第9話「グレガリオの長」
「まぁ、この方法は習得しなくていい。どうせ出来ない」
「でしょうね…どんだけの研鑽で辿り着けるのか分からないそれを、ほんの数日で出来る訳がない」
「そ、だから流れの上書きで妥協を打つ」
またおかしなことを言い始めた。
「上書きなんて簡単だろう?まだ放出していない場合は、相手が考えているイメージを阻害する。放出しているのならば、流れそのものを阻害するために別の流れを作るだけ」
言わんとしようとしてることはわかるけど。
ただ、やってみろと言うのはまた話が変わってくる。
「んー、実践した方が早いか」
そう言うと、テクテクと僕から離れていき、声が聞き取れるギリギリの距離に留まる。
そのまま片手間に火の玉を作り出された。その球体は徐々に尖り、そして鋭い錐に変わり、こちらに向けられた。
「これが今までの。んでもって」
鋭い錐状に変わった火は、少しずつ膨らみ始めた。特訓した甲斐があり、流れを視認できるようになったからより詳細にわかる。
流れは少しずつ乱れていき、球体から錐に変わる工程と真逆の工程を踏んでいた。
そのまま周囲へ魔力の供給を阻害するように、流れを作る。すなわち…
自然消滅した。
「こうなる。今のお前さんなら何となくわかるだろ」
「はい…だけど流れを上書きする方法がわかりません」
「あー言い方が悪かったね。別に元の流れを乗っ取るために上書きしてる訳じゃないんだ」
?マークが頭の中を駆け巡っていたが、お婆さんが論より証拠と言いたげに、同じ事を再度行う。
「今までのは球体から錐に変わる時の流れを作る」
そんな適当な調子で錐状の火が出来上がる。
「その周りに、全く異なる流れを作る」
魔素の流れが持っている独特の雰囲気を、目で見て感じる。
「後はこの流れに乗ってきた魔素が、相手が作った流れに乗った時、相手がイメージしていた魔法と変わっていれば、霧散させたり膨張したりする訳さ」
その大事なところがまた一瞬で終わり、何故かドヤ顔でお婆さんはこちらを見てくる。
「…掻い摘んで説明すると包み込むように新しい流れを作って、それによって生じる誤差で形状を変化させるってことですね?」
「そー、頭がいい奴は言語化が早くて便利だな」
「他の人に、伝わらないとか言われませんでした?」
「よくガキどもから、もっとわかりやすくって言われてたな」
ガハハ笑っているが、その子達がとても可哀想に感じた。
「んじゃ、私の魔法を上書きしてみな」
そう言って突発的に放たれた魔法は、これまで見せられてきたどの魔法よりも威力が高く、流れが複雑だった。
こっちが嫌だとか、やめてとか、そういう言葉を遮るように、魔法は加速する。
既にお婆さんの手から離れているそれに直撃すれば、木っ端微塵になることは容易に想像できた。だからこそ無数の水で出てきた壁で防御しようと…する…けど…
お婆さんはとてつもなく退屈そうな顔で、こちらの行動を見ていた。
その一瞬の出来事によって、身体が予定していた行動を全て変更する。
無数の壁ではなく、無数の流れを作っていく。
あくまで魔法の消失を狙うようにそれを行う。
手に持っていた杖なんて無駄な工程で時間を食ってしまうだけ。なら最初から。
「そう、それでいい」
魔素を掴む。
目の前に広がる景色に、ただ右手を動かすだけで何も意味を為していないように見える。だけどその右手で直撃するまでに無数の流れを作る。
ギリギリまで作っていたその右手の指へ、熱を感じるところまで近づく魔法をギリギリ掻き消すことに成功した。
僕は自身が行ったその事象に驚き、右手を見つめる。
「お前さんを錬金術専攻させていた師匠とやらは、まずは土台作りに徹していたんだ。
