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幽霊を見たことあるんですよ

作者: 上葵


「真昼ちゃん。アタシ、死んじゃったみたい」

 八月の朝、友達の美夜がいつもと変わらぬ制服姿で登校してきて早々に言ったんです。バカみたいでしょ?

 けろりとした顔で言うもんだから、冗談だと思って、笑っちゃったんです。「なにバカなこと言ってんのー」なんて言って。


「死体だって見たんだから」と頬を膨らませて言うもんだから、思わず吹き出してしまったんです。そんなことあるはずがないと思いっきり笑ってやりました。そしたらクラスメートが「なに笑ってるの?」なんて、おかしな人でも見るように私に言うんです。どうやら彼女に美夜は見えていないようでした。


 その場をなんとなしに取り繕って、私は美夜を見つめました。

「だからね。死んじゃったんだ」

 とてもじゃないけど信じられませんでした。美夜はいつもと同じように血色の良い頬に、キラキラと瞳を輝かせていたので。


 直接、言ったことないのですが、美夜は嘘をつくとき、唇をなめる癖があるんですよ。かわいいですよね。教えてあげたりはしませんけど。

 その時の美夜は、「嘘だよね」と訊ねる私に「うーん」と可愛らしく唸るだけでした。


 そしたら先生が教室に入ってきて、クラスメート全員を席につかせて、沈鬱な表情で言ったんです。

「松山美夜が今朝、車にひかれて、搬送先の病院で息を引き取った」って。


 ざわめきが教室を包み込みました。

 先生はみんなに落ち着くように言って、遺族のことを考えてあまり騒ぎ立てないように付け加えました。

 事故を目撃し、気分が優れない生徒は気兼ねなく先生に申し出るように、とも。


 当の本人はというと律儀に席について、無表情で自分の訃報を聞いていました。それから、アタシの方を向くと、「ほらねー」とおどけて肩をすくめてみせました。


 そのあとも先生はなにかを説明していましたが、耳には入りませんでした。閉めきられているはずの窓の向こうで、蝉時雨だけが耳鳴りのように響いていました。


 先生が職員室に戻って、すすり泣きが重なりあう教室で私はぼんやりと「じゃあ、今自分の席にいる美夜はなんなんだろう」と思いました。いつもの朗らかな笑顔で照れたように後頭部を掻いていた女の子は。


 幽霊。

 ようやく気づいた私が再び顔を上げて、美夜の席を見ると、彼女は影も形もなくなっていました。文字通り煙のように。はじめから、美夜なんて人物は存在しなかったようにいなくなっていたんです。


 猛烈な吐き気に襲われ、トイレに駆けこみました。便器にしがみついて、今朝のトーストをリバースしてから、呼吸を整えて、口をすすいで、ぐわんぐわんする頭でポケットのスマホを取り出しました。


 美夜の連絡先を呼び出して、「いまどこ」とメッセージを送信しました。返事はないということはわかっていました。美夜は亡くなったのですから。急に実感となって訪れた事実に身震いが起きました。涙が溢れて止まりませんでした。先ほどの美夜はわざわざ私に最後のお別れを言いに来たんだと悟ったんです。


「屋上ー」

 返事が来ました。愉快な絵文字つきでした。

「はぁ?」思わず声が出ちゃいました。

 顔を洗面所の水で何度か洗ってから私は、「なんで屋上?」とスマホに入力しました。直ぐに返信がありました。

「天国に近いから、かなぁー」

 笑えないし、縁起でもありません。


 一時間目をサボって屋上に行きました。だって親友がそこにいるのだから。だけど、現実は思ったよりもシビアで、当然のように屋上の扉は施錠されていました。扉の前で美夜に呼び掛けましたが返事はありませんでした。


