第92話 異変
お茶会がひと段落して、予定通り景斗の部屋にやってきた俺と景斗さん。俺はもうすでにベッドでログイン準備を進める明理さんのことが、とても心配になっていた。普通は解毒剤などを処方してもらうことが一番だが、彼女はそれをしなかった。
身体の仕組みが普通の人とは異なるのだろう。景斗さんも何事もなく見ていたし、亜蓮さんも気にする素振りすら見せなかった。
この状況で明理さんの身に何も起こらなければいいんだけど、というような考えは溶けた鉛のようにへばりついて安心感を与えてくれない。
「翔斗! 点字の勉強始めるよ!」
「で、でも明理さんが……」
「まだ片翼様のこと気にしてるの? さっき黒白様が『不死身だから大丈夫』って言ってたのに……」
(呼び方元に戻ってる……)
やっぱりその呼び方が癖になってるのだろう。きっと彼にとってそれだけ偉大な人なのかもしれない。俺はさすがにそう呼ぶことはできないが、その肩書を俺もほしいとまで思っている。だけど、なぜ3龍傑はそのように呼ばれているのだろうか?
紋章とも関係があるのだとしたら詳しく知りたい。景斗さんはカラーボックスから何やら大きめのボックスを持ってくる。そこには、半透明なシートに小さいブツブツがついたものが大量に入っていた。
そして、しばらく前――と言っても1週間ほど前だが――にも見たちょっと変わったペンを持ってきた。ブツブツの大きさに合わせたアタッチメントを取り換えている。
大きさは3ミリくらいだろうか。それに合ったシートとその大きさがしっかり入る15行のノートを用意。さらには点字で書かれた教科書まで持ってきてくれた。俺はその教科書を見るが、どこも真っ白で何が書いてあるかわからない。
もっとわからなかったのは、この前景斗さんが書いていたノート。もちろんそのノートも見せてくれたが、やはり何が書かれているのかさっぱりだった。
「今日は新しいノートにハエトリグサ戦のおさらいを書こうかなって。と言ってもおれは行ってないから、翔斗が見たこと全部教えて」
「は、はぁ……。それよりも、点字の読み方を知りたいんだが……」
「あ、忘れてた。ちょっと待って探してくる」
そう言って再びカラーボックスの方に向かっていった。そこから取り出されたのは、比較的薄い本だった。
開くとしっかりとした文章で書かれている。点字の打ち方、点字用ピンの刺し方。読み方など全部説明されていた。
「せっかくだし。その本あげるよ」
「え!? で、でもこれないと書けないんじゃ……」
「大丈夫。おれは丸暗記してるし。ダブって買った本を亜空間に保管してるから」
「そ、そうなんだ……」
多分俺が貰っても使い道はない気がするが……。まあ、とりあえず貰っておこう。その方が景斗さんも喜ぶはずだ。
「わかった。この本貰うよ」
「じゃあ、このセットも付けとくね」
「このセット? って」
「点字キットだよ。もし翔斗が点字マスターになったら、秘密の手紙みたいにしたいなぁって」
「が、頑張って、みる……。みます……。景斗さん……」
(あぁー。なんなんだ自分の自信なさげな発言は……)
俺は点字には興味はないし。ただ単に相手が機嫌を損なわないように受け取っただけであって、本気で勉強する気なんてどこにもない。
ただでさえ受験勉強やら就活やら忙しい時期なのに、大学生は余裕がありすぎる。いや、たしかに余裕がない大学生もいるが、高校生の俺から見れば自由度が高い。
「あ、この項目勉強するの忘れてた。学校の先生からの返却はないから……」
「景斗さん。景斗さんは学校の授業も点字でやるのか?」
「うん。基本的にはそうだね。そのせいでよく先生や講師に怒られるけど……」
「大変だな」
「おれは点字の方が楽なんだけどね」
「いや。そういう問題じゃないだろ」
点字ひとつで迷惑かけるなら、そもそもやめた方がいい。だけど、彼は目が見えなくなることがある。やっぱり点字は切っても切り離せない存在なのだろう。
『もしもし。翔斗さん聞こえる?』
どこからか1人の女性の声がする。この声は明理さん? でも、明理さんはゲームの中なんじゃ……。
その答えは景斗さんが教えてくれた。どうやら、明理さんは場所を越えた通信魔法が使えるらしい。
つまり、ゲーム内から現実世界に直接接続できるということ。3龍傑ってすごい。
「はい、明理さん聞こえています」
『そう、よかった。ちょっと今やってるゲームでトラブルが発生して……』
「トラブル?!」
『うん。ちょっと明日までにクリアできるかわからない』
「わ、わかりました。結人さんにも伝えて……」
『もう伝えてあるから大丈夫。トラブルって言っても、ゼレネスの毒で脳が少し麻痺してるだけだから』
やっぱり不死身の人にも、毒が効果あるんだと思った。だけどここで矛盾がある。脳が麻痺しているなら、通信魔法は使えないはず。
なのに、明理さんは使ってきた。やっぱりおかしい。俺はまだ通信魔法が切れてないことを確認して問いかける。
「明理さん。本当に脳の麻痺なんですよね?」
『うん。そうだけど?』
「では、それだと通信魔法が使えないんじゃないんですか?」
『逆式魔法使ってるから関係ないよ』
「逆式魔法ってなんですか?」
『結人さんに聞いて。こっちは取り込み中。切るよ!』
「あ、はい…………」
こんなので明理さんは大丈夫なのだろうか? 彼女がゲームにどんな執着を持っているのかはわからない。
でも、誰かを信じる。きっと戻ってきてくれると信じれば、戻ってくる。そう思えたのは、ここにはいない亜蓮さんのおかげだった。
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