1.夢見た日の到来
この時にも、私は座っていた椅子を押し倒しながら退いて、歓喜交じりの悲鳴を上げていた。
「嘘ッ、うそ!! 嘘ウソうそウソ…………嘘ッ、ウソ!!!! 当たってるっ、当選してるッッ!!!!」
照明に照らされた部屋の中。ピンク色のベッドの上に散らかした学生服のスカートが、今もPC上で行われている生放送に映り込んでいる。
コメントとして流れてくる文字の群は、私の反応に対する焦りや問い掛けの言葉が書き込まれていた。だが、それはもう、この視界の隅に絶え間なく流れ去っていく白文字の弾幕に過ぎない。その内容に目を通すほどの余裕も、今の私には無かった。
この視線は、一点に集中していた。自身の姿が映し出された生放送の枠の外、もう一つのウィンドウで開いてあるフリーメール一覧。一時間ほど前に届いたのであろう一通のメールを見て、私は生涯の中で一番とも言える驚愕をしていた。
――あり得ない。絶対にあり得ない。未だに受け入れ難い現実に狂喜しながら、リスナーをほっぽり出して届いたメールの内容へと目を通していく。
「拝啓、友仁彼方様。うんたらかんたら……。この度はご応募、誠にありがとうございました。再抽選の結果、友仁彼方様に、五感体験型VRアクションアドベンチャーゲーム、〈ザ・ゲームワールド〉への挑戦権が当選いたしました、っ、っぁぁァアアアアアアアアアッッッ」
もう、実名を口にしながら読んだメールの内容に、次にも私は昇天してその場に倒れ込んでしまった。
流れるコメントには、驚きと喜びの声が流れていく。『マジか!!』、『おめでとう!!』を始めとして、『!?』や『マ???』といった白文字の群が生放送の画面の枠を覆い尽くす。
着けていたヘッドフォンは、ぶっ飛んで床に転がっていた。退く勢いで押し倒した椅子も車輪がコロコロと回り続けている。
その場で倒れ込んで、しばらくとこの現実を噛み締めることしかできなかった。……あぁ、そんな。こんなことが、あるなんて……!! ワクワクに心臓が高鳴る中、私はほんの少しと興奮が収まったところで顔を上げて、カメラに映り込んでいく。
「ッ、ぇぇっ、ッあぁ~~。あああ~~~ぁマジやばい!!!! っあー、ホンっトに嬉しい!! ――ッ。だって、だって。”ゲームワールド”だよ!! ”ゲームワールド”!! 皆!! あの”ゲームワールド”だよ!! まさか、そんな。当選するなんて、思わないじゃん!! いや、ホントに嬉しい。本当に嬉しい……ッ」
正に、今も〈ザ・ゲームワールド〉というVRアクションアドベンチャーゲームの”中継”を観ながら、五千人のリスナーの皆と雑談をしていたところだった。
PCに映るもう一つのウィンドウには、現在も”ゲームの世界でサバイバル生活を送る選手”が、幻想的で広大な草原のフィールドを駆け回っている最中。その選手は二十代前半くらいの男の人で、時折カメラに向いては状況を説明していたりと、忙しない様子ながらも満面の笑みを見せていた。
遠くに落ちているヘッドフォンからは、その選手の声が僅かに聞こえてくる。転がる椅子はそのままに、机にしがみつくようにカメラに映り込んだ私は、自分の黒い長髪を鬱陶しげに払いながらリスナーに微笑んでみせた。
「……ようやくだよ。私の夢、ようやく叶った……っ!! ずっと、”あの世界”に行ってみたいって思ってた。”ゲームワールド”が発表された時から、ずっと、この日のことを待ち続けてた。今、ようやく……私も”あっち”に行ける!! ――憧れだったぁ!! あああーー、嬉しいよぉ。嬉しくて、泣けてきちゃった……」
『〈ハルカちゃん〉が”ゲームワールド”でハツラツと動き回る姿をずっと見たいと思ってました!!』そんなコメントが流れてくる。
すると、それに続いて、私が”あちらの世界”に行けることを祝うコメントがびっしりと画面を覆ってきた。
『〈ハルカちゃん〉は可愛いから絶対”あの世界”でも可愛がられるよ』
『〈ハルカちゃん〉のような子を抜擢した”ゲームワールド”運営は久しく仕事したな』
『とんでもねえやつが選ばれたな』
『朗報:ガチゲーマー〈ハルカ〉、電脳入り』……。
『おめでとう。〈ハルカちゃん〉が”あっち”に行くのはすごく嬉しいけど、”こっち”で見られなくなると思うと寂しくも思う』――
「……あー、そうだね。感覚とか意識を全部”あっち”に持っていくからね。その間は”こっち”では目覚めなくなるから、確かに現実からいなくなるって言い方が正しいかもしれないし、これからは”あっち”で生きていくってことになるんだろうけど……。でも、”向こう”に行ってもこうして放送するから! てか、バーチャル冒険者って、それで稼いでいく職業だし! また”向こう”でも会えるからさ、そう寂しがらないで応援を続けてよ!」
……でもこれ、親をどう説得しようかな。てか、高校はどうなるんだろ。
そんな心配を考えて上の空になる私。ぼーっと耽る間にも視界に流れていく白文字を眺めていると、ふと一人の”先輩”を思い出す……。
