復讐
一年が経った。
以来、私は何度か神社に足を運んだが、狐の少女が姿を現すことは無かった。
夏祭りの会場となっている神社の風景は去年と変わらない。
新しい学年に上がった私は新しいクラスで新しい友達を作り、一緒に縁日に来ていた。その子は女の子らしい華やかな浴衣を着ていて、以前彩乃と一緒に来た時と同じで軽装の私は少し気後れした。
「あっ、金魚すくいあるよ!」
その子の名前を、私はまだ知らなかった。知ってしまうのが、また失ってしまうのが怖かった、なんていうドラマチックな理由ではない。ただ、聞く機会がなかったのだ。新しいクラスで先生が適当に決めた座席表の通りに座った。そして、ちょうど隣に座っていたのが彼女だ。
よく話す子の名前を知らない、ということが私にはよくあった。でも、こんなこと誰にでもあることなのではないだろうか。
名前なんて、その人を表す文字の塊にすぎないと私は思う。偶然出会い、なんでもないことを話し、一緒にどこかへ出かける。そして、相手のことを知る。急ぐ必要はない。すべてを知る必要はない。
「ここは一つ、勝負といきますか」
私は少しおどけてそう言う。
こういうことを言うのは、私の中ではずっと彩乃の役目だった。
「ごめんね、無理に誘っちゃって、悪かったかな」
その時、一緒に歩いていた彼女が私に声をかけた。私が考え事をしているのがつまらなく感じているように見えたのだろうか、私は慌てて弁解しようとするが、うまく声が出せない。
それでもようやく自分を落ち着かせ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ううん、全然。むしろ、嬉しい」
「それならいいんだけど……やっぱり、私じゃつまんないかな」
「そんなことないよ」
この子は、彩乃のことを知っていた。当然だ、同級生が事故で死ぬなんてことがあれば、噂は瞬く間に広まる。だから、彩乃と特別仲が良かった私に少し気を使っているのかもしれない。だから私は、その時だけは迷わずに言ってやった。
「だって、あなたが私の一番の友達だから」
これは、私の復讐だ。
一年前の夏祭りの日。また明日、と言った約束を守れなかった彩乃への。
私の隣を歩く彼女は一瞬きょとんとする。そして、微笑みを私に返す。
「うん、ありがと」
こんなことを言ったら、彩乃は怒るだろうか。それとも、笑って許してくれるだろうか。
伝えたいことがある。言葉にできない思いは、紙飛行機に書いて飛ばせば届くだろうか。声にならない気持ちは、空に向かって歌えば伝わるだろうか。
彩乃が去った後、いつだったか私は夢を見た。今よりずっと小さい頃の夢だ。
ねえ彩乃、実は私達ずっと昔に一度会っているんだ。彩乃はもう覚えていないかもしればいけど、私は私自身を変えてくれたあなたのことが大好きだった。ずっと会いたかった。もっと仲良くなりたかった。だから、高校で会った時は、本当に嬉しかった。あなたが気づいていなかったから、私は何も言わなかった。きっと私達なら、一から始めても何も変わらないと思った。だけど、その時間はすぐに終わってしまった。
やっぱり私は、まだ期待しているのかもしれない。
「もうすぐ花火が始まるよ。行こ?」
声をかけられ、手が差し伸べられる。私が顔を上げて見ると、果たして、そこにいるのは彩乃ではなかった。だが、私は確かにその手を取った。
「うん、行こう」
その時だった。
リン
いつか聞いたような鈴の音が響く。
私は振り返る。が、私の背後では名前も知らない人々が、私を気にすることもなく、まるでよく見た風景のようにそこにいるだけだった。
「どうしたの? やっぱりしんどいなら休んだ方が……」
名前も知らない、そのうちの一人が私に声をかけた。私は心配をかけまいとして、笑顔で返す。
「大丈夫だよ」
もしも彼女と会えるのが最後だと知っていたとしたら、私はどんなことを伝えただろう。
どこに行こうと思うだろう。どんなことを話しただろう。
それでも私達は、きっといつもそうしたように一緒に遊んで、くだらない話をして。
また、鈴の音が鳴る。今振り向けば、彩乃はそこにいるかもしれない。だけど、
大きな風切り音を鳴らしながら、花火が上がる。
「綺麗!」
言葉にする必要なんてない。伝えたいことなんて、何も言わなくても伝わっているはずだから。
「ねえ、私いい場所を知ってるんだ。一緒に行こ?」
私は、かつて彩乃と一緒に花火を見に行った方を指差しながら言う。
そして彼女が私にそうしてくれたように、私は誰かの手を取るのだ。
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