんなことが出来るはずもなくその話はうやむやになった。
本来なら外に出せない加護持ちであるはずの第三王女が隣国と婚約の話が進んでいるのは、第三王女に加護を与えている慈愛神を隣国もまた信仰しているから。
「第三王女が輿入れできるかもしれない状況がいかに幸運なのかご存じないからこそできる暴挙ですわね」
わたくしを膝に乗せてでろでろのゲイルさまに聞かせるように話を続ける。
「狩猟神という神を崇めていないからこそわたくしのことをお飾りだとか権力を振りかざせばいうことを聞くと思っているようですけど、それ以前の問題ですし、ゲイルさまとの結婚は暴走状態のゲイルさまを抑え込んで理性を取り戻させられる人じゃないと無理なのに」
「見た目だけでそんなこと言いだしたんだろう。昔からそんな女は多かった」
見た目ですり寄ってきたのに暴走状態を見て化け物呼びする女性に傷付けられたゲイルさまはその唯一の例外であるわたくしにぞっこんだ。
一度目を覚まさせるために戦場に連れて行ったが、返り血を浴びて暴れている様はトラウマだったのかゲイルさまに二度と近付かなくなった。
そんな王女殿下の無礼を詫びていたのは第三王女と婚約予定の王子殿下だ。
『一度くらい痛い目に遭わないと分からないので』
魔族の侵攻を他人事のように思って、贅沢をしていた妹に頭を抱えていた王子殿下は父王が安全のために留学させたのを逆手に取って妹に現実を見せつける教育をしてほしいと懇願してきた。
『第三王女を貰うことがどれだけありがたいのかも理解しないで、迷惑を掛けてきたんですよね』
かなりしたたかな王子殿下だったのでトラウマを植え付けたこともこれくらいやらないと理解できませんしとあっさり許された。
まあ、もしトラウマもなく無事だとしても。
「あげませんよ」
その時はわたくしが全力をもってお相手してあげると小さく呟くと聞こえたのかゲイルさまは嬉しそうにより強く抱きしめてきた。
この腕力に耐えられる女性もわたくししかいないわよねと思いつつ強すぎとお仕置きをするのであった。