幕間
昔、私は『視える』子だった。
大勢で遊ぶ子供達。私はいつも、少し離れた場所でそれを眺めていた。
ある日のことだ。突然、私の前におかしな格好をした女の子が現れた。彼女はなぜかいつも服の飾りに鈴をつけていて、歩くと、
リン
と、キレイで透き通るような音が鳴るのだ。
私はその音が好きだった。私はいつも彼女がいることに気がつくと、きまって彼女の側に駆けた。
「ねえ、今日はなにして遊ぶの」
「今日はな、これを持ってきたんじゃ」
狐の姿をした少女は二枚の木の板を持っていた。
「板?」
「これを紐で靴にくくりつけて……こうじゃ!」
「うわあ、すごい!」
私は感嘆の声を上げる。斜面をするすると滑り降りていく彼女の姿は、なんとも優雅で美しく写ったのだ。
彼女は足でブレーキをかけると、すぐに私の元に戻って来る。
「そなたもやりたいか?」
「うん!」
「そう言うと思った。では、やってみるがよい」
「やったあ!」
幼い頃の私は、何も違和感を抱くことはなかったし、疑問に思うこともなかった。
彼女がどこに住んでいるのか。
どうして自分と同じくらいの背丈なのに、まるでお爺ちゃんのような喋り方をするのか。
どうして他の子が着ているところを見たことがないような変わった格好をしているのか。
どうして絵本で見たような動物の耳と尻尾が生えているのか。
そして、どうして自分以外の子には見えていないのか。
今度は私の靴に板が結ばれる。その場に立ち上がるが、板は二本の紐でがっちりと固定されており、簡単には外れそうにない。彼女は私の手を引き、斜面がきつくなっている所まで誘導する。
そこで、はじめて私は想像したよりもずっと斜面が急であることに気がつき、怖じ気付く。
「ん、どうした?」
「ちょっと……」
「なんじゃ。もしかしてお主、怖いのか?」
「……うん」
私は小さく頷く。
人一倍臆病でマイペースだった私は、幼稚園でも小学校でも友達ができることはなかった。少し仲良くなったと思っても、戸惑っているうちにいつも置いていかれてしまうのだ。だが、そんな子供だったこともあってか、私が「見えないお友達」と遊んでいても、両親も先生も、さほど問題とは思わなかったらしい。
「大丈夫、怖くないぞ」
狐の姿をした女の子が、ぎゅっと私の手を握り締めた。何度も触れたその手はひんやりとしていて心地よく、それでいて少し暖かくて安心した。
「本当?」
「本当じゃ。なにしろお主は、儂が認めた子じゃからの」
「……じゃあ、がんばる」
「うむ。いい子じゃ。……じゃあ、行くぞ?」
「うん」
とん、と彩乃の背中が押される。小さな二枚の板に支えられた私の体はゆっくりと芝の上を滑り出す。
「よいぞ! そのまま体を真っ直ぐ!」
徐々に加速していく。風を切る音が聞こえる。
見上げると日は傾きかけ、街の景色が赤く染まって見える。
幼かった私にとって、その女の子は良い遊び友達であり、そして姉のような存在でもあった。
初めて狐の少女と出会ってから、一年が過ぎた。
一年と言うと短い時間だが、幼い私にとってそれは悠久のようにも感じられた。
「ねえ、今日は何して遊ぶのー?」
「そうじゃな、何して遊びたい?」
「じゃあ……草スキー!」
「よしよし、そなたは本当にこれが好きじゃな」
狐の少女は私の頭をなでる。私はそれがくすぐったくて、キャッキャと笑う。
その時だった。
「ねえ、あなた何してるの?」
大勢で遊ぶ子供たちの中を抜け出し、一人の少女が私の方に近寄ってくる。他の子供はそれに気づく様子はない。
「だあれ……?」
知らない子だった。
その子が自分に興味を持っているということだけはすぐに分かった。
だけれど、私は不安だった。知らない子に何を話せばいいのか分からない。どんな子かも分からない。もうかしたら自分に向けているのは興味などと生易しいものではないかもしれない。だって、眼の前にいる女の子には狐の耳も尻尾も生えていなかったから。
「何それ、面白そう!」
だが、私の不安は杞憂に終わることとなる。
その子は私の問いかけには答えず、芝の上に置かれている木の板に紐を通したものを指差して言う。
「……えっとね、それは草スキーっていうのをやるやつなんだけど……」
きらきらと輝く目に促され、私は狐の少女にやってもらった時と同じように女の子の足に板をくくりつけてやる。
私は女の子の背中を押す。すると、いつもと同じように板はゆっくりと滑り出す。
「すごいすごい! これ、あなたが考えたの?」
風切り音に負けないくらい、大きい声で女の子は言う。
「ううん、これは私じゃなくて……あれ?」
その時、私は先程まですぐ後ろにいたはずの狐の少女が姿を消していることに気が付いた。が、滑り降りていく女の子を迎えに行かなければと思い、さほど気にもせずに緩やかな斜面を選んで駆け下りていく。
その日以来、狐の姿をした不思議な少女が私の前に姿を現すことは一度もなく、代わりに一人の友人を得る。
しかし、その友人もまた一年後には幼い私の手が届かないところに行ってしまった。親の転勤か何かだと言っていたような気がするが、今ではよく覚えていない
別れの間際、私は初めてその子の名前を知った。
ずっと二人で夢中になって遊んでいて、私たちはお互いの名前を知らないことにも気が付かなかった。
私が自分の名前を告げると、その子も私に自分の名前を告げた。
その子の乗った車が小さくなっていくのを見送りながら、私は小さく呟く。
「ばいばい、涼花」
それからすぐに私は小学校に上がり、目まぐるしく変わる周囲の環境に流され、いつしか狐の少女と遊んだことも、そして涼花という名前のことも忘れてしまった。
次回、最終回です。