3.潜伏スキル
数秒前にフラグを立てた自分を殴りたい。
無意識にそっと息を潜める。後輩も気付いているのか先程から動かない。
意識を森に集中させると、何かの足音が聞こえた。それも複数。
結構な数だ。具体的な人数までは分からないが、決して少数ではない。十人以上だと思う。それに音は徐々にこちらに近づいている。
『これはやばいな、仕方ないけど一旦離れよう。場合によっては、もうここには戻ってこれないと思おう』
『……』
言いながら俺が立ち上がるが、何故か後輩が起き上がろうとしない。急いでそちらを見ると、後輩は寝ていた。
精神的な疲れが限界を超えたのだろう。それは分かるが間が悪すぎる。
『おい! 起きろ!』
この"念話"が後輩だけに届いている事を願って、大声――声なのか?――で叫ぶ。
『……うぅん、あと三日』
『それはあとってレベルじゃないぞ! そんな事より起きろ! ほんとにやばいから起きてくださいお願いします!』
そんな事を言っている間にも、物音はどんどん大きくなる。
『……じゃあ、先輩がポーカーで私に勝てたら起きますぅ』
『それお前が起きない限り一生勝てないから! それにポーカーやっても俺勝てないから! 俺の運知ってるだろ! てか起きてるだろ!』
『寝てますよぅむにゃむにゃ……』
『ほんと冗談言ってるほど時間ないから! 寝ぼけてないで起きろ!』
『――グエッ!?』
後ろから聞こえる騒音が現実味を帯びてきた俺は、後輩のお腹辺りに足蹴りを食らわせた。勿論手加減はする。
『う、うぅ、で、でます……何か出てきます……せ、先輩どうしたんですか』
『どうしたもこうしたもない! 耳を澄ませろ!』
『……ッ!? これってやばくないですか?』
『やばいってさっきから言ってる! 早く逃げるぞ!』
『わかりまし――ッ!?』
――――グルルルルルルルルル
それは茂みの間から顔を出していた。
毛は黒く、真っ赤な牙を剥き出しにこちらを見ている。
大勢の足音はまだ遠く、その音に気を取られ過ぎて、先行する一つの足音に気付けなかった。
見た目は狼に似ているが、地球産のとは何かが違うと違和感が訴えかけている。
何より俺たちより二周り以上は大きい。
だが何かが可笑しい。
こちらを警戒してると言うより、全方位を警戒しているような気がする。
証拠に物音がなると、そちらに振り向いて唸りを上げている。それに意識はどちらかと言うと騒音の方に向いている気がする。
後ろから更に音が近くなると、狼は草影から全容を現しこちらに走ってくる。
全身が黒く、その顔は獰猛で、はっきり言って勝てる気がしなかった。
今から何かしようにも、既に此方に走ってきている。それは一分も必要とせず、数秒でチェックメイト出来る速さだ。それに、スライムと比較できないほどに殺気立っている。
日本人が碌な戦闘経験なんてしてるはずもなく、咄嗟の判断では動くことすら出来なかった。
出来た事と言えば、後輩を背中にやった事くらいだろう。正直それだけでも充分だと褒め称えてほしい。いや、現実逃避はよそう。
狼が大きく此方に跳躍した。そして――それは起きた。
狼が俺の後ろへと走り去って行ったのだ。
そのまま狼は見えなくなり、狼の足音も徐々に消えた。
だけど、俺の気分は一切晴れなかった。
多分だが、後ろに居る後輩も同じ気分だろう。
確かにまだ大勢の足音が迫ってきているが、それを受け入れる余裕が既に失われていた。
何故なら、狼が着地した場所が、俺の体の中だったのだから。
俺の体を踏み台にしたならまだ百歩譲って分かるが、狼は俺の体をすり抜けそのまま地面に着地した。
『今……何が……ッ!?』
『……先輩って、もしかして幽霊とかなんじゃ?』
『それならお前も幽霊って事にならないか?』
『あっ……』