 スマホの問いかけには流暢に答えてくれるのに。

「なんで出てきてくれないの?」

「恥ずかしいから」

「さっき会ったじゃん」

「なんか急に恥ずかしくなってきちゃった」

「早く顔を見せてよ」

「無理無理無理。アタシ死んじゃったんだもん」

「死んだなんて嘘だよね?」

「ううん。本当」

 屋上に続く階段に腰かけて私は頭を抱えました。薄暗い踊り場は今の気分にぴったしでした。


「でも天国にはいけないみたい」

 松山美夜は天使みたいな女の子でした。幼馴染みの私が言うのもなんですが、本当にいい子で、そんな子が天国には行けないはずがありません。

「なんかね、未練があるんだって。その未練を断ち切らないと天国にはいけないの。良くある話だよね」


「未練?」直ぐに既読がつきました。

「好きな人がいたの」

 返事はドアの向こうから聞こえました。いつもの美夜の声。

「誰?」私の質問に美夜は答えることなく、変わりにスマホの画面にクラスメートの男子の名前が入力されました。


「え」思わず声が出ていました。私の好きな男子の名前でした。誰にも言ったことなかったのに。

「ごめんなさい」美夜が小さく声をあげました。

「真昼ちゃんが好きなの、気づいてた。だってずっと見てきたから」


 美夜の未練は思いを伝えられなかったことらしいです。困り果てた私に代わって、美夜は明るく言いました。

「アタシの代わりに思いを伝えて」


 途端に饒舌になった美夜が言います。

「アタシの伝えられなかった思いを、真昼ちゃんの分も加えて告白してよ。大丈夫、絶対に成功する」

「そうしたら、美夜はいなくなっちゃうの?」

 正直言うと美夜がいない世界に私は耐えられそうにありませんでした。


「大丈夫。真昼ちゃんの幸せを天国から見守ってるから」と言い放ちます。

「どうかアタシの未練を無くさせて」なんて殊勝に言うもんだから、私は小さく「わかった」なんて頷いてしまいました。


 美夜からの返事は無くなりました。

 ラインを送っても既読がつくことはありません。

 屋上の扉に話しかけても、答えが返ってくることはなくなりました。


 それが正しいことなのかも知れませんが、私は納得できませんでした。

 勝手な女です。いつもそう。

 随分と美夜に憤慨して、階段を一段飛ばしで駆け降りたことを覚えています。

 彼女を失った悲しみよりも、死んでからも変わらぬ身勝手さに腹が立ちました。だけど、そういう我が儘なところが彼女の魅力だと、やっぱり今も思うのです。


 それから数日後に美夜のお葬式がありました。葬儀に出ても現実感わきません。だって、亡くなってから私は美夜と話をしたのだから。


 美夜の死に顔は綺麗でした。本当に眠っているみたいで。白い煙が煙突から出て、高い空に溶けても、お骨がお墓に収まっても、やっぱり美夜の死が受け入れられませんでした。


 美夜には毎日ラインを送りました。返事はありませんでした。身勝手なやつです。それでも、あのときのやりとりはずっと残っていました。


 それから数ヶ月経って、蝉時雨が雪へと変わる頃、ようやくクラスメートの死を吹っ切れたみんなが、卒業式の準備を進める中、私は告白しました。


 体育館の裏というベタすぎる場所で、「好きです。付き合ってください」とシンプルに思いを伝えました。正直答えはどちらでも良かったのですが、やっぱり初めての告白というのは緊張するもので、声が震えていたことを今でもよく覚えています。


 返事はオーケーでした。私は晴れて憧れの人と恋人どうしになれたのです。嬉しくて、跳び跳ねたい気持ちでした。そのあとハツカレと校門前で手をふって別れました。お互い耳を赤くし、ぎこちなく、はにかんで。


 返事は無いとわかっていたけど、美夜にラインでその事を報告するとすぐに既読がつきました。スマホはとっくに解約されているはずなのに、美夜から返事があったのです。ただ一言、

「おめでとう。どうかお幸せに」


 学校に戻りました。走りました。人生で一番全力疾走したかも知れません。どこに美夜がいるのかわからなかったけど、彼女に直接感謝を伝えたかったのです。


 屋上へ続く扉の前で私は彼女の名前を叫びましたが、冬の風が唸るばかり返事はありませんでした。苛立った私は拳を握りしめて二三度、扉を叩き、「美夜!」と彼女の名前を呼びました。いるなら返事をしろと。


