03.アイシテル ※イラストあり
長かったのですが、やっと乙女ゲー世界に転生します
「よお、散歩に行ってたのか。外寒かったのに大丈夫か?」
家に着くと6時半を過ぎたくらいだった。玄関に入るなり、中からいつも通りの落ち着く声がする。
リビングを覗くと、寝ぐせでぼさぼさの頭をした兄さんが朝ごはんを作っていた。
「うん。今日はちょっと早く起きたからね」
「珍しいこともあるもんだな」
「はははっ」と兄さんは軽く笑って話す。
それだけで、さっきまでへこんでいた気分がどこかにいって、身体が軽くなった気がする。
そんな何でもないことが特別で大切だと感じている私がいた。
「でも、ちょっと無理し過ぎたかも。手と足の指が冷たくて痛い。」
「まったく困った妹だな。ほら、これでも飲んどけ。」
リビングの椅子に座り手袋と靴下をとると指先が少し赤くなっていた。何とか暖めようと手をさすっていると、兄さんがホットココアを置いてくれる。そんなに熱すぎなくて、手でコップを触るとちょうどいい温かさだった。
「ありがとう、兄さん」
「ああ」
こういった気遣いも嬉しかった。すごく特別なことはないけれど、自分が大切にされている感覚。それが幸せなんだと私は思う。
その幸せを噛みしめながらココアをすすっていると、私のテーブルの前にバタートーストと目玉焼きが置かれる。もちろん目玉焼きは半熟が至高、異論は認めない。ちなみに私は醤油派ではあるが、そこは寛大なので何をかけても許そう。
そんなことを考えていると、準備の終わった兄さんが私の前の席に座り、寝ぐせをつけたままトーストをかじっている。それを見てるだけで微笑ましくて心まで温かくなる感覚。これが母性なのだろうか。
そのまま、トーストを食べ終わるタイミングを見計らって兄さんに話しかける。
「ねぇ、兄さんは今日休みなんだよね。何かするの?」
「そうだな。昨日借りた『星降る場所で』だったか? ちょっとやってみようかと思ってる」
「ふふっ」
「ん?」
今日兄さんが休みなのはもともと知っていた。だから、今日を特別な日にしたのだから。
でも、まさか昨日貸した乙女ゲーをもうやってくれるとは思っていなくて、思わず小声で笑う。そんな私を兄さんは不思議そうに見ていたが、すぐに目玉焼きに視線を移し頬ばり始める。あんまり気にしない所は兄さんの長所だ。
それにしても、今日一日家にいてくれるのは私にとって好都合だった。それに貸したゲームをやってくれるなら自然に兄さんの部屋に行ける。まさか、『星降る場所で』がこんなファインプレーをしてくれるなんて、昨日の私を褒めたくなる。
「じゃあ後から部屋に遊びに行ってもいい?」
兄さんの部屋には高校に上がるくらいから行っていない。別にダメとか言われたわけではなかった。でも、思春期になって、何となく部屋に遊びに行かなくなっていた。
だから、急に部屋に行きたいって言った事を変に思われないかとか、断られないかとか、緊張と不安が入り混じる。
「ああ、別にいいぞ。時間ができたらくるといい」
そんな私の緊張を露知らず、兄さんはあっけらかんと答えてくれる。そんな何にも考えてなさそうな顔を見てると逆に考えすぎてる自分がバカみたいに思えてきた。まあ、そういえばこの人はいつもこんな感じだった。
こんな簡単にいくなら、もっと兄さんに甘えていれば良かった、頼っていれば良かった。それならきっともっと違う方法もあったかもしれない。などと、もう何度も考えてきた思考に陥る。
「どうかしたか、かんな?」
食事を食べ終わって食器を片付けている兄さんが、急にしゃべらなくなった私に心配気に声をかける。
ああ、まただ。兄さんといると私の覚悟が弱くなってしまう。今が幸せなんだと、違う未来があるんだと勘違いさせようとする。間違ってはいけない。もう、間違えたままこの場所にいたくない。この先を私は求めると決めた。
私は、深呼吸して兄さんを見つめなおす。もう一度自分の願いを確認するように。
「あとから、準備ができたら兄さんの部屋に行くから」
そう伝えると、兄さんは少し不思議そうな顔をしていたけど、やがて納得したのか「分かった」と言って、自分の部屋に戻って行った。きっとこれから『星降る場所で』をするんだろう。
だから、私も準備をする為に自分の部屋に戻ることにした。
リビングに暖房がついていた為か、廊下に出ると急な冷たさを感じた。でも、緊張でのぼせていた頭にはちょうど良かった。
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もう覚えてもいない子どもの頃。
「お兄ちゃんと結婚したい」と言ったら、周囲の大人は「仲が良くて羨ましいね」って話してた。
それから何年か経って「お兄ちゃんと結婚したい」って言ったら、「いつまで言ってるの、兄妹じゃ結婚できないのくらい分かるでしょ」ってバカにしたように苦笑いされたのを覚えている。
それからわたしは“お兄ちゃんと結婚したい”とは言わないようになった。
私は部屋で、まだ何も知らない幼い頃の兄さんと私の写真を見ている。あの頃は、とか振り返るにはまだ若い。でもそれだけの年数で私にとってこの世界はあまり居心地のいいものではなくなった。
それからもいろいろあった。でも、いつでも世界は私の思いを否定し続けた。だから私はこの世界が嫌いだ。ここからいなくなってしまいたいほどに・・・。
でも、まだこの世界には私を繋ぎ止めるものがある。
それを失うことは死ぬよりも怖いこと。でも、このままなのはきっとそれよりも辛いこと。
でも、きっと間違っているのは私。
この世界が正しいって皆が話す。
だから、この世界の常識やルールから外れた私はきっと間違っている。そんなの当然言われなくても分かっている。
でも・・・この気持ちは間違っていないと心は叫ぶ、ずっとずっと壊れるくらいに叫び続けている。
それを私は“常識”や“普通”っていう仮面で隠し続けてきた。
だから限界がきた。私の中の何かが悲鳴を上げて壊れてしまった。いや、壊さなくてはいけないと思ってしまった。
壊す、壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す壊す
“何を?”