後輩は俺に触れる事が出来る。それは同じ状態にある為と考えたほうがいいだろう。
思考が俺達を捕らえるが、それよりもしなければいけない事がある。
『考えは後、まだ足音が近付いてる。時間も無い。一旦身を潜めよう』
この人数に対して身を潜めるというのは結構な博打だ。具体的な人数は分からないにしろ虱潰しに索敵されたら見つかる可能性が高い。ただ、もしかすると、本当に幽霊になっていて後輩以外には見えないようになっている可能性もある。それに賭けるしか道が無かった。
中身が腐り落ちたのか、樹の幹が空洞になっている場所に身を潜める。入り口には雑草が生い茂っていて、遠目からは中を見ることが出来ない。その分こちらからも外を伺うことは出来ない。
「‱℄☬!?」
「☤✇、¶℄■℆⊿!」
鬱蒼とした森に響いてきたのは、何かの罵声であった。それは怒鳴るように活気だっていて、荒い足音が俺達の周囲を囲った。
言葉のように聞こえたが、何の言語かはさっぱり分からなかった。
息をすることも忘れ、後輩と入り口を見つめる。"念話"も怖いので出来るだけ発さないように心掛ける。
――だが、無常にも入り口は開いた。
それは俺がよく知る人間そのものだった。しかし、その瞳は鋭くさっきの狼と遜色ないほどの殺気を放っていた。手には大きな剣を持っていて俺たちを睨む。
恐怖で声も出なかった。
もうこの距離から切りかかられたら勝てる見込みが全く見えない。後輩もそれが分かっているのか震えながら後ろで小さくなっている。
「λ◆∃Θ!」
少し離れたところから、一際大きな声が聞こえた。
その声を聞いた途端、目の前の男は俺達の事などそっちのけで走り去って行った。いや、足音全てがそちらに遠ざかって行くのがわかる。
全神経を耳に集中させ、音が聞こえなくなるまで追いかける。ドタドタと足音は遠くなり完全に聞こえなくなったところで止めていた息とブハッと吐いた。
『正直死んだと思った……』
『私もです……』
『もうここから出たくない』
『私もです』
それからは、少し重たい空気が流れた。平和慣れしてた俺達の気疲れは、とっくにピークを超えている。10分ほど気持ちを落ち着かせるように、体を地面に預ける。だが、あまり休んでいる時間もないのが現実、疲れた心に気合いを入れてこれからの事を考える。
『落ち着くまでここで考えるとして、人が居る事は判明したな。問題は文化圏だな。問答無用で殺されるタイプだと目も当てられない』
『そうですね。でも、さっきの人は見逃して……くれたんでしょうか?』
『俺達幽霊説に1票』
『もしくは、さっきの先輩が消えたのが、続いているとかですか?』
『あー……、その考えも出来るかー、でもあの狼が俺をする抜けたの後輩も見ただろう?』
『見ましたけど、あれも効果の範囲内とか……?』
『なにそれ、強すぎませんか』
もしそうなら潜伏スキルの概念が壊れる。
『と言うか、後輩のもそうだけど、概念スキルってなんなんだろうな』
『統合とかなってましたから、何かの上位互換もしくは複合系なのではないでしょうか?』
『それなら、まぁ潜伏スキルが強かった理由もつく……のか?』
『まだ可能性の範疇を超えませんし……あっ』
後輩が何事かを呟き、こちらを凝視してくる。
『先輩、"鑑定"使ってみてください!』
ん?
ステータス
名称:ルディアージ・ノア
状態:潜伏+α
種族:妖狐
能力:概念スキル"空想郷"
擬似スキル"念話"
限定的擬似スキル"鑑定"
補足:妖狐の幼生体、食べられる。双子。
『これは……』
自分に"鑑定"を行うと、状態の部分が変化していた。これは"空想郷"が原因だろうか。
『私の状態も潜伏になってます』
『潜伏スキルのおかげって事で……いいのか?』
『多分?』
つまりは何か、潜伏スキルで人間にも狼にも見つからず、感触すらも誤魔化せたって事なのか?
