05 成長した弟が眩しい
ヒロインの弟が登場です。
1週間後、隣りのヴェスト王国から弟が帰省した。5日ほど、家で期末休暇を満喫し、すぐまた留学先へ戻るという。
「あれっ? 姉様。どうしたの。元気ないよ。姉様にドヤされないと、家に帰ってきた気がしないなあ」
「そうなのよ。コーネリアス。食欲も落ちているのよ」
母が応える。弟は祖父の名を継いでいる。
「でも、フトッ……、いやフクヨカになられたのではないですか? 姉様。なんかこう、体形が丸みを帯びてきたというか……」
こらーあ。乙女のセンシティブに触れるな。モテないぞー。でも、一瞬ヒヤリとした。まさか、あの夢が本当は現実で、身体の奥深くに撃ち込まれた水鉄砲が、実を結んでいるとすれば……。無い無い無い。夢だ夢。処女受胎なんかも有り得ない。
「そうだ、姉様。街を散策してみませんか。気晴らしになりますよ。ボクも街の変わり様を見たいし、一緒に出掛けましょうよ」
「そうなさい。今日はマチルダさんの手が空いている様よ」
そこまで言われたのなら行かざるを得ない。マチルダさんは王宮から派遣されている女性騎士で、王太子の婚約者になった私が乗馬を嗜むと知って志願して来てくれた方だ。このように、彼女のお仕事の場を設けるのも、お願いしている負い目よね。もう一人、男性騎士を頼んで、弟を含めて4騎駆けとなった。私たち姉弟は乗馬服に身を包んだ。
馬上から眺める王都の町並みは美しい。街路樹も整えられている。様々な馬車が引っ切り無しに行き交う。その中を、ゆっくりと進む。道行く人々は我々を唖然と眺めている。そりゃあこのご時世、4頭というのは珍しい。それも2人が女性なのだ。
王都をぐるっと一回りして中央広場に到着した。馬留め杭に手綱を結び付ける。大きな噴水が見事だ。大きさと言い、吹き上がる水柱と言い、この国随一だろう。水しぶきに虹が出ている。
弟と並んでベンチに腰を下ろす。騎士の二人は離れて座った。周りにはいくつか、屋台が出ている。食欲をそそる匂いが漂ってきた。
「姉様、お腹、空いたでしょ。何か買ってきます」
立ち上がると人だかりのする方へ歩きだした。
腰が軽い! へー、隣国では自由に行動しているのかあ。普通、貴族の子弟は現金を持たず、お付きの者が払う。一瞬、羨ましく思ってしまった。王宮に嫁してしまえば、こうやって市井に出ることは叶わない。
戻ってきた手には串焼きが4本あって、おいしそうだ。騎士の2人にも分ける。おっ、気配りができるのか! こりゃあ、モテているかもしれない。母に報告しておこう。
「ちょっと見ぬ間に、建物が増えましたね」
などと、小賢しいセリフを吐く。
日も傾いてきたので帰路に付く。
ありがとう。おかげで元気になってきた。持つべきものは家族よね。
夕食後、弟は父と何やら話し込んでいる。しばらくすると、私が呼ばれた。ローテーブルの上には隣国ヴェストの地図が広げられていた。
「姉様、地形は把握されていますよね」
「もちろんよ。有名な戦役はそらんじているわ」
まあ、戦争オタクだからね。
「じゃあ、ここの城塞を攻略するのに、姉様だったらどうされます?」
「ああ、アレシア城かあ。100年前の攻城戦は籠城1万、寄せ手4万で、7日間で白旗だったわね」
「決め手は何だったのですか」
「単純な話よ。備蓄食料ね。堅固な要塞だから多分1千人で1か月は守り切れたのに、1万人が多すぎたのね。援軍を待ちきれなかったのよ」
「今だったら、どうなりますかね」
「えー、そんなに、キナ臭いの」
「いやいや、仮定の話です」
「ちょっと待って。図面を持ってくる」
自室に取りに行ったのは、我が家独自の資料集だ。
「私はオタクだから、話半分。いや十分の一に聞いてね。それでもいいなら意見を言うわね。
