表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転性恋愛のススメ  作者: なる
2/8

02.散歩

転性恋愛のススメ

 兄さん・・・伊藤裕はどこにでもいる普通を形にしたような人間だ。顔も運動神経もスタイルも普通。少なくとも、私の知る18年間で特別な才能を発揮したところは見たことがない。

むしろ忘れっぽくて、学校に教科書を忘れるのはもちろん、約束も大半は覚えていないという困ったところの方が多いくらいだ。ひどい時は約束がトリプルブッキングしてどうすればいいか徹夜で考えたりしていた。

手帳を持てばいいんじゃないかと提案したが、次の日には手帳も家に忘れていくので、もう諦めの境地だった。


 そんな困った兄さんではあるが、ある一点において他の人とは違う特殊な部分があった。

それは、否定感情が薄いことであり、ほとんどの事を受け入れてしまうという事だ。


例えば、中学校で友達から借りたBLの薄い本があった。それを廊下に落として拾われた時など「最近のは絵が奇麗なんだな」とか「このキャラ同士の絡みは予想外だったわ」とか、笑顔で話してきて一瞬BL好きなのか疑った事があった。

 でも、思い出せば兄さんは私のする事や、勧めるものをほとんど否定しない、本当に何でも受け入れてしまう冗談みたいな人だった。

 

 他人を否定しない、受け入れる。そんな兄さんを特別に感じ始めたのはいつだったか。


 私も昔はそれが普通だったと思う。だけど、大人になるにつれて周りは自分以外を否定する事が多くなってきた。仲の良かった友達もお互いを否定し合う。その顔色をびくびくしながら見て、空気を読む。そして私も流されて他人を否定して批判した。

 私が私じゃない感じ、そんな居心地が悪いのが“普通”になるのに、たいして時間はかからなかった。


 だからこそ、私を私でいさせてくれる兄さんが何より特別なんだと感じていた。


 学校にいけなくなった時も、左手を傷つけた時も、どんな私でも受け入れてくれた。それがどこまでなのか、いつまでなのか。私はきっと知りたいと願ってしまっている。


——————————————————————————————


「んあっ」

 

 私は閉じていた瞼を開ける。何か起きる時に変な声を出したような気がするが気のせいだろう。口の端にはよだれが垂れていた。布団の中に潜り口の端を上着の袖で拭く。

 こんなところを見せたら慎ましい淑女のイメージが崩れてしまう、とか考えてみる。

今日は特別な日、ちょっとテンションが高めな私だ。

 

 布団から顔を出し、部屋の周囲を確認するが年中暗いため時間も何も分かったもんじゃない。布団から手だけ出して時計を確認する。


「5時!」


 私史上最速で起きてしまった。しかも、アラームも無しに。

 これは雪でも降るんじゃないか、と思ったがこの寒さだ。私の起きる時間など関係なくきっと降っているだろう。世界は私など関係なく回っているんだから。

 起きて頭が回っていないのかそんな事を考えていると、寝る時に持っていた“それ”が無いことに気付き少し焦る。


(どこにいったの?)


 すぐに布団から出て周りを見ると足元の方に落ちているのを発見し安心する。少し動揺した為か、急に動いた為か、軽い動悸がした。

 でも、見つかって良かった、これがないと始まらないのだから。


「少し外を散歩しようかな」


 一息つくと、ふとそう思った。

寒さは昨日と同じくらいだ。ただでさえ引きこもりの私は、普通はこんな日に出かけたいと思わないはずだった。でも、少し頭を冷やしたいのもあったし、妙にそわそわして落ち着かない。

 今日は特別な日、やっぱりいつもとは違うのだ。


 服を着替え、音を立てないように兄さんの部屋の前を通り、階段を下りて1階に行く。兄さんも母さんもまだ寝ているようだ。自分だけが早く起きている事に少し優越感を感じる。鼻歌でも口ずさみそうになるが、そこは自制する。

 

 家の玄関で靴を選ぶ、今日は雪が降っているから滑りにくいやつを。何となく、兄さんの靴に足を入れてみる。大きさが違いすぎて笑えてくる。それから、もう一度自分の靴に履きなおして扉を開ける。


