8.歪な約束
夢から醒めると、樹脂の壁が世界を覆っていた。
開放的なほど広い樹洞は、至る所に穴があり、招かれる様に指す日が暗い印象をかき消している。
その風景の中には、いつもよりも身を狭くしながら腰を下ろし、新雪のように白く、掌で掴もうとすれば溶けそうな狐が、今にも消え入りそうに声を殺して啼いていた。
(……綺麗だ)
働かない頭が受動的に風景を捉え、思い至る。
気だるい体を無理に起こさず、世界がずれる様に視界を動かす。
樹洞の隅に、何か大きなものが2つあり、耳を澄ますと、ぽつぽつと雨音が鼓膜を揺らす。
所々から漏れる木漏れ日が茜色に染まっている。
正直なところ、てっきり起きたらベッドの上だと思っていた俺は、込み上げる失望感を隅に追いやる。
なかなかに霧が晴れない脳を起こし、いつの間にか忘れていた呼吸を、ゆっくりと取り戻す。
意識を失う前の出来事を、徐々にだが、はっきりと鮮明に思い出す。
先ほど見えた大きな塊を、もう一度視界に捉える。
一つは半分ほど欠けた大きめの赤いスライム。
もう一つは、焼けて一部が軽く炭化しているが、あの真っ白い不気味な目をした猪だ。
『これは、生き延びたって事で、いい、のか……?』
『先輩っ!?』
啜るように泣いていた後輩が、慌てて顔を覗き込んでくる。
『おはよう……か?』
『いぎでだぁぁぁぁぁぁ、よがっだぁぁぁぁぁぁ』
『足もあるし生きてるっぽいな、あの後どうなった?』
聞かずにはいられないだろう。やけに冷静なのは寝起きで興奮するほど頭が冴えてないからだろうか。それとも、今ひとつ現実味が沸き上がらないからだろうか。
今は夕暮れだが、あれから何日経ったのかすら分からない。
まだ情報が少ない現状で、更に隠密を見破る生命体が現れたのだ。ちょっとした事でも情報は金よりも価値がある。それだけは冴えない頭でも分かった。
『いやでずぅぅぅ、泣き止むまで何も話じまぜんうあぁぁぁぁ』
『えぇ……』
まさかの拒否であった。後輩は顔を俺の背中に乗せながらオンオンと泣き続けている。こうなった後輩を昔一度だけ見たことがあるが、その時はテコでも動かなかったのを思い出し、一つため息を吐き出し、とりあえず自分の怪我が治っているのを確認して"鑑定"をかける。
ステータス
名称:ルディアージ・ノア
状態:潜伏+α
種族:妖狐
能力:概念スキル"空想郷"
擬似スキル"念話"
"炎"
"水"
"望遠鏡"
限定的擬似スキル"鑑定"
補足:妖狐の幼生体、食べられる。双子。
潜伏が続いている事に密かに息を漏らす。
後輩も大丈夫なようだ。
早々に前例が出来てしまったから確実ではないにしろ、不特定多数にはきちんと効果を発揮しているのも事実、安堵の度合いが違う。
次に"索敵"を使い周りを見渡す。
前のように周りに一切生物の輪郭が見えないといった事は無く、普通の視界でもちらほらと何かの輪郭を見つける事が出来た。
幸いにもすぐ近くには特に何も見えず、一応の安全を確保出来た事にもう一度息を漏らした。
あの猪は潜伏を見破る事が出来た。
これからは潜伏だけに頼ってはいられない。
ただ、やはり感性は人間だから、出来ればもう少し人間味の溢れる状況を作り上げたい。
この数日で、二人だけで生きていくのは無理だと悟ったのだ。だから―――――
【個体名:ルディアージより"空想郷"を経由、擬似スキル申請を確認、"理想郷"……申請を許可、"黄昏の月"……否認、擬似スキル"人化"の取得に失敗しました】
俺は心の底から舌打ちをした。
『うぇぇぇぇん、うざい後輩でごめんなざいぃ、でも怖かったんですぅぅぅぅ』
『あ、すまん、後輩に対してじゃないんだ。後輩はそのまま落ち着くまで泣けば良いから気にするな』
『わがりまじだぁぁぁ――』
なんと言うのだろうか、狐の泣き顔は今まで見たことが無いから少し新鮮で、まぁ泣かしたのは俺なんだが、それでも俺のために泣いてくれるのは嫌な気分ではない。むしろ、心地よくさえ感じる。