「おめでとう」とまた淡白に返事が返ってきました。久しぶりに聞く彼女の声に私の目から涙がボロボロとこぼれ落ちました。


「これでようやく諦めがつくよ」と冗談めかした声で美夜が続けます。「好きな人には幸せになってほしいからね。真昼ちゃんなら、きっと大丈夫」

 屋上のドアノブを掴みますが、案の定、施錠されています。

「全部うまく行く」

「ねぇ、美夜!」

 声をかけるけど、返事がありません。ラインの返事もありませんでした。


 私はポケットから鍵を取り出して、解錠しました。ドアノブを捻ると今度はあっさりと開きました。冬の冷たい風が吹いています。バサバサとスカートが音をたてて揺れました。


 オレンジ色の空の下、松山美夜は生前と変わらず立っていました。違いといえば彼女の艶やかで長い髪がなびくことがないことぐらいでした。


「あっ」

 美夜は驚いたように口許を抑えました。

「もう会わないつもりだったのに。なんで今日鍵かかってなかったんだろう」

 こっそりと屋上の合鍵を作っておいたのです。悪いことだと知っていましたが、美夜に会えるときに会えないなんてそんな悲しい思いをするよりはましだったから。


「会うつもりなかったなんて、なんで、そんな悲しいこと言うの?」涙をボロボロ流す私に美夜は優しく「だってアタシ、もう死んでるから」と笑いました。


「それでも私は会いたいよ」と美夜に言うと困ったように「アタシも会いたいけど、それじゃあ、ダメなんだ」と続けました。

「だって、真昼ちゃんといると未練が生まれちゃうから」と呟きました。


「あの人と一緒にいられないのがそんなに辛いの? 美夜が辛いなら私は……」その時の私は勘違いしていたんです。美夜はなにも言わずに微笑みました。


 美夜の体がぼんやりと幻のように薄くなっていきます。まるで春の日差しを浴びたカーテンのようでした。薄れていく彼女の気配を呼び止めて、叫びました。

「あなた本当にカレのことが好きだったの?」


「うん。大好きだよ」頬をつたった涙が顎の先から落ちました。美夜は唇をつたった涙の筋をなめとり微笑みました。

「真昼ちゃん、長生きしてね」


 そんな言葉を残して、美夜は消えてしまいました。あとには爽やかで、冷たい冬の風が吹くばかりでした。

 はじめからただの願望を夢のように見ていただけなのかも知れません。


 それから私は幽霊を見ていません。

 元から霊感なんてありませんし。美夜以外の幽霊を見たいとも思いません。


 あのときの事は白昼夢だったのかもしれません。ただ、冬の風に舞った桜の花びらが、夕暮れに透けていくのを、いまでも忘れずにいます。


 数ヶ月経って、私はカレシと別れました。卒業前で付き合いはじめても進路で疎遠になって、おしまい、という良くある話です。


 高校生になって、大学生になって、それなりに恋愛して、別れて、そんなことを何回か繰り返して、それでも、美夜が私の前に現れることはありませんでした。


 年々薄れていく彼女の声や笑い方や仕草や癖の記憶を、私は手放したくないと願うのです。


「真昼は俺と付き合っているとき、いつもどこかを見ている気がする」と何回目かのフラれ文句で私はまた一人になりました。テメーから付き合ってほしいといったくせに、と舌打ち混じりにふて寝してもモヤモヤが晴れることはありません。男はテキトーなやつばかりで嫌になります。


 独り暮らしも二年目なると、無性に寂しくなるときがあります。薄暗い玄関に静寂が支配する六畳一間。孤独を紛らわせるようにバラエティを垂れ流しても、効果は全く期待できません。そういう時、逃避するようにお酒を飲みました。


 コンビニで買った甘い缶チューハイをあなたと一緒に啜れたら、こんな気持ちになることはなかったんだろうな、と十四歳の頃の写真を眺めながら思うのです。


 彼氏と別れたばかりの時は、「いまの私はなかなか不幸なほうなんじゃないかな」とぼんやり思うのですが、幽霊を見ることはありませんでした。

 もう一度だけでも、あなたに会えるなら、私は不幸で構わないのに、と眠れない夜に涙を流すんです。


 それでも最後の言葉を思い出して、私はただ死ぬまで生きようとほろ酔い気分で思うのです。



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