⑩重い雰囲気
男が一人。
メガネの男は背が低いが髪と髭は整っていて、穏やかな出で立ちだ。夏目漱石の「こころ」に出てくる、先生みたいな雰囲気と言えば伝わるだろうか。
「ああ親父。
こっちが呼木さん。後のふたりはめりいとろいこだ」
雑に紹介された。
どうやらメガネの人はヨシアのお父さんらしい。
「そうですか。息子がどうもお世話になります」
ヨシアのお父さんは深く会釈をした。私もろいこも軽くぺこっと挨拶。
呼木さんは立ち上がって深く一礼した。
「はじめまして。いつもヨシアくんと話している者です」
呼木さんが挨拶した。
ヨシアのお父さんは訝しむ。
「此方の方は、学校の先生かな?」
「違うよ。聖書の勉強している人だよ」
ヨシアのお父さんの表情が険しくなる。
「なに?聖書だと?」
考え事でしばし止まるヨシアのお父さん。
周りのみんなも、しばらく沈黙した。空気が重くなってきた。
沈黙してしばらく、ヨシアのお父さんが口を開く。
「呼木さん、と言ったかな。うちの息子は神主になるんだ。キリスト教の教えを吹き込まんでくれるかな」
敵意むき出しの言葉が飛んできた。
呼木さんは帽子の縁で目元を隠す。申し訳なさそうな顔をしていた。
「すみません、ヨシアくんのお父さん。出過ぎた真似をしました」
フン、と鼻を鳴らすヨシアのお父さん。
「まあ、金輪際関わるなとまでは言わないが、気をつけて貰いたいものですな」
その場を立ち去ろうとするヨシアのお父さん。
「待てよ」
ヨシアが引き止める。
「呼木さんは俺が呼んだんだ。悪く言うことないだろう!?」
ヨシアが父に向かって反抗した。ヨシアにとっては、勇気のいる行動だったかもしれない。なにせ、珍しくヨシアの手が握りしめられ、拳が震えていたのだから。
ハァー、と頭を抱えるヨシアのお父さん。
「・・・・お友達が帰った後で、話がある」
ヨシアのお父さんは、階段を降りていった。
突然のことで、すっかり居心地が悪くなってしまった。
しばらくシンとした沈黙に包まれる。重苦しい空気が、息をするのも忘れさせるほどだ。
「ごめんね、私のせいで・・・」
呼木さんが正座をして頭を下げる。
「なに言ってんの!呼木さんは悪くないじゃん!悪いのはその・・・」
ろいこが黙る。誰が悪いといえば、いきなり雰囲気を悪くしたヨシアのお父さんが悪いのだろう。しかし、誰が悪いと責任を押し付けるのは良くないことを、ろいこは咄嗟に理解した。
「親父も出掛けてたから、今日は留守にしてると思ったんだ。ごめん。呼木さん」
いつものヨシアの余裕がない。じーさんとは呼ばず、その顔はしおらしい。
「みんな悪くないよ・・・・」
私、めりいが言えるのはそのひとことが精一杯だった。重い雰囲気を少しでも和らげたかった。
ヨシアは私たちを神社の入口まで送ってくれた。呼木さんは杖を貰って、1人でも階段を降りられるようになったものの、気分のせいか足取りは重いように感じた。
「・・・・・・」
みんな気まずい。男の子の部屋に初めて言った喜びなど、霧散した。
呼木さんが悪く言われたことに、誰もが不快感を持っていた。が、誰もヨシアのお父さんを責めることができない。
問題はもっと深い根にあるような気さえした。だって、ヨシアのお父さんがあんなにキリスト教を、呼木さんを嫌っているのには深いわけがあるんだ。私はそう感じた。
「なあ、やっぱりMomから聖書を貰おうぜ。このままじゃ、釈然としねーよ」
「ヨシアくんがそう言うなら……」
ろいこは消極的だった。無理もない。
「あら?皆さんお揃いで」
向こうの方から、金髪の妊婦さんがやって来た。手には買い物袋をぶら下げている。
「Mom!買い物なら俺がやるって言ったのに……」
「だってえ、動かなきゃ暇なんだもん!暇すぎるのは赤ちゃんにも悪いでしょう?」
ヨシアのMomは快活な人だった。日本語も達者だ。ヨシアのお父さんとは打って変わって、明るい雰囲気がみんなを包む。
「わーはじめましてー!ヨシアくんの恋人のろいこって言いますー!」
「!?オイ」
ろいこも元気を取り戻した。
「隅に置けないね、ヨシアも」
ヨシアのMomはフフっと微笑む。
「ヨシアくんのお母様ですか。これは初めまして」
呼木さんはいつもの様に深く一礼した。
「あらあらどーも?今日は家庭訪問だった?」
「いえ、私は……」
呼木さんは言葉を濁す。さっきのようにならないか心配していたのだ。
「あのさMom!聖書持ってるなら、くれよ!」
「あげません!」
「ええーっ!」
漫才みたいな流れになった。
「ってのは冗談で、どうしたのいきなり?」
「この呼木さんから、俺は聖書のことを教わってるんだ。もっと詳しく知りたいからさ、聖書、あるから貸してほしい……」
『くれよ』から『貸してほしい』にランクダウンしたヨシアの頼み。
「別にいいよ。もう何年も読んでないし」
「えっ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
さっきヨシアのお父さんとギクシャクして、家に戻りづらい事情を説明し、ヨシアとお母さんとで、聖書を取りに行った。
漸く(ようや)戻ってきた2人。
「わざわざすみません、お腹にお子さんがいらっしゃるのに……」
「いいのいいの。生まれるのは、まだ先の事だから」
ヨシアの手には、赤い聖書があった。
「これね、私のMom、ヨシアのGrandMotherね。が持っていたものなの。私が日本に来る時に、Momがくれたの」
「『これを持って、毎朝聖書を読んでね。神さまがいつもあなたを守ってくださるから』って。
でも私は教会なんて、イースターとクリスマスの時しか行かないし、関わり薄かったからなぁ・・・」
ヨシアのMomは上を向く。
天国の方を見ているかのようだった。
「だからそれはあなた達が有効に使ってください。私には荷物になってた」
ヨシアは赤い聖書を両手で大事そうに抱えた。
それは、ヨシアによっても、私たちにとっても大切なものとなりそうだった。
ヨシアとMomに一礼し、私たちは帰っていった。
今日は色々あったが、ヨシアのMomに会えて目的を果たせてよかった。
Momの明るい雰囲気のお陰で、私たちは天使の羽が生えたように、足取り軽く、家へ帰っていった。
続く。




