そして3年後
あれから3年の月日が流れた。
長いようで終わってみればあっけない、時間とはよくわからないものだ。
俺たちがここ数年で味わったのは耐え難い苦痛の日々だった。
飯もロクに与えられず、睡眠時間も短い。
ただただ罪を償うべくお国のための労働力として酷使され続けてきたとでもいうべきか。
最初のうちはそうした扱いに不平不満を零す元気も残っていたが、1ヶ月も経たないうちにそうした気力も薄れていき半年で廃人同然の状態になった。
一滴の水さえ貴重な飲料だった。
たった数分のしがない休憩時間がたまらなく愛おしかった。
これでも本来なら死ぬまでの100年以上という馬鹿げた年月になる予定だったのだから感謝しなくてはならない。
そうした語るに恐ろしい地獄を乗り越え刑期を全うした今、俺たちはようやく太陽の光をその身に浴びている。
こんな地獄を味わうなんて二度とごめんだ。
「眩しいなぁ……」
手で遮ってもその光がやたら眩く感じた。
地下の薄暗い世界から一転して光に満ちた世界だ。
かつて自分たちも同じ世界にいただなんて信じられないくらいに。
俺たちは黄昏の獣王団解体後もそのままずっと3人でつるんでいた。
離別しなかった理由は一人になるのが嫌だったからだろう。
どこへ行っても最早俺たちの存在など覚えているものはおらず……
「覚えてますよ。さっ、溜めていたツケを払ってもらいますよ」
……一人いた。
俺たちがいきつけていたタダ飲み酒場の親父。
それをおいてもうほかに俺たちのことなど覚えている者なんて一人もいなかった。
三年の労働に耐えた後、それなりに繁盛している酒場で6ヶ月労働を続けた。
正直あの地獄に比べたらかなりマシな扱いだったので、それほど労を要することはなかった。
賄いの飯がこの世で一番の馳走になるだなんてつい数年前までは考えられなかった。
「もうタダ飯するんじゃねぇぞ」
「……うっす」
働いて得た賃金は借金返済分よりほんの少しだけ多かったようで、その分は俺たちの取り分としてサービスしてくれた。
とりあえず無一文で外に放り出されなかっただけまだ救いはあるが、これからどうすることも俺たちにはアテがなかった。
この数ヶ月間外の世界で働いていると様々な情報が耳に入って来た。
俺が入隊拒否してやったオカマ野郎ことマーブルとあの時酒場で俺にゲロったやつらがなんか知らないが超難度のクエストクリアでAランクパーティに昇格しているらしいし。
今では深紅の薔薇もめざましい活躍を遂げ、王国専属の魔導騎士団になってるとかなんとか。
なんだか果てしなく時代に置いて行かれた感がするぜ。
「……ねぇカムイ様」
「何だルーナ」
未だこんな俺を律儀に『カムイ様』と呼んでくれるこいつらは、アテもなく彷徨っている最中に語りかけてきた。
「私たち……もう一度やり直しませんか?」
「やり直すったって……まさかパーティーをか?」
「ええ。もう謹慎も解けたと思いますし……ここからまた始めましょうよ」
「そ、そうよ。このまま終わるなんて……なんか……」
そう言う二人の顔はとても悔しそうなものだった。
酒場で働いてそういう話が聞こえてきた時、こいつらも何か思うことがあったのだろう。
忘れられないかつての栄華。
前人未到の世界に入り込んで思い切り冒険を楽しむあの輝かしい日々。
道ゆく人々から称賛され、同業者からも一目置かれるそんな世界。
あの感覚は一度味わうとやめられない。
その気持ちは俺にも痛いほどわかる。……だが。
「もうよせ。俺たちが今更何をしようとどうにもならないさ」
それにまたいつ調子に乗って何をやらかすとも限らない。
軽いノリで行ったことが後々とんでもない事になる、そしていくら誤魔化し隠そうとしても必ず真実が露見され然るべき処置を受ける。
それはこの地獄の数年でよく理解できた。
見果てぬ夢を描けるのは一部の天才のみ。俺たちのような人間ではない。
そう例えるならあいつ……ロシュアのような人間のことだ。
「それですよ。ロシュアさんに声をかけてまた戻って来てもらいましょう」
「いや……無理だろそれは……」
あいつは既に王国の兵士とかになってるし、俺たちから離れてパーティーを結成してるし。
今更俺たちが駆けつけたところで……。
「な、ならせめて会いに行くだけ行ってみましょうよ。何か私たちが助けてもらえるきっかけになるかもしれないじゃないですか」
ルーナは俯いてそう言った。
その顔はかつてのような聡明で理知に溢れ、健康的なものでは無くなっていた。どこか切羽詰まったような、余裕のない痩せ細った女のような。
「少なくとも今のままじゃ…………」
その言葉の続きは語られなくてもよくわかった。
たしかにそうだ。ゼロから出発しようにも、多分ついて来てくれる人なんてどこにもいないだろう。