幼い頃から便利な魔法を使えば手を抜くし、便利と言って乱雑に使用すれば、過負荷によって器官が壊れてしまう。何かを代償にしなくてはいけないなんて、そんなものは魔法じゃない」
遠くにいるお婆さんが何か呟いている。
ただ、そんなのは耳に入らない。今の感覚をすぐに覚えなければ、忘れてしまう。
「魔術なんて魔法からの逃げ道じゃない。同じく才能ある者だけの道…だが、まぁ、そんなことよりもこっち側にやっと足を踏み込んだようだね」
お婆さんから近づいて来て、やっと聞こえるようになった言葉よりも、自分で作った魔法をどうすれば掻き消せれるのか躍起になる。
「まずは、三つある大道が一つ。
ようこそ、魔法の世界へ」
ーーー
「グレガリオの長と戦いな」
上書きを自分で実践したその後、お婆さんから無数の魔法を放たれ、その度に上書きを行って掻き消した。
頭で理解し、身体で実践出来るようになった時に、お婆さんはふとそんなことを言ってくる。
「グレガリオの長?何ですかそれは?」
何かよく分からない単語だけど、長ということはその中で一番強いって生物なんだろうと予測は出来る。
けど、それが人の集団なのか、はたまた…
「ここら一帯の魔獣の長。それも外敵にわざと接敵して、その敵の強さを己の種族に伝える魔獣らの長だよ」
「…いまいちピンと来ないんですけど、どういうことですか?」
「ざっくり言えば、魔獣の斥候達が集まって会合する。そんな奴らの長さ」
「魔獣の中でも会合とかあるんですか!?」
「そう、人が魔獣を恐れてるのは、何も被害の多さだけじゃない。徒党を組むまでなら誰だって対処出来る、だがこちらの危険度を測って機会を狙う。そんなのは人間じゃないか。だからこそ多くの討伐願いが出るんだよ」
服の中に入れていたのか、紙を取り出してこちらに見せてくる。そこに記載されていたのはギルド?の討伐依頼、対象は『グレガリオの長』と書かれていた。
「お前さんが中央地に向かった時、最初に入った城があるだろう?そこら周辺はイルク地方って名前で、その付近にあるギルドが発行している紙さ。
基本的に、イルク地方がこの南地、ファクルを統括して、周囲の地方へと食料だったり情報だったり、色んなもんを出しているのさ」
「へぇ…そのグレガリオの長ってのはどこに?」
とりあえず、話がいい感じに脱線してきたので少し軌道修正してみた。これで、さらにいい感じに説明だけして日が暮れてくれれば…
「お前さんの後ろだよ?」
その目論見は消し飛んだ。
ーーー
真後ろにいたのは身体が僕の三人分ほどあり、身体の側面にある六本の手足で動く、皮膚が蒼白い何かだった。
来た方角を振り返れば、身体を引き摺って来たのか道は抉られ、その手で掴んだのか周囲の岩や木々は粉砕されている。
「まぁ、そいつは喋れないが人語はわかる。駆け引きも出来るし、あの体躯に加えて魔法すら使える」
何かに夢中なのか、未だこちらを見ていなかった化け物は、急に身体を停止させる。
「ましてや魔法、魔術の中でも他者のイメージを強要させて効力を強くする共感系統はもちろん効かないし、陣系統は敵が硬すぎて傷つけないし、そもそもデカすぎて入らない。そこを踏まえて、魔法師の登竜門とも呼ばれてる」
独り言をペラッペラと喋り散らかすお婆さんへ、首をグルンと向ける。
「そんな敵だ。勝てるだろ?」
その言葉を最後に、後ろのお婆さんへ蒼白な脚が振り落とされる。ドスンっと重い音が周囲に響き渡り、ついでと言わんばかりに、『何か』が押し潰れたような水っぽい音がした。
僕が呆然と立ち尽くしているとその化け物は、こちらに二つの紅眼を向けてくる。道中で敵対したイノシシ三匹とは比べ物にならない程に、心臓が激しく脈を打つ。あの時よりも対抗する術は確実に増えている。
