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【序曲は人知れず闇の中で】

挿絵(By みてみん)



 啜り泣くような声が聞こえた気がした。



 ギッ……ギッ……ギィッ……



 耳障りな音を立てる階段を、少年はできる限り音を立てぬように下りながら先程聞こえた声のことをぼんやりと考えていた。


 階段を降りた先、廊下の奥の台所から微かに漏れる明かりを頼りに、少年は息を殺して静かに便所へと向かう。



「ははは……!! マジだってマジ!! 本当だってば……」


 深夜の台所からは母の上機嫌な声が聞こえてくる。


 廊下に散らばったゴミ袋を避けながら、少年はなおも息を殺して歩いていた。


 台所の母に気付かれぬようにそっと便所の扉を開けると、窓から差す青白い月の光と、汲取式便所のきつい臭いが少年を出迎える。


 月明かりに照らされた便座の上には、首をもたげた一匹の蛆が、ぺたりぺたりと這い回っていた。


 摘んで捨てようと手を伸ばすと蛆がこちらを向いて口を開く。




「気をつけろ小僧……今夜は月が青い……」



 少年は思わず手を引っ込めた。


 心臓がバクバクと音を立てる。



「後ろの正面だ……」



 蛆にそう言われて咄嗟に後ろを振り向いたがそこには何もない。


 再び蛆のいた場所に視線を戻すとそこにはもう蛆の姿は無かった。



 不気味な出来事に総毛立っていると、台所の方から誰かが叫ぶ声がした。



「母さん……!?」


 少年は飛び出すように便所を出て、母がいるであろう台所へと走る。


 すりガラスの引き戸を開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。



「た……すけ……て……」


 見知らぬ男と目が合った。


 端正な顔立ちの若い男だった。


 裸で机の上に縛られた男はめそめそと涙を流している。



 ぬちゃ……


 少年の素足にぬるりとした生暖かい感触がした。


 視線を下げると机の下から流れた赤い血が、引き戸の前で血溜まりを作っている。


 もう一度顔を上げると机の男には《《足が無かった》》。



「足があると逃げちゃうでしょ……?」


 不意に隣から聞こえた声に少年は思わず腰を抜かす。


 血溜まりに尻餅を付いて見上げると、断面から白い骨を覗かせた《《男の足》》を掴んで立つ、母の満面の笑みがあった。



「《《賢吾くん》》は逃げないよね?」


 そう言うと女は男の足をへし折り、骨の断面からとろりと滴る骨髄を音を立てて啜って見せた。



「そう言えば、晩ごはん食べてなかったよね?」


 少年の目の前に屈んで母は微笑む。


「今から作るから……《《手伝って》》?」


 そう言って少年の手を取ると机に拘束された男の前に連れて行く。


「ここから包丁を入れるのよ? 食べる分だけ切り取るの。賢吾くん押さえてて」


 その時、少年と男の目が合った。


 いつの間にか猿ぐつわを噛まされた男が、涙を流しながら縋るように首を左右に振る。


 その姿に少年が身動き出来ずにいると、耳元で母の囁く声がした。


「早く……」


 少年の震える手が男の腕を押さえる。


 激しく身体をのたうって抵抗する男を少年は泣きながら押さえつけた。


 母の手に握られた包丁が、男の二の腕の肉を削ぎ落とした。




「あ゙あああああああああああああああ……!!」



 犬塚賢吾(いぬづかけんご)は自身の叫び声で目を覚ました。


 ぐっしょりと汗に濡れたシャツと荒れた呼吸。 


 無意識のうちに飛び起きた上半身から、虚空に向けて縋るように伸ばされた手。

 

 犬塚は大きく息を吐き出し、伸ばした手で頭を掻きむしる。

 

「くそが……」



 ピリリリリリリ……ピリリリリリリ…… 


 その時ベッドの脇に置かれた端末から呼び出し音が響いた。

 

 犬塚は迷わず端末に手を伸ばすと画面をタップする。



「おはよう《《賢吾くん》》……非番の朝に悪いね」

 

 端末越しに響く陽気な声に顔を顰めた犬塚がうんざりした様子で答えた。

 

「《《室長様》》のモーニングコールなんざ聞きたくねえんだ……要件は……?」

 

「くくく……ほらね。やっぱり怒ったろ?」

 

 どうやら側に誰かいるらしい。


 暗に反応が見透かされていたことを告げるその会話に犬塚は顔を顰めて端末を睨みつける。

 

「切るぞ……」

 

 そう言いながらも犬塚はシャツの袖に手を通していた。

 

「すまないすまない……!! 《《魔障》》の反応があった。だが場所が特定できない」


「厄介な相手か……?」


 犬塚は静かに目を細めた。


「いや。反応はそれほど強くない。どうやら現場近くで特公(とくこう)の連中が派手にやってるらしい……君の《《鼻》》が頼りだ。犠牲者が出る前に犯行を食い止めてくれ」

 


「わかった。場所は端末に送ってくれ」

 

「もう送ってるよん」

 

 犬塚は腕に巻いた端末を確認する。

 

 指定された場所はここから数キロの位置だった。

 

「すぐに現場に向かう。切るぞ……」

 

「ああ!! それともう一つ!! すでに現場に人を送ってるんだ!! その子と一緒に行動してくれ」

 

「ああ!? なんで俺が!? 聞いてねぇぞ!?」

 

 吠える犬塚を無視して課長はカラカラと笑った。

 

「ははは!! 言ったって聞きやしないだろう? 期待の新人なんだ。よろしく頼むよ! 《《賢吾くん》》」

 


 ブチっ……

 

 無言になった端末を見つめて、犬塚は肩をわなわなと震わせながら吐き捨てた。

 

「くそが……」

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