四人目としてかつての旧友を……あるいはそのツテを頂戴するという発想は間違っていないだろう。
……今更どのツラ下げて現れるのだという話ではあるが。
「そ、そうよ。ロシュアだってあたしらを助けて減刑させてくれたんだから!またあたしたちが困ってたらきっと助けてくれるって!」
ソアラの表情も、いつもみたいな小生意気で強気なものではなく、藁にもすがる思いを表しているようなものだった。
みんな多分本気でロシュアが帰ってくるとは思っていないだろう。
それでもまだ何かできるとすれば……という淡い期待に過ぎない。
再会か……。
「仕方ない……。だがこれで断られたら今度こそ俺たちは解散だ」
自分自身、限界はなんとなく見えている。
おそらく再始動したところでこれ以上強くなることなんてないだろう。
どんどん激化していくダンジョン難易度やそれに比例するように跳ね上がる冒険者の強さ。
そんなものに自分がついていけるなんて気持ちは微塵もない。
他人の後塵を拝するくらいなら潔く冒険者なんか辞めてやる。
そう思っていたのだが、俺が結成したパーティーで俺の都合だけでこいつらから夢を取り上げるのはどうかしてると改めて思った。
辞めるのは全員が諦めてからだ。
思えばずっとパーティーでも誰かの意思を尊重したことなんてなかったように思う。
俺が発言して、俺が意見して、俺が納得すれば他の連中も同じように同調する。
つくづく呆れた暴君体制だ。これじゃ人が寄り付かなくなって当たり前だ。
でもあの時は自分が居ればなんとかなると思っていた。
世界なんて単純なもので、自分が声を上げればそれが全てまかり通ると信じていた。若さ故の過ちだ。
そんな俺たちとは真逆の道を歩んできたロシュアは、全く異なる顛末を辿っていった。
仲間に恵まれ、富に恵まれ、居場所に恵まれた。
望むものはなんでも手に入るが、自分から望むことは決してない。
望めば望むほど欲しいものから遠ざかっていった俺たちなんか皮肉の極みだ。
無欲ともまた違うが……そんな謙虚な奴だったからこそ大成功を成し遂げることができたんじゃないかと、今なら思う。
そしてつくづく思う。逃した魚はデカかったと。
何故もっとロシュアの可能性に気付いて有効活用できなかったのだろう。
あいつと組んでいれば今頃俺たちはSランクだって夢じゃなかったというのに。
……いや、むしろ俺たちが足を引っ張っていたせいであいつはAランク止まりになってしまっていたのかもしれない。
補助魔法だってもっと有効に効果が発揮されるやつに使えば、ますます躍進を遂げていたことだろう。
つまり今のあいつこそがなりたかった本来の自分であり、俺たちと組んだことがそもそもの間違いであり……。
と考えていたらますますこの先会うのが億劫になってくる。
既に千回単位で吐き尽くしたため息を肺の奥に仕舞い込んで、ロシュアの住んでいるところに向かっていった。
ロシュアの家はすぐわかった。
というのも王都で知らぬものはいないほどの豪邸に住んでいるからだ。
その規模といったら、ジール国王の城と見比べても遜色ないほどのもので、まさに噂に違わぬ要塞といったところだった。
これでも元は馬車を改造して作ったものらしいと伝え聞いている。ますますもってあいつの化け物ぶりが垣間見える。
玄関の扉をしきりに叩くと、中からエプロンドレスを身につけたメイドさんと思わしき人物が出て来た。
「……どちら様でしょうか」
「あ、あの……俺はカムイと言いまして……ここの家主であるロシュアとは腐れ縁というか古い仲なので……ちょ、ちょっと会いに来ちゃったかなーなんて……」
出て来た瞬間から分かる。メイドさんの身なりからもそうだが、住む世界が違う。余りにも豪華で高みにいる上級なものだ。
自分たちの見窄らしい格好と対比されそれが余計に際立ってくる。
メイドさんの冷たい視線に晒される度に冷や汗が止まらなくなる。
たしかにここ数年、ものすごい勢いで躍進してきたロシュアだったがいくらなんでもこんなに豪勢な暮らしになるものなのだろうか。
大分不審そうな顔をしていたが、メイドさんは「少々お待ちください」と言って扉を閉めた。
俺たちの誰もがその場で圧倒されたのは言うまでもないだろう。
「……ね、ねぇ大丈夫だよね……会ってくれるよね……ロシュア」
「そ、そもそもこの家にいるのかさえも……」
たしかにありうる話だ。
これだけ金持ちになっているんだ。もしかしたら別の大陸や国に赴いている可能性だって十分にある。
しかしそんな俺たちの凡庸な思考とは別に、メイドさんが再び俺たちの前に戻ってきた。
「お待たせしました。旦那様がお会いになられるそうなのでご案内いたします。どうぞこちらへ」
「お、おおお……こりゃどうも」
マジか。