「……〈グレン〉!! 〈グレン〉に報告! このことを伝えなきゃ――あ、スナイプにログインした。ちょうどいいタイミング!! っあ、リスナーさんがしてくれたんだ。仕事早いね!! ありがとう! てか〈グレン〉も相変わらず行動が早い! さすがアイツだわ。……通話来た!」
ボイスチャットアプリ経由で電話が掛かってくる。それを机にしがみついた状態でワンクリックで受話器を取り、お互いのカメラを使用した通話画面へと映った。
遠くに落ちているヘッドフォンからは、聞き慣れた男の声が響いてくる。その距離からでも十分に言葉を聞き取れるほどの、ハキハキとしたハツラツな声の持ち主だ。
『〈ハルカちゃん〉!! 聞いたよ――って、ブフォッ、なんだよそれ!! 頭の上半分しか見えてないんですけど!! 〈ハルカちゃん〉にしては珍しい演出だね!! 良いと思うよ!』
「〈グレン〉、私、嬉しすぎて頭がおかしくなりそう……」
『いやもう既に頭おかしいから大丈夫だって!!』
「は??」
『あー、口が滑った! いやね、俺はフォローしたかっただけなんだけどね!! あー、じゃあ、こうか。あまりの嬉しさに、意識が〈ハルカ〉、彼方まで飛んでいっちまった。てかー????』
「あ???? ぶっ飛ばすぞ??」
『あーっはっは、わりぃわりぃ~~~』
ボイスチャット経由で映った黒髪ショートの青年。その如何にもパリピな雰囲気を醸し出しながら、その日常ではきっと無意識なさり気無いナンパをしていそうな、そんな快活な彼からの言葉を受けて、私は一気に冷めた調子となって低音ボイスを発していく。……まぁ、この低音ボイスこそが本来の私の声なのだけども。
〈グレン〉とは、付き合いが長い。よくオンラインゲームを一緒にプレイしていて、その様子を二人それぞれが生放送しているという気の合う戦友だ。よくそれでリスナーの動員数を競い合ったり、格闘ゲームの腕を競い合ったり、互いに挑発して罵倒し合って、冗談交じりの険悪ムードでバチバチしている光景は、お互いのリスナーがしょっちゅう目にしている光景かもしれない。一応、仲が良いと自負している。
そんな〈グレン〉にも、このことを報告しておきたかった。というのも、私が”あっちの世界”に行くことができるチャンスを貰えた今、もう”こっちの世界”で共演することができなくなるから。今まで散々と生放送上で競い合ってきて、凸凹コンビとかなんとか言われてアイツなんかと同じ扱いにされてきたりしたけど、それも、”あっちの世界”に行ってしまえば全て終わり。
まぁ勿論、アイツは悲しがるだろうけど?? まぁ、そんな様子を見て、してやったりとからかってやりたいものだ。
……尤も、それは飽くまでも”私だけが当選していればの話”、なんだけど――
「〈グレン〉、私も”そっち”に行けるよ。最初の抽選で〈グレン〉に挑戦権を当てられた時は、おま、こいつ、おま、ぶっ〇してやろうかなんても思っていたけど。ごめんね。また”向こう”でリスナー動員数競争でもしようぜ!」
『アッハッハ!! 〈ハルカちゃん〉しんみりムードを醸し出しながらとんでもなく物騒なことを口にして、俺ちょっと驚いたわぁハッハッハ!!!! これで二人で電脳入りだな! おめでとう、〈ハルカちゃん〉!! この会話、リスナー達にも聞こえているんだろ?? 皆! もう一回、〈ハルカちゃん〉を盛大に祝ってやってくれー!!!!』
ヘッドフォン、遠くにあるのにアイツの声が部屋中に響き渡ってうるさい。
彼の掛け声と共に、生放送の画面がまたしても白文字で埋め尽くされる。しかも、〈ザ・ゲームワールド〉に当選したという情報が出回ったからなのか、いつの間にか動員数が五千から二万近くにまで跳ね上がってるし。
……とにもかくにも、私は夢でもあった電脳入りを果たすチャンスが巡ってきた。既に数百の選手が選ばれて”ゲームの世界”へと送られていて、私もいつか、どんなに時間をかけようとも絶対に”あっち”に行ってやると、強い意志と願いを持ち続けていた。
――私は、ゲームが大好きだ。世間の目が厳しい現代では、胸張って口に出せない肩身の狭い娯楽ではあるが……その電脳が繰り広げる光景や体験は、至高の一時と言っても過言ではない。
今回、〈ザ・ゲームワールド〉というVRゲームは、その至高の一時を”この五感”で体験することができる。視界に広がる景色、身に纏う服装、手に持つ武器、対峙するモンスター、そして……巡り会うNPC達。目にする光景、触れる物、聞こえる音に、戦場の匂い。この五感を一時的に電脳世界へと送り込み、まるで本物のゲームの世界を体験することができてしまう近未来的な最先端のVRゲーム……。
「……ありがとう、リスナーの皆。ありがと、〈グレン〉。私の夢がやっと叶った。この機会、絶対に後悔が残らないようにする」
――ずっと願い続けてきたゲームの世界。
その想いが通じたのだろう、来る日も来る日も祈っては落選に肩を落としてきた桃源郷に、私はようやくと招かれたんだ。
メールに記された詳細にしっかりと目を通した私は、電脳入りに備え始めた。リスナーからの情報提供や、既に当選していた〈グレン〉からのアドバイスを参考に、ガチゲーマーの肩書が売りの女子高校生二年、友仁彼方は夢への第一歩を踏み出していく――――