07.藤堂睦月 ※イラストあり
商店街のアーチをまたくぐって、来たときと同じ道を二人で歩く。
もう17時を過ぎていた。
空まで赤く染める夕焼けと、二つの伸びた影に何故か懐かしさを感じる。
「宝は見つかったの?」
横で歩いている睦月が聞いてくる。大きい目には夕日が反射してキラキラしている。
「ああ、睦月のおかげでいいものが見つかったよ。ありがとう」
「あいっ。えへへ」
また無意識に頭を撫でる。もう、驚いた様子もなく素直に頭を撫でられる睦月。
まだ顔が赤く見えるのは照れているのか、夕日のせいなのか。
穏やかなこの距離感を大事にしたい。と思っている俺の傍らには距離感どころか価値観までを破壊する兵器が眠っている。
これは睦月にいったい何をもたらすのか。
ニヤッと白い歯で笑ったマッチョを思い出すと不安は募る。
なぜこれにしてしまったのか?普通ので良かったんじゃないか?BLものはそもそも普通なのか?
思考はぐるぐるして要領を得ない。
・・・しかし、もう悩むのはやめよう。
俺は選択し、覚悟はもう決めている。
もし、睦月がマッチョと抱き合うならば、ボディオイルを塗ってあげよう。そんなことしかできない俺を許してくれ。
「どうしたの?」
真剣な顔でオイルを塗るように、手をワキワキさせている俺を睦月は不思議そうに見ている。
そんな睦月に俺は精一杯の笑顔を作る。せめて、睦月が生まれ変わる最初の記憶は幸せであって欲しいと願って。
「もらってくれないか?」
「えっ。これを僕に?なんで?」
俺は傍らに抱えていた危険物を睦月に差し出す。
睦月はあからさまに動揺して周囲をみている。
この危険物の気配に気づいたか。と思ったが、睦月の反応を見ていると、なぜ貰えるのかが純粋に分からないようだった。
「これは、睦月へのプレゼントなんだ」
「えっ?なんで、僕に?」
「睦月といると楽しいからな、これからもよろしくって意味でだ」
本当の理由は言えない。これからもっていうのは、教育するために関係を続ける必要があるっていう打算もある。
でも、それだけじゃない。
睦月といたいって純粋に思っている自分もしっかりある。最低な俺だけど、それは伝わって欲しいと思う。
「・・・あいっ」
睦月はゆっくり小さくうなずく。
俺の気持ちが伝わったかは分からない。でも、睦月は本を受け取った。顔は俯いていてどんな表情か分からなかったけど、本をすごく大事そうに抱きしめていた。
「これ、見てもいい?」
しばらくしてから、睦月は少し歩いて顔を上げる。少し顔が赤いが、それはきっと夕日のせいだ。
「ああ、見てくれ。これが人生を変えるお宝だ」
さあ、問題はここからだ。
俺は変な緊張を感じていた。よく考えたら、渡すより中を見せる方が問題だった。
しかも夕日はもう沈んできて、逢う魔がときと呼ばれる時間帯。暗い中であの本を見たらそれこそホラーだ、読む気なんて無くなるだろう。
俺は睦月の動きを緊張しながら見守る。
しかし、そんな心配をよそに睦月は静かに本を読み進めていく。
1ページ1ページ進むのがとても長く感じる。本を読む睦月は真剣そのもので、自分勝手な話しだが俺はそんな睦月を不思議に感じていた。
そんな時間も終わり、本から顔をあげた睦月は、俺の意図を探るようにみつめてくる。
「れーちゃんは僕にこうなって欲しいの?」
少し、いつもより声のトーンが低い、睦月の表情にも違和感がある気がする。
でも、今はそんなことを気にしている余裕はない。
ここの説得が運命の分かれ道だ。
「いや、こういうのを好きになって欲しいんだ。男同士の恋愛は尊い、本能を越えた人の持つ理性への挑戦。その尊さを睦月にも分かって欲しいんだ。」
正直自分でも何を言っているのか分からない。されど、勢いで押しきれないかと必死に適当ないいわけを並べる。
「? 男の子が好きだといいの?」
「そ、そうだな。そういうことかな」
会話を重ねれば重ねるほど裏切っている気持ちは増していく。
睦月の気持ちは分からないが俺に真剣に向き合ってくれているのは態度で分かった。
でも、自分のことしか考えれない俺は睦月を裏切る言葉しか言えない。
そして睦月は少し考えた後に
「れーちゃんがそういうならそうなんだね」
と、笑顔で言った。
それは本当に笑顔だったのか。バカな俺はその時の睦月の気持ちも、その言葉の意味も理解せずに、ただ「上手くいった」と満足していた。
——————————————————————————————