ロシュアがいるってだけじゃなくて、あいつが俺たちの事を聞いて会うと言ってくれるだなんて。
あっちからしたら忘れられない記憶になっているだろうけども、てっきりもう記憶の彼方に消し去ったのかと思っていた。
荘厳なカーペットが敷かれた金細工の空間は、外の光を初めて見た時とはまた違う目眩がしてくるほどだった。
どんだけ金かかってんだこれ。
「売ればひとつ10……いや100億ジールはくだらないでしょうね……」
「ば、ばか。だからってその辺の柱や甲冑引っこ抜くんじゃねぇぞ」
「しませんよカムイ様じゃあるまいし」
おい。
一昔前の俺ならやりかねんだろうが、どんなイメージ抱いてるんだ。
光物に目がないソアラも大満足でご満悦な様子だった。
無理もない。俺も自然と頬が緩む。
緊張はしてるんだが、なんというか夢心地のような感じがして。
「この中におられます」
「よ、よし入るぞ……」
案内された2階の扉が、これまで見て来た中でいちばん大きなものだった。
湧き出して来た手汗で滑りそうになるドアノブを両手でしっかりと抑えながら扉を開けようとした。
すると――
「ぐえ!!」
いきなり勢いよく扉が開き始めた。
思わず顔に扉が迫ってきてその場に撃沈してしまう。
「あーあーうー!」
そこにはぷるぷると震える両足で直立不動し、両手を突き出している稚児がいた。
「な、なんだなんだ……?」
「赤ちゃん……?2歳児くらいでしょうか」
「こら!ダメでしょローシュ!」
部屋の奥から全身きんぴかのドレスを身に纏った美しい女性が飛び出して来た。
顔もとんでもなく美人だ。
何より胸がでかい。ドレスの胸部から一歩間違えば溢れ落ちてしまいそうなくらい。
女性は走り出した赤子を抱くと俺たちの顔を見た。
「すみませんうちの子が……」
「あ、あぁいえいえ気になさらず」
その女性は俺たちを見て一瞬「?」というような顔つきをしていたが、やがて何かを思い出したかのように叫んだ。
「もしかして……カムイ!?」
「そういうあなたは……ええっと?」
はて。こんなとんでも美人にどこかで出会った事なんてあっただろうか。
思い返してみてもそんな記憶はかけらもない。
一度見ればこんな美人そうそう忘れようはずもないのだが。
「ちょ、ちょっとメイ!お客様って……」
「はい。こちらにおわす方々にございます。なにやら旦那様に要件がお有りのようでして……」
「も、もう……通す相手は選びなさないよ…………。まぁ、あんたたちは忘れてるかもしれないけど、私は忘れてないから。私はターシャ、あんたたちが散々いじめてくれた私の愛しいロシュア様……いえ旦那様の妻です」
「………ええええええっ!?ろ、ロシュアの妻て……え、え!?じゃ、じゃあその子供……」
そういうとターシャはぽうっと顔を赤くして俯いていた。
「はい……私と旦那様の子供です♡」
う、嘘だろ。まさかあいつが……。
そういやよく見るとどことなくあいつの面影がないでもないが……。
「なんだというのだターシャ。もう乳はあげたであろう……ん?」
さらに部屋の向こうから現れたのはエルフの女だった。
こいつの顔にだけはなんとなく見覚えがあった。
エルフはいかんせん歳を取るのが人間よりも遅いため、判別は容易だった。
なるほど。ということはここにいる全員あの時出会ったロシュアのハーレムたちということか。
《乳なら妾が代わりにやると申すのに……いでででこ、こらアリシア!髪の毛を引っ張るなと言うのに!》
更に炎の精霊が馬乗りで赤ん坊の乗り物になって出てきた。
「ま、まさかその子も……」
「そうよ。私双子産んだのよ」
「男の子はローシュ様、女の子はアリシア様だ。二人とも玉のように可愛い子でなあ……」
《可愛さ余って元気100倍じゃ!誰か交代で面倒みてくれ!》
「おいおい。今日はキミが志願したんじゃないかサラ。アリシア様とあそぶーって」
《そ、そうじゃがこの子的確に妾のまぶたとか上顎狙って指とか突っ込んでくるんじゃもん!手に負えん!》
「やれやれ……」
エルフがアリシアに触れると、アリシアは人が変わったように大人しくなっていった。
「よしよしアリシア様……」
《…………なんじゃ?胸か?胸が足りんというのか包容力なのかぁーっ!!》
「お、落ち着けサラ!君が怒ると火事になるぞ!」
荘厳な空間でドタバタの珍喜劇が披露されていると、やがて満を辞して主人が登場した。宙に浮きながら。
「ごめんねみんな。アリシアもローシュもまだまだわんぱくで…………ってあ、あれ?」
そいつは俺たちを見て何か覚えがあったのか、額から若干汗をかき始めているようだった。
「…………も、もしかしてカムイたち……なの?」
「ひ、久しぶりだな……ロシュア」
かくして俺たちは数年の月日が経ち、お互い姿形も完全に変化した状態での再会を果たした。