この正しさにまみれた狂った世界を。私はコワサナクテハイケナイ。
狂っているのは世界なのか、私なのか。
それが分からなくなったまま、部屋の隅に無造作に置いてある“それ”を手に取る。
今日は仮面をとると決めた特別な日。
さあ、行こう。兄さんがマッテル。
兄さんの部屋は、私の部屋の向かい。
ノックすると、「入って来いよ」とすぐに返事がきた。私は静かに入り、“それ”を後ろ手に持って入る。
部屋では兄さんがさっき話してた通り、「星降る場所で」を始めていた。まだ、キャラの名前入力画面だから、始めてすぐみたいだ。
私は、その場でゆっくり瞬きをして、兄さんの背中を見る。
「兄さん」
「ん?」
兄さんはゲーム画面から目を離さず、返事だけを返す。いつも通り穏やかな声で。
不思議とゲームの音は気にならない。むしろ、いつもより兄さんの声を近くに感じた。
大きい背中、きっと暖かいんだと思う。これから触れることを考えると少し幸せな気持ちになった。
その場でゆっくり深呼吸をする。背中に回していた“それ”の柄を右手で握り直す。手汗が酷くて少し滑りそうだ。せめて手袋をつけておけば良かったと今さらになって思う。
兄さんはゲームに集中しているのか、私の動きに反応はない。こんな時なのに、鈍いところも可愛いと感じる私は末期なのだろう。
だから、やっぱりコワサナクテハイケナインダ
「兄さん」
もう一度呼ぶ。
「ん?」
また同じ反応。
そして、そのまま兄さんの背中に飛び込む
“それ”は思ったより抵抗もなく深く突き刺さり、スムーズに役割を果たした。
だんだんと服が赤く染まっていく。そのことでさえ私は愛しさを感じて涙がにじむ。
兄さんが何か言ってる。不思議だな・・・さっきは良く聞こえてたのに今は何も聞こえない。
ああ、兄さんの体温を感じる。
“私は兄さんをアイシテイル”
そして、私は静かに兄さんを抱きしめながら最後のお願いをした。
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「え、どうなってんのこれ?」
目の前には鏡に映った10歳くらいの黒髪の少女がいた。身長は140cmくらいで目が大きく、顔が整っている。服は少女に似合う白のワンピースを着ていた。
どこか既視感を感じる。
「誰?」
もちろん鏡なのだから、写っているのが自分なのは分かりきっていた。
問題はそこではない。
「零!着替えは済んだの?」
部屋の扉を開けて、30代くらいの女性が部屋に入ってくる。混乱していて頭が反応できず、その女性を見つめてぼーっとする。
「何をしてるの。早くしないと置いてくわよ」
怒られた。
どうやら零とは自分の事を指しているらしい。そこで少し落ち着きが戻ってくる。
“零”には心あたりがある、特にこの既視感のある見た目。
「零どうしたの?おーい。ホントに置いてくわよ」
零と呼んだ女性には申し訳ないが、今は思考の整理中だ。対応する余裕がない。
零と呼ばれた10歳の少女。それに唯一思い当たるのは、乙女ゲー『星降る場所で』の主人公“片瀬零”だけだ。
つまり、俺こと伊藤裕は乙女ゲーの主人公になったということだ。
俺は、ぐわっとという効果音が聞こえてきそうなほどに目を見開き天井を見上げる。
「ひっ」
急な俺の動きに、片瀬零の母親であろう女性が小さな悲鳴をあげる。
しかし、そんな反応も無視して、俺はすぐ近くのベッドに横になり布団に入る。
男と恋愛する夢なんて悪夢だろ。次は女の子と付き合えそうな夢でお願いします。