08 穏やかな日々は
卒業の1か月後、すなわち結婚の3か月前に王宮へ入ることとなった。決まり事を事前に学ぶためだと王太子殿下がいう。
侍女としてナターシャさんが付いた。あのピンクブロンドの男爵令嬢だ。一瞬、愛妾にしたいのか、とも勘繰ったが、今は殿下を信じることができる。根拠は無いけれど……。
部屋は王太子夫妻用として用意されたものだ。真ん中に寝室があって、その両側に殿下と私の部屋が続いている。そして、その日から同じベッドを使うのだという。げっ、早すぎないか? ナターシャさんに訊ねると、はっきりとは断言されないものの、どうもシキタリではないようだ。人身御供を見るような目で眺められてしまった。はははっ。覚悟はしていたが、王宮初日からというのは辛い。
晩餐は国王夫妻とで四人が揃った。国王様は、あの日のドレスをまた誉めてくれた。王后様は昔話で座を盛り上げてくれた。それによると、どうも私は、だいぶ前から狙われていたらしい。理由については言を濁された。
その後、侍女軍団に磨き上げられて寝室で待つこととなった。直ぐに殿下がやってきた。
私には一つ、了解していただきたい事があった。同好のお姉様方から助言を受けていたことである。ベッドの上で三つ指をついた。
「乗馬を嗜んでいたことで私は処女である証を失っている可能性があります。王家は血筋が大事ゆえ、大変に心苦しく存じます。偽るわけではありませんが、お許しいただきたくよろしくお願いいたします」
「君の行状は、全て詳細に調べがついている。気にすることでは無い。安心して欲しい。今日は疲れているから、手を繋ぐだけで休もう」
私は、また泣いてしまった。ほんと、涙もろくなったものだ。もう、悪役令嬢の看板は完全に降ろさなければならない。その夜は赤ん坊のように安らかに眠りに落ちた。
殿下とは、ほとんど会話を交わさない。必要なことのみ喋る。私は傍にいられるだけで満足なのだ。無能な振りをした理由も、二度の婚約破棄騒動の件も尋ねない。必要なら話してくれるはずだ。説明してくれないということは、必要が無いということ。私は全てを信頼して全身全霊を委ねている。
翌日、無事、繋がることができた。あの日のように、一発だけで云々などという妄想は全く湧かなかった。逆に、殿下の子を身籠ることに必死となった。なぜか、急いでいる風を感じ取ったのだ。報いなければならない。
私の声に彼が反応すると判ったので、声色とか音程、タイミングを工夫した。口を大きく空けたり仰け反る仕草も効果的だった。事後は大事な子種をこぼさぬ様に務めた。
そして目出度く2か月目に妊娠することが出来た。両陛下にも喜んでもらえた。結婚式の1か月前だった。結婚式は大事をとって簡素に執り行われた。国を挙げての慶事ではあるものの、大金を費やしての王室行事は控える雰囲気もあった。十月十日の月が満ちて生まれた子は王子だった。今度は大々的に発表された。王太子が結婚していたことを初めて知った向きも多かった。その後、続けて、王女、王子と産んだ。全部で3人だ。
私は頑張ったのだ。
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侍女についてくれたナターシャさんは優秀だった。とてもよく気が付いて、私が妊娠中にツワリが苦にならなかったのは偏に彼女のお陰だ。手紙の代筆もこなしてくれた。私が主催するお茶会の首尾も滞りなく仕切ってくれた。それはそれは、よくできた方なのだ。手際が良すぎて、殿下の用事まで引き受ける始末だ。もちろん、私が焼餅を焼くようなことは決して無い。
お年頃だから、「良い縁談を紹介しましょうか」と投げかけると、「私の生き甲斐は、両殿下が健やかにお暮しいただくことだけです」と固辞された。何かあるのかもしれない。こちらも助かるので、深くは追及しないことにした。
女性騎士のマチルダさんは、しばらくして同僚の騎士と一緒になった。歳が2つも若い相手と知って、彼女らしいと思った。結婚後も私の護衛は続けていただいている。女性騎士は5人体制となったから、彼女の負担は軽くなっている。
弟のコーネリアスは、隣国ヴェストに留学したまま、そこで王宮の官吏となった。向こうの国王に気に入られたという。跡取りはどうするのかと父に問うと、
「必要なら、遠縁から養子をもらう。どうせ貴族なんて無くなる」
確かに、時代が大きく動いているのだ。
殿下の父親である国王は、持病が悪化して離宮で療養することになった。王后も同道するという。跡取りの孫が二人も生まれて安心したこともあるのだろう。しばらくして譲位がなされ、王太子殿下が即位した。私は王后だ。
それと同時に我が父上は、宰相を辞した。宰相が王后と父娘では権力が集中してしまうと危惧したようだ。その跡には公爵家を継いだアンドレが就任した。
ははっ、あの日に妄想した“女帝”は完全に無しだ。新国王は凛として、たくましい。並んで歩くときは一歩引いた。日常でも良妻賢母に徹した。私は幸せの絶頂といえた。
乗馬云々の件は、単に作者の妄想です。テニスでの例は知っています。