小学校から10分。市営のアパートの2階、201号室の“藤堂”と書かれた扉に鍵を差し込む。
「ガチャっ」と音がしたら扉を開けて部屋に入る。
誰もいないのは分かっている。あの人はきっと僕が寝てからしか帰ってこない。だから、「ただいま」はもうずっと言っていない。
いつも通り服を着替えて、お風呂場で服を手でもみ洗いする。だいぶ上手くできるようになったとはいえ、子どもの力では限界がある。
服の汚れが上手く取れずあちこちに残ってしまう。洗濯機が使えたらいいけど、やり方が分からないから仕方ない。
諦めて、洗った服を干すためにベランダに行く。
「うあっ」
ベランダに続く窓を開けると、急に冷たい風が入ってくる。もうすぐ夏とはいえ夕方にもなると風は冷たい。
でも、あの日の夕方は寒さを感じなかった。
「れーちゃん」
誰にともなくつぶやいて、そのまま沈んでいく夕日をぼーっと眺める。
もう二人で出かけてから1週間が経っていた。
あれから、何度か学校が終わったあとに二人で集まってBLとかいうのの勉強をしている。
正直よく分からないけど、一緒にいれる事が嬉しかった。
今まではそんな関係になれるなんて思ってなかった。
片瀬零ことれーちゃんは幼なじみといっても、家が近いだけであんまり深く関わったことはなかった。せいぜい学校に行く時にあいさつをして、時々隣で歩いて話すくらい。
僕としてはもっと仲良くなりたかったけど、あの頃のれーちゃんはあまり人と関わろうとしなくて、いつもここじゃないどこかを見ている感じだった。
話していても僕を見ていない、あの人にどこか似ていて。
だから変わったことはすぐに分かった。というかまるで別人だった。
「ふふっ」
今のれーちゃんを思い出すと自然に笑えてしまう。いつも何かを考えていて、家でも学校でも変なことばかりしてる。
昔と変わらず何を考えてるか分からないけど、昔と違い僕を見てくれている。
今のれーちゃんのそばはとても心地が良かった。
だからいつも通り笑顔でいないといけない。でなければ、きっと僕から離れていってしまう。あの人はそう言っていた。
「くしゅっ」
少し外にいすぎたのか、身体が冷えてたみたいだ。
僕は洗濯を干すと部屋に入る。
室内は暖かいのに、誰もいない部屋は何故か寒く感じた。
それから、いつものように机の上に置いてある冷たいお弁当を食べる。前は温めていたけど、もう美味しいとも感じないものを温めようとは思わなかった。
家で誰かとご飯を最後に食べたのはいつだったか。その時のご飯が美味しかったのかももう思い出せない。
「近寄らないでっ」
ふとあの時のことを思い出す。あの人は辛そうに泣いていて、酷いことをされたのは僕の方なのに。
僕はあの人が心配でしかたなかった。
気づくと頬が少し濡れていた。
ダメだ、僕は泣いてはいけない、笑顔でいなくてはいけない。
食べ終わったお弁当をゴミ箱に捨てて洗面所に行く。鏡の前に立つと、泣きそうな顔の僕がいた。
いつものように笑顔の練習をするけど上手くできない。
こんなこともできない自分が嫌いでしかたなかった。
リビングに戻ると、部屋の一角にある小さな段ボールで作った小屋に入る。自分の部屋はないので、ここが僕だけの場所だった。
ほとんど自分のものはないけど、一つだけ最近増えたものがある。
それはれーちゃんに貰った一冊の本。
表紙は筋肉の塊みたいな男の人が写っている。何でこの本をくれたのか分からない、男の子を好きになって欲しい理由も分からない。
でも、プレゼントを貰ったのなんて久しぶりで、泣きそうになるほど嬉しくて。
だから、れーちゃんの望む僕でいたい。男の子を好きな僕に。
ピシッ
自分の中の何かが軋んでいく感覚。でももう慣れてしまって僕は何も感じない。
誰かが自分から離れていく恐怖に比べれば、そんなことはどうでもいいのだから。
僕は、本を抱えて目を閉じる。
脳裏にはれーちゃんが「ありがとう」「睦月といると楽しいからな」と話した光景が浮かぶ。
そして、撫でられた頭の部分が暖かくなる気がした。
自分を見てくれることが、必要としてくれることが、一緒にいてくれることが、ただ嬉しくて。
「れーちゃん、逢いたいよ」
れーちゃんといると楽しくて。心が暖かくなる。
でも、その分いない時の辛さが増していく。
れーちゃんといることが自分にとって本当にいいことなのか、悪いことなのか、僕には分からないまま意識が闇に溶けていった。