第5話「浮かび上がる一つの疑問」
見知った天井だ。
僕はハッと瞼を開け、最初に映った光景を見てそう思った。
着ていた服は雨と泥で汚れてたのを覚えているけど、いつの間にか服は変わって、アルマやお婆さんが着ているようなアオザイの黒を基調とした物を着ている。
そんな着替えた服も既に汗で湿り、激しい動悸を感じる。夢の内容なんて覚えていないけど、あの光景が絡んでいることはなんとなくわかった。
未だ、鮮明に思い出せる光景が頭の中でチラつく。たったそれだけで身体は膠着し、感情は死んでいる。
「…これからどうすればいいの?」
ボソッと呟き、両手に顔を当て呻き声を絞り出す。こんなことをしても変わらない、変わらないけど他にどうすればいい?
助けてくれる人も、復讐する相手も、何もない。ただただ孤立した子供だ。
側から見れば、迷子と同じようだけど、実際はより深刻だと思う。
他者が入り込み、助ける手段となるそのきっかけすらもない。
「母さん…」
また虫が鳴くような細い、それでいて震えた声で言葉を呟く。
そのまま布団に身体を預けて、何もせずに時間を過ごそうと考えていた。
「会う度、辛気臭い雰囲気漂わせてるね。換気するよ」
直後、バサッと入り口の布をめくり、入ってきたその人はすたすた歩くとに木製の窓を開けた。
「…どうすればいいんですか?」
「何がだい?」
僕自身でも、何を聞いているのかわからない。だけど、聞くしかなかった。
じゃなければ、誰も僕のことを目もくれず先へと歩いて行ってしまうから。
だけど同時に、名前も知らないお婆さんへ縋ることがおかしいことも、僕はわかっている。
けど…なら…僕はそもそもここに必要なのか?
誰からも必要とされていないし、誰からも覚えられていない僕は、こんな場所に図々しく存在していいものなのか。
だからこそ、僕でもどう答えて欲しいのかわからないまま、漠然とした問いを掛けてしまった。
固まっているお婆さんの目を見つめながら、次の問いへ移る。
「…何か、出来ることはありますか?」
「あー、いや無いな。アルマがなんでもやる子でね。基本あの子に任せてんだ」
だけど、目の前にいるお婆さんも必要としない。布団の上で動けない一人の子供から顔を背けて返答する。
それもそうだ、助けた初日にあんな態度取ってそのまま出て行こうとしてた子供なんt…
「話を少し変えるが、何をどうしたい?」
さっさと出ようとするその身体をピタリと止め、こちらを見ずにお婆さんは、問い掛けてくる。
「何を…どうしたい…ですか?」
聞かれた問いに、答えがサッと出てこない。
僕にはもう何も残ってないし、したいという感情が湧き上がってこなかった。
何も出来ずに、このまま腐ってしまうから何か指示をもらいたい、ただそれだけなのに…
「あん?簡単なことさ。たらふくご飯が食べたい。どこかへ旅をしたい。綺麗な景色を見てみたい。ハンターになってみたい。武器を作ってみたい。まだまだあるぞ?本当に、したいことはないのか?」
お婆さんが適当に挙げた項目のどれにもピンと来なかった。したいことは一つあるけど、それはもう叶わないと思い、口を無一文字にして黙り込り、顔を布団へと向けてしまう。
「…本当に無いのかい?そりゃ困った、お前さんぐらいの子供は夢でも持ってるのかと思っていたんだが」
「…夢?夢なんてないですよ…」
「そうかい、夢のない子供なんて子供じゃないよ」
バサッと布が閉じられた音がする。
俯いていたから出口の方は見ていなかったけど、見放されたと、そう直感で感じた。
誰かの操り人形になった方が楽だと、短絡的な結論をそのまま行おうとする子供を見限ったのだと。
僕も目の前でそんな子がいたら、同じく見捨てると思う。何か役目を与えることは出来ても、その子、その個人が失ってしまった物まで取り戻すことなんか他人には出来ないのだから。
もし出来るとしたら、その人は…
「なーに話は終わったみたいな顔してんだい。ここからが本題じゃないのかい?」
目をパチパチと開け閉めする。
諦めたと、見捨てたと勝手に思っていたその人が、顔を覗き込みながら声を掛けてきた。
「夢がない、そいつは困った。なら夢を作ろう」
気軽にそう結論付けた。
希望を、夢を持っていない子供に対して。
「とは言っても、そこら辺は自分で適当に見つけな。年寄りが押し付けた夢なんて夢じゃない。それは、ただの束縛さ」
そう言うと、そのまま出て行ってしまう。
何やら美味しそうな匂いがするに、ご飯が出来たから切り上げたようだ。
そうして僕も自然に布団から離れて、いい匂いがする方へ歩き出す。
ーーー
