08.日常 ※イラストあり(ちょいネタバレ)
「朝か・・・眠い」
布団から手を出して、枕元の時計を確認すると、時間は6時半を回ったところ。
まだ、早朝ではあるが日は昇っており、カーテンの隙間から漏れる光がちょうど俺の顔に当たっていた。
まったく迷惑なことに、夏も本番に向け気合が入っているようだ。
「ふああ」
眠い目を擦って起きる。最近ちょっと夜にいろいろしていたせいで、朝まで眠気が残ってしまっている。っていうか、身体もだるい。10歳の身体なのに回復遅いとか、実は見た目が変わっただけで、身体的には24歳のままなのでは、とかいう不安まででてくる。
しっかり睡眠はとってるはずなんだけどな。
「よいしょっと」
まぁそんなことを言ってても仕方ないので、いつもの流れで朝の身支度をする。もうかれこれ1週間以上経っているので手慣れたものだ。
むしろ、最近では化粧水までつけるようになった。ただ、肌に押し付けるようにというやり方が分からない。とりあえず、両手を頬に押し付けると鏡の中の自分が歪んだ顔で見ていた。
これでいいのだろうか。うん・・・まぁいいか。
よく分からないが、きっとやることが重要なんだと思い直す。
やっぱり、女の子に生まれ変わった以上身だしなみは気にしないといけない、そう思って化粧水をつけ始めた。でも、本当にそれが理由なのか自分でもよく分からない。前世での俺は、果たして女になったからといってそこまでしただろうか。何か、俺の中の根本にあるものが変わってきている、そんな不安もよぎる。
だから考えてしまう。身体に心が引っ張られる事はあるのだろうか。俺は、いつか女としての自分を受け入れるような事があるのだろうかと。
正直少し怖い。
自分の知らない自分になる事。でも、あまり強く否定的な感情は湧いてこない。
前世では何かを強く否定する性格じゃなかった。でも、これはそれだけの話なのだろうか。気づくこともなく、自分ではない何かになっている、それは幸せなのか、不幸なのか。
そんな事を考えながら歯磨きをしていると「起きてるー、ご飯食べに来なさいよ」と1階から凛さんの声がする。
「ぐうう」
思い出したかのようにお腹の虫が騒ぐ。
結局いろいろ考えてはみたが答えはでない。むしろ、現状で一番問題となっているのは目の前の空腹だ。
とりあえず朝ご飯を食べよう、話はそれからだ。
俺はもう一度自分の姿を鏡で確認した後、服を着替えて1階に向かった。
「おはよう、零」
「おはよう、今日は起きてくるのが早いな」
リビングに行くと、味噌汁を注いでいる凛さんと、もう朝ごはんを食べている信兄さんがいた。
信兄さんはもう完璧に準備が整っていて、知的で冷静な雰囲気を醸し出している。
1週間前のトイレでの無様な姿が嘘のようだ。
「零、ろくなこと考えてないだろ」
信兄さんが俺を軽く睨んでくる。
勘のいいやつめ。将来はきっと素晴らしく有能な男になるだろう。俺もそんな兄をもって嬉しいが、正直今はそんな能力を発揮してほしくはない。
「おはよう母さん、信兄さん。今日は味噌汁と目玉焼きか」
「おい、零」
俺は、信兄さんと目を合わさず、ご飯を食べ始める。
いくら勘がするどくても証拠にはならない。だから、相手をせずに華麗にスルーする。これがしたたかな大人のやり方だ。
「ふふふ」と内心でほくそ笑みながら、目玉焼きを食べようとすると醤油が無いことに気付く。
「まったく。ほら、醤油だ。」
信兄さんは、一度溜息をつくと醤油を俺に渡してくれる。
なんて男だ。この若さでこの気配りさん。しかも、あからさまに無視した俺にこの対応とは。
衝撃的な事実だが、信兄さんは俺より大人だった。
「ありがと」
ちょっとふてくされ気味に礼を言う。なんか負けた気がして素直にいうのが恥ずかしかった。
「ふふふ」
そんな俺と信兄さんのやりとりをみて、凛さんは楽しそうに笑っている。見れば信兄さんも笑顔で俺を見ていた。
なんだろうか。ここは居心地がいい、いろいろな不安や問題が消えて、そのまま身をまかせたくなる。このまま何も考えず、全部忘れてここで過ごしていく。それはとても魅力的ではないだろうか。
そんな考えが浮かんでくる。
ちくっ
胸に小さな痛みが走った。
(ダメだ、俺は忘れたくない。前世の自分も、カンナのことも)
そう思い直すには十分な痛みだった。
「零、れーい。今日は学校で体操服が必要なんでしょ?」
「・・・ああ。忘れてた」
ボーっとしていた俺に、母さんが話しかけてくる。
今日は学校で体育があったんだった。あやうく一人だけ私服で体育に参加するとこだった。
「もう、すぐ忘れるんだから。昨日話した事は覚えてる」
「あれ、なんだっけ?」
「もう、明後日友達とご飯に行くから、信二とご飯食べておいてって言ったでしょう?」
あれ?そんな話をいつ聞いたんだっけ?