『これってもしかして、世界から潜伏してるって事ですか? 存在証明の隔離とかなら納得も出来ますけど、それで先輩が選んだもの以外からは存在そのものを隠す能力とか? もしそうならさっきの先輩を忘れたのも納得できますし』
『それが本当なら、概念スキルってのはある種の怪物になるな』
『私の"理想郷"を使ったときも凄かったですよね』
確かにそうだ。何か分からんが俺が凄い光った。自分で言うのもなんだが太陽を直視するほど目が痛かった。あれは能力が高い証拠なのかもしれない。
『うーん、とりあえずは、一旦は安全と思ってもう少し休憩するか、さっきので精神的に疲れたし』
『賛成です! 寝ます!』
まだ夕方ごろだが、既に疲労は困憊状態まで来ている。
無理して動くより、今の状況を最大限利用して精神を休める方が身体に良い。
『ただ、夜に動くのも怖いから、出来ればもう少し実験をやっておきたいところではあるよな』
『うー……』
後輩も分かってはいるのだろうが、疲れで抗議している。俺も正直寝たいが、今寝ると夜に起きる事になる。
右も左も分からない状態で、深夜の森に起きるのは、リアル的にもホラー的にも怖い。
出来ればあのスライムをもう一匹狩ってから横になりたい。
いくつか食べれる実なども見つけたが、はっきり言って食べられるものではなかった。あれなら少々危険を冒してでもスライムを食べた方が何倍もマシだ。"鑑定"も味について説明してくれたらいいのに。
ただ、先ほどの狼を見るに、他にも生物が多数存在しているはずだから、迂闊な行動は出来ない。
今は潜伏状態だが、これがいつ終わるのかも分からない。それに、これを見破ってくる生物もいる可能性だってある。俺達が幽霊の場合はもうどうしようもないが、それならスライムを食べた事への説明がつかない。
索敵スキルとかそんな――――
【個体名:ルディアージより"空想郷"を経由、擬似スキル申請を確認、"理想郷"……申請を許可、"黄昏の月"……承認、擬似スキル"索敵"を構築……構築完了、適応……適応完了します。擬似スキル"索敵"を取得】
予想以上に天の声――今名付けた――は万能のようだ。
"索敵"を使うと、視覚の中に赤い輪郭がいくつか浮かび上がった。それは壁越しでも鮮明に映し出された。
どうやら熱感知のような代物らしい。木の中から周りを見ると、とても遠くの方に多数の輪郭が見える。方角的にさっきの人間達なんだろう。
他にも小さい生物や小動物などもぽつぽつ見える。その中に、まん丸の輪郭を持った生物も居る。さっきのスライムかそれに類する何かだと思われる。
これは結構使える。
『"索敵"ってのを覚えたから、周りを見たけど、スライムより大きい生物は近くには見えない。出来れば寝る前にスライムを一匹狩っておきたいが、後輩はどうする? 留守番か付いてくるか』
『どんどん先輩がこの世界に順応していて、怖いんですけど……』
『それは、あの声に言ってくれ、考えてたら覚えたんだよ』
『あの声って、あれですか? 神の声的なやつですか?』
『そうだな、それが勝手に擬似スキルってのを覚えさせてくれるんだよ』
『なるほど、私も付いていきます。一人だと兎は死んじゃうって先輩知らないんですか?』
『まずお前は兎以前に狐だし、兎は一人でも死なない』
『例えですよ例え、こうやって茶目っ気出してる可愛い後輩をもっと大切にしてください。それと察してください先輩なんですから』
『はいはい、じゃあ、今から行くか』
そのまま潜伏が続いてる事を確認し、木の幹から出る。
身を低くして標的の居る方角へ進む。後ろから後輩が同じように歩いてくるが、真っ白な毛玉が森の中を歩いている時点で、目立つ意外の何者でもない。当然ながら二人はそんな事には一切気付かない。
数分も歩けば視認出来た。先ほどのスライムよりも少し緑色を帯びていて二周りほど大きい。
『行く!』
時間をかけて状態が悪くなっても敵わないから、出来る限りの力で駆け出る。
スライムはその場でプルプルと震えている。どこが顔か分からない以上、待ち構えていると見て行動したほうがいい。
足にぐっと力を込め、赤い石に飛び掛る。
"キィィィン"とした音と共に、赤い石は呆気なく砕け散った。
『あれ?』
そのままスライムを見ると、ピクリとも動かなくなっていた。
『あれぇ??』
こうして、今晩の夕食を手に入れた俺達は、木の幹まで戻って行ったのだった。