だが、肝心な意思が固まらない。
恐怖で身体が硬直し、冷や汗が止まらない。そんな時だった。
「どこ見てんだい、鈍間」
お婆さんの声が地面に減り込んでいる蒼白な手の下から聞こえた。
次の瞬間、重しになっていた腕が粉々に吹き飛ぶ。
「敵を踏ん付けた音と、自分の手が細切れにされた音を間違えるもんかね…これだから狩られる側のままなんだ」
化け物の攻撃によって出来上がった窪みからヨイショと一言を発して登ってくると、どこからか持ち出された捻り曲がった杖を草原へと突く。
「危険をいち早く察知する奴らの長だろ?それなのにこの為体は、一周回って驚きもするよ」
半ば呆れたようにお婆さんが突いた草原は巨躯の化け物へと目掛けて亀裂が走る。徐々に広がるその地割れは、そのまま対象を地面の中へ落とし込む。
「まだ残っているその腕で登れるだろ?ただの時間稼ぎなんだ、さっさと登れ。今回のお相手はアタシじゃないんでね」
落ちた瞬間、慌てていたけど残されたその手足を使い、よじ登ってくる。だけど少し変わってしまった身体に苦戦しているのか、中々登れていない。
「エバ、お前さんからもなんか言ってやりな?」
そう言って僕の肩を叩き、そのまま後ろへ行ってしまう。
次はお前さんの番な?とでも伝えたつもりなのか、すれ違い様に見たその顔は楽しそうだった。
「グォォォオオオオオ!!!」
登り切った化け物は雄叫びを上げる。
まるで、僕なんか眼中に無いとでも言いたそうに、後方を睨み付けながら煩く騒ぐ。
「…やってやる」
冷や汗を拭い取り、立っているその位置から、瞬時に足で魔術式を描く。簡易的なそれは『上へ迫り上がれ』としか命令式を落とし込めていない。
そんな最中にも、眼は勢いよくギョロギョロと動く。お婆さんを攻撃する手段として利用出来る、そんな何かがこの場にあるのか探しているように。
「他所は他所、ウチはウチ。だよねお婆さん」
未だに動こうとしない化け物を横目に、あちこちに魔術式を作り出し、そして順次発動していく。
どうやらそれが視界に入ったのか、やっと走り回ってるこちらへと目を向けてくる。
用意出来た数は少ないけど、僕個人を数回隠すことは可能な筈。
さて…
「逃げよう」
迫り上げた複数の土の壁をわざと利用せず、直線的に逃げる。
お婆さんを攻撃した時の速度が通常なら、明らかに追い付かれる。知性があるのなら誘ってると理解する場面だけど如何に?
チラリと後ろを観察すると、化け物がそれはそれは単純に動く。直線上に飛び上がり、そのまま腕を振り上げて、攻撃してきた。
予想していた内の一つだったからこそ、横へ転がり避けることは出来たものの、一番安易な予想が実践されると少し戸惑う。加えて、攻撃速度は予想外であった。
「ということは…」
考えられる化け物の思考は、『深く考えていない』もしくは『餌としか見てない』の二択。
「これだと?」
久しぶりに腰へぶら下げているナイフを鞘から抜く。特段、何か特別な魔法や魔術を行なった訳ではない。単純な殺傷能力を自分自身に付与するだけの武器をそのまま構え、敵の出方を伺う。
行動原則がまだ予測の域を超えないため、現状一番の脅威になる速攻が来ることを念頭に置き、身構えた。
前後左右を一度確認し、上からの攻撃を最大警戒して正面に立つ化け物を睨み付ける。
だがその予測も裏切られた。
いつまで経っても身体を動かさない、いやよく見ればジリジリと少しずつ後退している。
「刃物が嫌い…というより」
その動作からお婆さんによって腕を斬られた恐怖が伝わってくる。
二つの紅い目はまたギョロギョロとあっちこっち動き回っていることから、今度は遮蔽物を探しているってなんとなく分かるけど…
