05.本能に戦いを挑むもの
はたして、男と女の友情とは成り立つのだろうか。
たとえどれだけ意識していなくても、ふとしたときに下心は顔を出してしまうのではないか。と前世で男だった俺は考える。
別に下心が悪いと言っているわけではない。下心は性欲であり、人が種を保存するために必要な本能だと理解している。
そう本能なのだ。だからこそ、抗えない。男とはそれがどんな女性であっても、胸の谷間には目が惹かれるし、スカートの中は気になるだろう。そういうものなのだ。
では、本能を理性で抑えつければいいのか?
そんなことをしてもいつかは限界がくる。川をせき止めれば溢れるのと一緒だ。
では、男女間の友情は不可能なものなのか?
「零、まだか?早く出てきてくれー」
どんどんどん
俺はさらに思考を深めていく。
・・・止めずに流れを変えればいいだけだ。俺は流水音を聞きながらそう考える。
つまり、異性に対しての好意を同性に。
具体的には、睦月をBL好きの腐男子にすることで、女である俺に恋愛感情を抱かない。つまり、下心のない完璧な男女間の友情が成立するということだ。
「零ー、零ー」
どんどんどん
睦月は攻略キャラ、とても危険ではある。だが、零の記憶や、ゲーム知識から考えてもあいつはとてもいいやつで、敬遠するにはもったいない人材だ。性癖を歪めてでも、仲間にする価値はあると思う。
この危険な世界では信用できる仲間をどれだけ作れるかというのもとても重要なのだ。
それにこれは、男女の友情を成立させるための人間の本能への戦いでもある。
異世界で2回目の戦いの相手に不足はない。
俺は「ふふふ」と頭の悪い考えを巡らせながら、何回目かのトイレの流水音がなるボタンを押した。
「れいー、頼む。れい・・さん。もう・・・限界が」
がちゃがちゃ
小学校から帰ってきた俺はトイレで花を摘みながら、“男女間の友情”という人生の命題にかれこれ30分向き合っていた。
べつにトイレで考える必要もないが、不思議だ。なぜ、トイレだとあんなに落ち着いて考えられるのだろうか。あの個室の効果か、それとも排泄場所というある意味自分をさらけ出す場所のせいか。
まぁ、今は10歳の花も恥じらう女の子である。あんまり汚いことを考えるのはよそう。
それに、10分ほど前から信兄さんの悲痛な声と扉を叩く音がこだましている。しまいには扉を開けようとする音まで聞こえている。実際開いたらどうするんだろう、まったく非常識な話だ。
「そろそろ行くか」
思考のまとまった俺は、トイレを再度流し、ズボンを履く。女の身体でトイレというのに少し抵抗はあったが、零の10歳までの記憶をある程度保持しているため、正直やり方に困ったり、恥ずかしくなったりすることはない。
ただ、ちょっと前の方に何もないことに寂しさを感じはしているが、それもいずれ慣れるだろう。よくも悪くも人は慣れてしまう生き物なのだ。
そんなことを考えながら、トイレの扉を開けると、目の前で前傾姿勢を極めた信兄さんがいた。
いつも知的で冷静な信兄さんが涙目でこっちを見ている。レアなケースだ。少なくとも零の記憶の中にはそんなところはなかった。
そんな信兄さんを見下ろしていると少しぞくぞくして、写真とか撮りたくなっている。
これはダメだ。もしかするとCGCSの効果が俺にも影響している可能性がある。っていうか、性癖歪ますことにしかこのシステム使えてなくない?