「そこら辺にいた『ワルドべ』って言う動物の肉に、栽培した野菜を盛り合わせた」
アルマが、端的に説明したその料理は、最初に食べた即席焼肉と打って変わり、ちゃんと下処理をし、素材の味を活かした調理をしていた。
肉の主菜と複数の山菜から出来たと副菜、小麦から取れた白米、そして最後に汁物があり、東地でよく言われる一汁三菜が目の前にある。
量を食べる城での料理と比較するとしたら、ここは質で食べると言った方が正しい食事だった。
「アルマが本気出したらこうなるが、あん時は急だったからね」
二人の所作に合わせていただきますと言い、ご飯を食べる。昔から食事中、話すのは厳禁とされていたけど、僕だけしかない決まり事らしい。
二人は、というよりお婆さんが一方的に喋って、アルマが頷くと言う会話をしている。
「ところでお前さん、名前はなんて言うんだい?」
「今更ですか?」
「今更も何も、お前さんが勝手に出て行ったんだろ」
…そう言われると反論できない。
実際に出て行ったのは事実で、名前を言う時間がなかったのも本当だから。
「僕は、エバ・アルバート。シセル・アルバートの息子です」
答えると無言が続いた。
二人とも食べるのを止め、何か考えている。
そんな二人に戸惑いながら、あたふたしているとお婆さんが口を開く。
「そうかい、あの男の息子か。なら母親は?」
「?、エルマ・アルバートです」
そう受け答えるとお婆さんは、すぐさま隣に座っていたアルマの方を見る。
アルマはいつの間にかご飯を食べており、お婆さんと目が合うとちょこんと首を傾げてた。
「そうかい。お前さんのことが少しはわかった気がするよ」
頷き、僕もご飯を食べ始める。
少し考え事をしているのか顎を触りながら、黙っているお婆さんが、ふと思い出したようにまた質問をした。
「ところでなんでホワート城なんか向かったんだい?」
ーーー
ホワート城。
それは、中央地で僕が住んでいた場所。
思い出が詰まっていたそこは、もう誰もおらず、廃城状態だったのを先日確認した。
「えっと、ホワート城に住んでいたからです。そしてあの光景を…」
丁度、ご飯を食べ終えたから良かったけど、あまりいい気分ではなくなった。
だけど、次の言葉で話が、状況が一転する。
「ん?ホワート城に住んでいた?あの城は名前を付けられたその日には廃城になっていたのに?」
時間が、止まった。
ということは、今まで自分はなぜあの場所にいたのか。
そんな問題が浮かび上がる。
「え、廃城?だけど僕は住んでましたよ?」
「記憶が正しければ、国王が命名したその日に、欠陥があるだなんだ言って廃城になったはずなんだが?」
視界が歪む。
なら、あの光景は何だったのか。
どれが正しく、どれが間違いなのか更にわからなくなる。
「なら住んでいた人たちの名前はわかるかい?」
「…?はい、全員までは言えませんが家臣ぐらいなら」
「他の場所で生活は?」
「ありません」
それを聞いて、なら…と呟いて俯くお婆さん。
この状況を放置して、アルマはモグモグとご飯を食べ進める。
「エバ、お前さんみたいな子供も含めて少なくない人数を救ってきたが…たまに居るんだ、親しい人の名前を忘れてしまう人が」
親しい人の名前を知らない?
どういうことか理解が出来ないものの、少し心当たりがあるような気もする。
首を傾げているとお婆さんは、さらにこう告げた。
「この問題は自身と関わった人数が少なければ少ないほど顕著にわかる。場合によっては精神崩壊するレベルでな。
ただ、お前さんみたいに城や城下町で多くの人と接触してるのは物忘れのような感覚に陥ることが大半だ」
説明されても、気掛かりは何処かに引っ掛かったままだった。ただ、もしお婆さんが言ってることが正しければ、一切思い出すことが出来ない人と過去に接したことがあるのならなんで酷い話だろうと思う。
「…お前さんにはこの話はまだ早かった。さぁご飯も食べ終わったし、片付けして夕方まで色々教えるよ」
そうやって僕の理解を待つことなく、早々に話は変わっていき、次へと向かう。
ここで聞かなければ、思い出したくないあの光景のように後悔すると思う。
ここで聞いてしまえば、深く知らなくて良かったことを永遠と悩むと思う。
そんなことを考えながら、僕は後者を選んで食べ終えた食器周りを片付け始める。
ーーー
夕食の片付けを終え、布団に倒れた。
今日あったこと、昨日起きたことを思い出して、自分の知恵として蓄える。
ただ、どれだけ大切な物であっても簡単に忘れてしまうことがあるらしい。もしそんな機会があったとしても、金輪際ごめんだとも思った。
そんな一日を終える。