まず今の時代。有効なのが投石機。ただし到達距離が足りないから、水堀の外周を何か所か埋めたてて距離を詰める土工作業が必要ね。それから、堀の水を抜くために、ここの堤を切るのも有効。しかし籠城側も分かっているから、作業を妨害しようと城内から弓矢を射かけてくるはずよ。今ならクロスボウね。ボウガン(弓銃)ともいうわ。これ、射程が長くて命中率も高いの。おまけに威力が大で、とても危険よ。当たり所が悪ければ死ぬわ。ただ造りが精密で高価だから数を揃えるのは大変。この程度の砦だったら20丁くらい持っていると思う。問題は矢の備蓄ね。数を保有していたら手強いわよ。矢をつがえるのに時間がかかる。射程を伸ばすには軽量化。威力が落ちる。技術開発と訓練が大事ね。
食料は、人数にもよるから尽きる日数を計算してね。飲用水は井戸から限りなく汲めるので決め手にならないわ。
包囲陣の兵站は容易よね」
「ところで、もしもの話なんですけど、攻める側が自分たちの犠牲を厭わない上に、護る側を皆殺しにしようっていう作戦は可能ですか」
「えー、それは戦争じゃあないわ。殺し合いだわ。多くの指揮官は、負かした敵は自陣に取り込むものよ。そうね。さっきのクロスボウで倍の威力のものを開発できて、矢の方も無尽蔵に調達できれば、数日で陥落できるかも。ほら城内から外へ射るとき、小さな矢間から狙うでしょう。逆に堀の外から、この矢間をピンポイントで射ることができれば、城内の射手を殺せるわ。でも、城内からも撃ってくるから、お互いに消耗戦よねえ。射手は長時間の訓練をこなしてやっと一人前なんだから、そのときは敵でも生かして確保しておいて、のちに味方へ転向させたいわよね。
あとね、禁じ手なんだけど、投石機と弓矢で火種を城内へ打ち込むという方法があるわ。精密に命中させる必要が無いから、遠い距離から放物軌道で撃ち込めるのよ。大量にね。火種はボロ切れに油を滲み込ませれば簡単ね。相手が慌てて水を掛ければ余計に燃え上がるし、始末に負えないのよ。えっ、消火はどうするかって? 砂か塩を掛ければいいのだけれど、そんな知識は誰も持っていないから、火攻めは効果的よ。城は基本、石造りだけれど、木材が屋根や内装など至る所に使われているの。城内は焼死体の山になってしまうわね。
おほほほほっ、ごめんあそばせ。聞いてくださる殿方がおられたので、熱く語ってしまいました。ちゃんちゃん」
父と弟は呆気に取られていた。まあ私は、この程度には元気になれたのだった。
翌日、父は弟を伴って王宮へ出かけた。我が家の跡取りを陛下に謁見させるのだと言っていた。自慢の息子だものねえ。そして弟は、予定通り、留学先へ戻って行った。
私が軍事オタクとなったきっかけは、叔父だ。父方の年齢の離れた弟。私とは10歳違い、兄と言っても通用する歳の差だった。作戦参謀を務めていた彼は、なぜか独り身で、我が侯爵邸の一角に住んでいた。兵舎までは馬で通い、その姿は素敵で、私が乗馬を始めたきっかけとなった。幼かった私をかわいがってくれて、戦場ゲームも教えてもらった。専用の書斎の出入りを許されていたから、入り浸って蔵書を片っ端から読んだ。古今の戦史が揃っていて、彼が独自に研究考察した結果も整然と収められていた。初等部の頃は漫然と眺めるだけだったものが、中等部に上がる頃には理解できるようになり、あれこれと叔父に疑問をぶつけたものだ。父と弟に示した資料はこれで、私の考えが挟んである。
そんな私を可愛がってくれた叔父は、中等学園3年のときに帰らぬ人となった。海外へ視察に行く途中、船が難破したのだ。以来、彼の書斎は私に委ねられている。
まさかこの後、弟が二度と我が家に戻らず、私の戯言が一国の運命を左右する事態を招こうとは、このときは想像すらできなかった。
中世ヨーロッパにおける戦争の知識が全くないので、的外れだったら御免なさい。
油火災には重曹も有効とのこと。ただ、工業生産されるようになったのは、19世紀のようです。