前世でもそうだったが、俺は転生しても忘れっぽいのはあい変わらずみたいだ。
そういえば昔、カンナが手帳を持てって言ってたな。それすら持っていくのを忘れたから意味なかったけど。
今度買いに行ってもいいかな。
「零?」
「ああ、ごめん。体操服と明後日のご飯だな。了解」
「ほんとに、最近すぐボーとするから分かってるか心配だわ。零の事よろしくね信二」
「ああ、分かってるよ」
凛さんは心配そうな顔をしていたが、信兄さんが返事すると安心したようにうなずく。
まだ転生して1週間程度だが、ここまで信用がないとはさすがの俺だった。
それからご飯を食べ終えた俺は、玄関の扉を開けて外に出る。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
まだ、外の空気は少し冷えていて、ゆるく流れる風は心地がいい。
前世は早起きが苦手だったけど、これだけ気分がいいなら早く起きるのもいいかもしれない。
早起きは3文の得か。
現在価値だとどのくらいになるんだろう、とかどうでもいいことを考えながら俺は家を出た。
分団の集合場所までに、睦月とあって軽く話す。分団に合流すると、BLトークはできない。こんな俺でもモラルは大事にしている。それに、もし聞かれた事で必要以上の人の人生を変えては、「未来は変えちゃいけないんだ」とか言っていた青い狸に怒られるかもしれない。まぁやり方は違うんだけど。
だから、朝に予定を確認し、放課後公園に集まりBL勉強会を行っている。
睦月はあんまり予定がないみたいで、この1週間ほとんど付き合ってくれている。嫌な顔もしないどころか楽しそうだし、前に少し感じた違和感は気のせいだったのかもしれない。
ちなみに教育状況は、あんまり進捗がないといった感じだ。恋愛とかの理解がまだ分からない以上は仕方ない事かもしれない。ただ、拒否はされない以上可能性があると信じるしかないという状況だ。
やっぱり、まだ後ろめたさはあるけれど、このまま本当に睦月が腐男子になってくれれば、きっとずっと友達としていられる。
男から身を守りたいという気持ちはもちろんあるけれど、目的は少し変わってきてるかもしれない。
それくらいに俺は睦月を気に入ってるんだろうか。
それとも、転生したこの世界に一人で俺は寂しいのだろうか。
俺は空に浮かぶ綿雲を見ながら物思いに耽る。そんな俺を睦月が手を握って誘導してくれる。いつもの事なので睦月も手慣れたものだ。
カンナはどうしているだろうか。
もしかすると、俺と一緒でこの世界に。・・・そんな都合のいい事があるのだろうか。
睦月と握った手から体温を感じる、今一人ではないと分かっている。でも、
なぜか無性にカンナに会いたいと思っていた。
「着いたよ、れーちゃん」
気付くと、俺は小学校の前にいた。睦月はいつものように隣りで手をつないだまま笑顔で教えてくれる。
「いつも、ごめんな睦月」
「いいよ。僕もれーちゃんと手をつないで歩きたかったし」
睦月はちょっと目を伏せがちに答える。耳あたりが少し赤い、照れているのかもしれない。
正直、これが恋愛に傾いてしまっては元の木阿弥ではあるが、睦月のはきっとそういうものじゃない。
純粋な好意の感情。それが分かるから、俺はこんなに考えてしまっているのだから。
「ありがとう、睦月」
