たとえ、それが夢だとしても
楽しい時間は、早く過ぎていくらしい。
私は観覧車の手すりに肘をついてほっと息をついた。彩乃は私の隣で、初めて遊園地に来た子供のようにはしゃいでいる。
「見て見てすごい! 人があんなにちっちゃく見える!」
もう一度あるかも分からない、彩乃と二人で過ごす時間。
今日あったことを思い返す。
ジェットコースターで落ちるときに二人で思い切り手を挙げたこと。
お化け屋敷で怖いながらも平気で進む彩乃についていったこと。
コーヒーカップで目が回るほどカップを回したこと。
「涼花、一番星が見えるよ! ほら!」
ちょうど私達の乗ったゴンドラが一番てっぺんに登った時、赤焼けた空に一番星が輝き出した。
私は彩乃が指差した方角を見上げ、ふっと笑みを漏らした。
「また来たいね、二人で」
私は知っていた。それが最早、叶わないということを。
彩乃がここにいられる時間は、長くても明日の夕方までだろう。
私は既に、彼女に与えられた二日間のうち、一日を使わせてしまった。それがどれだけ貴重なことなのか、私は分かっているつもりでいる。けれども、私が思うよりずっと、死にゆく者にとっての最後の二日間は短いに違いない。
もしも私が明日も一緒にいたいと言えば、きっと彩乃はその願いを叶えてくれるだろう。
でも、本当にそれでいいのだろうか。私は彼女の全てを知らない。私以外で、彼女が最後に会いたいと思う人がいるかもしれない。
だから、私が言ったことはただのわがままだ。小さな子供が母親にお菓子をねだるような。だけど、
「明日もここ、来る?」
彩乃は、いつもみたく悪戯っぽい笑顔でそう言った。
その言葉の意味するところが、私が彼女の一番の友人であると認めてもらえたような気がして。
「冗談」
そう言い返す私は、きっとお菓子を買ってもらった子供のような表情をしていたに違いない。
夢を見た。
いや、もしかすると、「見せられて」いるのかもしれない。
「ふむ、なかなかの美人じゃの。儂の嫁にしたいくらいじゃ」
誰かの声が聞こえて、私は目をこする。不思議なことに、先ほどまで寝ていたはずの私は、神社の境内の真ん中に立っていた。
私はこれが夢の中だとすぐに気がついた。なんせ、おかしな夢を見る理由にはこれでもかと言うほど心当たりがあった。
私は辺りを見回す。さっきすぐ目の前で声がしたと思ったのに、誰の姿も見当たらない。そうしているうちに、私は肩を叩かれた。
「ここじゃよ」
私は振り返る。そこには、狐の耳のようなものをつけた、巫女服の少女が立っていた。
「人間は聴覚が弱い。真正面から物を言われるのと背後から言われるのでは、そう区別がつきにくいらしいからの」
「あなたは……」
「儂か? 儂は、昔からこの神社に住んでおる狐じゃよ」
「……はあ」
これはきっと、私が勝手に夢の中で妄想しているのではなく、彩乃を生き返らせた狐そのものだ。
「……聞きたいことがあります」
「ああ、先に言っておくが、そなたは目覚めるときこの夢の内容を全て忘れる。これは儂がそうしているのではなく、人間は夢の内容を現実に持ち出せないと相場が決まっているだけの話じゃ。だから、ここで何を聞いても無意味じゃよ」
「構いません。それに、私は無意味なこととも思いません」
「ほう?」
「私は彩乃のことをもっと知りたい。私を親友だと思ってくれる彼女のことを理解したい。彼女がそうであったように、私もいつかは死にます。私が生きている間に得たものは、全て消えてなくなります。
それでも、誰もが他人のことを知ることを止めようとはしません。それは人間にとって自然なことです。刹那的な意味さえ持たないとしても、知ることを止めない。
それならば、夢が覚めるまでの僅かな間だけでもいい。私が彼女のことを知りたいと願うのは、そんなにおかしなことでしょうか」
あなたには分からないかも知れないですけれど、と言おうか迷ったが、止めた。
狐の少女は、私の目をじっと見返してくる。
「……面白い。実に面白い。……いいじゃろう、儂が知る限りでよいなら、話をしよう。それと、」
「それと?」
「……いいか? これは特例じゃ。他の者には言うんじゃないぞ?」
分かっている、と私は返した。
どちらにせよ、目が覚めたらここで話したことは忘れてしまうのだ。
「……そなたの寿命を、二日間ほど伸ばしておいてやろう」
それから狐の少女は、夜が明けるまで私にいろいろなことを教えてくれた。
「よいか? そなたと彩乃が出会う前――」
いろいろなことを聞いた。そして、不意にアラームの音が鳴り、私は目を覚ます。
長い夜だった気がする。夢の中で、誰かと話をしていたような気がする。
それでもやはり、私は何も覚えてはいなかった。