「その胴体に合う遮蔽物はない、よ」
僕自身の身体を隠すぐらいの遮蔽物はあるが、この化け物には無い。
そして何もして来ないのであれば、こちらから仕掛ける。
化け物は目を逸らしていたこともあり、目の前までやってきた僕に対して身体を上方へ跳ねらせ驚いていた。
そのまま五本になった腕の一つへとしがみ付き、ナイフを五回ほど振り、斬り落とす。
こちらの耳が切り裂くような絶叫を耳元で発して、遂に脅威と認識したのか尻尾を叩きつけて間合いを取るように跳び、着地後その位置からさらに後退する。
「そういうことなら、あれも使えるし丁度いいね」
化け物を倒すための策はこの短い刃物ではない。
だからこそ、戦闘が始まる最初に隠した物を拾うためにも、さらに間合いを詰める。
だが…
「やめな!」
後ろから短く発せられた言葉へ、引っ張られるように足を止めると真上から火炎が降ってくる。
広範囲に渡って分散したそれは、用意していた壁の半分以上に当たり、溶かし尽くす威力だった。
どうやら飛んで後方へ下がると同時に、攻撃を仕掛けたようだが、全く気づかなかった。
何より、これだと壁を使っても間合いを詰めれない。
口から放っているのか、腕から放っているのか、その種を把握せずに突っ込むのは危険な上に、化け物もそれを理解しているのか再び火炎を使おうとせず手法を隠している。
口だとすると、放つ前の動きから予測も出来るだろうけど。
手足だとすると、足と一緒に身体を支えている二本を除いた腕なのか片方ずつで行えるのか放つ瞬間までわからない。
かと言ってこのまま時間が過ぎれば、体力を回復したい化け物に都合が良くなってしまう。だからこそ一か八か、前に出る。
「クソ、二つか!」
結果から言うと、構えたのは口ではなかった。
残された二本の腕を前に突き出して火炎を作り、走り回るこちらに向けて複数の魔法を放ってくる。その光景を睨みながら躱すのでも、壁に隠れるのでもなく、さらに前へ向かった。
今回、放ってきた火炎は精度が酷く、あらぬ方向へ飛ぶのが多いのを確認し、その中の一つへと試しで上書きを行うが、そもそもの威力が高いためか、こちらの操作を掻き消されてしまうのを視認する。
悪態を吐きながら、一番最初の土壁の裏まで走り、ナイフを鞘に仕舞い込み、当初の目的である杖を掴み取り、相対する化け物を見る。
攻撃を終えたばっかりと言うのに、化け物は畳み掛けるように次の火炎を構えていた。そして僕の予感でしかないけど、次は外さないと思う。
対してこちらに残る壁は目の前にある一つだけ、そしてトドメを刺せる攻撃は戦ってみた感触から多くの手順が必要になる魔法のみともわかっている。
それを放つ為にも、純粋な推進力で飛んでくるあの火炎を上書きや障害物では以外の方法で乗り越えないといけない。
やるとしたら、お婆さんが見せた未だに発動条件が不明けど、魔法を消失させたあれに全てを賭ける。
しかないけど、そんな判断は…
出来ずに、まず壁の後方へ移動する。
壁は貫通、もしくは蒸発し破壊されて負けるという可能性を理解し、最後の確認を行ってから左手を犠牲にしてでも僕の攻撃を行えるように段取りを始める。
それとは対照的に、こちらの行動を見た化け物は勝ちを確信したのか、立派な牙を見せびらかすように剥き出しなまま、下準備した二つの火炎を一つに合わせて放つ。
前方で火炎と衝突した壁は、予測していた熱による蒸発で消えて無くなり、火炎そのものは減速せずに眼前までやってくる。
その火炎に対して、左手をさらに前に出し、その時が来ることへ身構えた。
しかし、火炎が消失した。
まるでお婆さんが実践したように。