「わぁ」


 そこは一面の銀世界だった。とかいうよくあるフレーズが出てきそうな感じ。うちは周りを田んぼに囲まれたいわゆる田舎だ。近くといっても15分は歩かないと店の一つもないような場所。だから、雪が積もると本当に真っ白な世界に迷い込んだような感じがする。

 それに時間的にもまだ暗い。月の光に照らされた雪が青白く光っていて幻想的な雰囲気になっている。


「とうっ」


 まだ誰も踏んでいない雪に一歩目を踏み出す、何か悪いことをしているんじゃないかとドキドキする。顔は寒さでちょっと痛くて、鼻はもう赤くなっているかもしれない、でも楽しくて仕方なかった。


「ふんふふーん」


 気分が良かったので、誰もいないのをいいことに鼻歌を口ずさむ。子どもの頃兄さんと一緒に毎週楽しみにしていたアニメのオープニングだ。

 サビの盛り上がりがすごくいいのだ。だんだんサビに近づくにつれ、歩くタイミングもリズムを刻んでいく。雪を踏むたびにザクザク音がするのも一つの音楽みたいに盛り上げてくれる。

 そして、サビに入る、鼻歌で止まらず、声を上げたそんな瞬間だった。


「おはようねー」


 80歳過ぎくらいのおじいちゃんがこっちを見て挨拶していた。

 私はギギギっと音がするくらい動きがぎこちなく、ゆっくりとおじいちゃんを見返す。おじいちゃんは笑顔でこっちを見ていた。


「上手な歌だねー」

 

 いくら早く起きたって、所詮は5時。冷静に周りを見ると割と何人か老人が散歩しているのが分かる。“いつ何時も冷静さを欠いてはいけない”それは何のアニメのキャラが言っていたセリフだっただろうか。


「おはようございます」


 顔を俯せて、あいさつを返すと自分から出ているのか分からないくらいに小さな声がでた。こんなに寒いはずなのに、顔が燃えるように熱い。きっと鼻の赤さが気にならないくらいに今の私の顔は赤いと思う。もう、いたたまれない気持ちでいっぱいで、穴があったら入りたい。


 そんな気持ちに突き動かされて、その場から走りさる。後ろの方でおじいちゃんが何か言っているが、もう私の中にこの場に留まるという選択肢はなかった。




「はー、やらかした」


 橋の上で風に当たる。ちょっと火照った顔が冷えてくるのが分かる。

 ここは家から20分程度離れた場所で山の中腹にある鉄橋だ。なんでもゴミ処理場を作る関係で造られたらしいが、結局住民の反対にあって頓挫したんだとか。まぁどうでもいいことだけど。

 昼夜問わず人がいないから、私にとってはお気に入りの場所の一つとなっていた。


「よいしょっと」


 手すりをまたいで、橋の外側にでる。雪が積もっていて滑りやすい上に、足は踵が引っかかる程度で手を離したら落ちそうだ。

 そのまま目を閉じて全身で風を受ける。ゆっくり目を開けると、真っ暗な橋の下に吸い込まれそうな錯覚に陥る。


「いい感じ。このまま・・・」


 その場で足を少し動かすが、まったく滑る感じはない。残念なことに良い靴を選んでしまったようだ。


(どうせ飛び降りる勇気もないくせ)


 自分の中から自分を非難する声が聞こえた気がした。

 結局いつも通り何もできないので橋の内側に戻る。ちょっと気分はへこんだが、大体いつもこんな感じだ。


「さすがに寒くなってきたかな」


 身体はまだ大丈夫な気がしたが、手と足の指先が冷えてきて、感覚が弱くなるのを感じる。もう1時間くらい外に出ているし、気持ちもだいぶ落ち着いた。そろそろ帰る頃合いだろう。

 私は、鉄橋の下をもう一度覗く。まだ暗くて、底にあるだろう川も見えない真っ暗闇を見る。それからすぐに前に向き直り、少し名残おしさを感じながら家に向かって元来た道を歩き始める。


(早く兄さんの顔が見たいなぁ)


 私は気づかないうちに、左手首の傷跡を右手でなぞっていた。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 男→女になる場合タグにTSと付けておくとTS好き読者が検索して見てくれると思います
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