ちょっと危険を感じたので、すぐに信兄さんにトイレを譲る。優しく微笑んで場所を譲る俺はさしずめ天使にでも見えているのではないだろうか。
「んんん」
もう言葉も出せない信兄さんは、内また気味の前傾姿勢で腹を抑えながらトイレに入っていく。かつてこれほどまでに無様な人間の動きはあっただろうか。しかし、俺は前世で同じ経験をしていた為か、トイレに入っていく背中を見ながら親近感さえ感じている。
ガッ
「ん!?」
トイレに入ってすぐ信兄さんは扉を閉めようとした。しかし、それを扉の間に入れた俺の足に遮られる。信兄さんは何が起こったか分からず困惑と絶望した目で俺をみる。
今まさにトイレをしたいという気持ちは痛いほど分かる。しかし、俺は言わなくてはいけない。見た目は10歳の女の子でも、中身は24歳のお兄さん。今後の信兄さんの為に、年上として社会のマナーを教えなくてはいけない。
「信兄さん。女性が入っている扉を叩いたり、開けようとしたりするのは非常識だ。気をつけたほうがいい。」
「はぁあああ・・・うっ」
ばたんっ
信兄さんが大きい声を出そうとした瞬間、絶望的な声が聞こえた。その場合、すぐに相手の状況を察して扉を閉めてあげる。これも社会マナーのひとつだ。
扉の奥からは、まだ信兄さんが何か言い続けているが、トイレ中は声をかけない。よくできた大人の対応である。
しかし、俺の指摘に信兄さんは顔を真っ赤にしていた。きっと図星をつかれて恥ずかしかったのだろう。その気持ちは分かる。しかし、それを乗り越えてもう一つ上の男になって欲しい。不出来ではあるが、妹となった以上それを願ってやまない俺だった。
その後、リビングで凛さんにお小遣いをねだっていたら、トイレから出てきた信兄さんに頭を叩かれて怒られた。
それを見ていた凛さんは止めたが、理由を聞いた後に二人からさらに怒られた。
その後、片瀬家のトイレには1回10分の張り紙が張られている。
便秘で出が悪くなったらどうすればいいのか?新しい問題は増え続けている。世の中は常に不条理なのだ。
・・・信兄さんのズボンの色が変わるくらいには。
頭が痛い。
俺は、信兄さんに叩かれた後頭部をさすりながら、家から5分くらいの星ヶ丘公園に来ている。
この公園は広いわりに、あまり遊具がない。ただ、家から商店街の間くらいにあって、何かしたり、集まったりするには都合のいい場所である。
『星降る場所で』でも選択肢のひとつとして使われていたが、高校生が2人で集まって何かするような場所でもない。ゲームでは普通に会話イベントがあったが、こんなとこに連れてこられるくらいなら商店街に行って買い食いでもした方が楽しいんじゃないかと思う。
しかし、俺にはよく分からないが一緒にいるだけでいいとかいうリア充には何でもいいのかもしれない。それならば、川の中に2人で入って人の目につくとこに出てこなければいいのにと思う。
「れーちゃん。来たよー」
そんな世界平和について考えていると、公園の入り口からはねっ毛の猫みたいな少年がこっちに走ってくる。
将来のリア充候補だ。こいつをBLにジョブチェンジさせることが目下の目標である。
俺は今日の朝、「睦月、男の人って興味ない?」と確認をした。
それに対して睦月は「興味?僕は皆すきだよ」という返答だった。
その時の睦月の笑顔は純粋過ぎて、俺に吸血鬼の血でも混ざっていたら、今頃灰になっていたかもしれない。異世界ファンタジーじゃなくて本当に良かった。
しかし、まぁ反応としてはそんなもんだろう。10歳の子どもに興味とか恋愛とかはまだ難しいのかもしれない。
だからこそ、今からの教育が効果を発揮する。世界の価値観やルール、前任者が作ってきた“枠”にハマる前に、このはねっ毛猫を最強の相棒に育て上げるのだ。
もはや俺にとって『星降る場所で』は、乙女ゲームではなく育成ゲームだった。
「睦月。急に誘ってごめんな」
「ううん、いいよ。何にも用事ないし。れーちゃんと遊べて嬉しい」
常に笑顔で答えてくれる睦月。本当になんだろなこの可愛い生き物。何かペットへの愛情に似た何かを感じる。飼っていいか凛さんに聞いてみようかな。
「今日は何するの?」
「ちょっと、商店街に買い物に行こうと思ってるんだ。いいか?」
「あいっ」
二人で公園から商店街に向かって歩き出す。睦月は何がそんなに嬉しいのか、ずっと笑って少し前を歩いている。
ふと、それが何か無理をしているように感じて。
今日誘った時に、一度驚いた顔をしていた睦月。
そして、前を歩く睦月の服のサイズが合っていない事や所どころ汚れていることが妙に印象に残った。