「あいっ」
いつものように、睦月の頭を撫でる。最近毎日やっていて慣れたのか睦月はもう照れたりしない。満面の笑みで返してくれる。
「じゃあ、また放課後ね。れーちゃん」
「ああ」
そういうと、睦月は5-3と書かれたクラスに走っていく。それを見届け、俺は自分のクラスである5-1の教室に入っていく。
俺と睦月の通う“星華小学校”は分団の集合場所から10分程度歩いたところにある。
片瀬零は10歳の小学5年生であり、同じ学年の生徒は全体で86人、3クラスに分かれている。田舎のわりには結構子どもがいる感じだが、他は特に変わりのない平凡な小学校だ。
ちなみに学校では睦月とあんまり関わる事はない。理由として睦月とはクラスが違うのもあるが、この年代だと男子と女子が一緒にいてもからかわれる原因にしかならないので、基本的には学校であんまり絡まないようにしている。無駄なトラブルは極力起こさないのが重要だ。
子どものコミュニティとは、大人が思っている以上にデリケートだ。それに、自分たちの敵と認識すれば、際限がなく、歯止めが効かないことが多い。純粋な悪意は狂気に近い。だから、問題の芽は先に摘み取って行動し、問題に関わらないように静かに過ごす。
それができる大人の処世術というものだ。
そんなわけで、静かに教室に入ると一番後ろの窓側の席まで移動し座る。鞄の中を引き出しに入れたら、そのまま机に突っ伏して寝たふりをする。
この目立たなさ。これこそが完璧な学校での立ち回りだ。問題を極力起こさないよう関りを最小限にする。ただ、うまく友達を作れないわけではない。皆が集まって話しているのが少し羨ましくもならない。俺の心は24歳の成人男性、子どものグループなんぞ羨ましくもなんともない。
ただ、少し目頭が熱くなっているだけだ。
なんかこのままいくと、高校生あたりで便所飯とかしてそうな気がする。
そんな悲しい将来のイメージが頭に浮かぶ。
友達ってどうやって作るんだったっけ?むしろどこからが友達なんだっけ?
うーんと頭を捻って考えてみたが、なんかとてつもなく悲しくなってきたので考えるのをやめた。
直面してはいけない問題が人生には何個か存在していて、きっとこれはその一つなんだろうと自分を納得させる。
しかし、いいわけになるかもしれないが、この状況にはもう一つ理由がある。
それは、もともと俺になる前の片瀬零が他者との関わりを避けていたという事だ。睦月曰く、ほとんど自分から話しかける事もなければ、どこか冷たくて怖い感じだったらしい。そのせいもあってか、俺に話しかけてくるクラスメートはいまだにいない。せいぜい、委員長が確認事項を聞いてくるくらいだ。
(昔の片瀬零か)
俺は片瀬零の記憶を持ってはいるが、基本的に人や物の名前だったり、生活に必要な行動がすべてであり、片瀬零が何を考えていたとかは全然思い出せない。前世の裕としての記憶もそうだ。重要な部分が欠落しているような。
それに、何か意味でもあるのか。それとも、時間とともに思い出していくものなのか。
「はー」
まったく、自分のことも分からないとか、本当に無理ゲー過ぎる。
俺は溜息をついてから、突っ伏した顔を横に傾け窓の外を見る。雲はほとんど無くなっていて、窓から強い太陽の光が差し込んでいた。
今日も一日暑くなりそうだった。