先住民がどのような文化を辿っているのかは分からないが、衣服はそれなりにまともだった。その事から知性は十分にあると判断し、ならば町、又は、村があるはずだ。そこに溶け込めれば安全性は一気に上がると踏んだのだ。
だが、天の声もそこまでは万能では無かったようだ。切り替えよう。無理なら二人で頑張るしかない。
それに、人に化ける方法は存在するようだ。まだ諦めきる必要も無いだろう。
まぁ、今はそれよりも。
俺は背中で泣く後輩が泣き止むまで、ただ静かに待った。
☆ ☆ ☆
『――先輩が気を失ってから、体感三時間くらい経ってます。その間に先輩とあの猪とスライムを、ここまで運んできました。二匹とも"鑑定"で死亡状態を確認してますぅ……、うぅ、先輩が目覚めたら気味悪い猪の事を調べると思って頑張って運びました……、すんごい怖かったですぅぇぇ』
思い出したように目に涙を溜める。
死んでいると分かっていても、原型が無くなるほど炭になった訳ではなく、節々が炭化しているだけであって、顔などは半分以上留めている。
勿論瞼は開いていて、その瞳は角膜などなく、黒目と呼ばれる部分が存在しない。全てが白く不気味さを何倍にも引き立てている。
それに、近付くと鼻を刺激する毛の焼ける匂いが、あまりにも不快で思わず顔が歪む。
そんなものをここまで運んだんだ。精神が削れるのも無理はない。
一言礼を入れ、猪に"鑑定"をかける。
ステータス
状態:死亡
種族:ミノタウロス(変異種)
能力:Any%
補足:突然変異種、既存種と比べると生物として大幅に退化している。骨、一部の器官以外は食べられる。
まずはこいつが変異種であることに少し安堵した。まだ確定ではないが、潜伏を見破れるのが変異種限定の可能性が出てきた。もし、この種族全てが潜伏を見破る能力があるなら――まだ何も見えていないが――今後の予定を大きく変える必要がある。出来れば早々に既存種に出合って有無の確認をしたいが―――――そう考えると脳裏に先ほどの出来事が過り、体が少し震えた。
どうやら、思ってた以上に精神的に参っているようだ。トラウマと言っても良いだろう。
トラウマは出来る限り早く取り除かなければ一生ものになる。時間が経てば経つほど治すのが困難になる。
それもなんとかするとして、今はこっちに専念しよう。
次に種族だろうか。はっきり言って俺の知ってるミノタウロスと違う。
いや、実際にミノタウロスを見たことは無いが、想像していたのと全然違う。もっとこう、二足歩行で棍棒とかもった猪顔の大男をイメージしていたのだが、これではただの猪だ。なんと言うか、夢が壊されたようで少しショックだ。説明に大幅に退学しているとなっているから、もしかすれば、四足歩行なのはこのミノタウロスだけの可能性もある。
それと、能力が――これはバグっているのか? スキルとの説明も何も無いのが気になる。
考察に更けようとすると、視界の端に後輩が入る。その瞳は未だ涙がうるうると溜まっていて、この時になって、ほったらかしにしている事に気付き視線を戻す。
『さ、流石自慢の後輩だな、それと、俺って結構怪我負ってた気がするけど、これも後輩が?』
『絶対今私ほったらかしにされたです……"理想郷"でなんとかなりました』
『いやいや、忘れてないぞ、だ、大丈夫だ。俺から後輩を忘れさせたら大したものですよ』
懐疑的な瞳が恨めしそうにこちらを睨んでいるが、ぷっと息を吹き出すと、クスクスと笑ってくれた。
『あはは、古いです先輩!』
『そんな古いか……? でも、ありがとう。助かったよ』
少しは落ち着けたようで、まだ涙が溜まっているがにへへと頬を緩めた。釣られて俺も強張っていた顔が崩れる。良い連鎖だ。
すると、気を抜いたせいか、俺と後輩の腹が盛大に鳴った。
『安心したせいか、お腹すきました』
『まずは飯にするか、もうこのスライム食べた?』
『食べてないです。先輩の味見問題またやりたくて待ってました』
『そうか……ん? それは毒見って事?』
『い、いやだなぁ、そそそそんなわけないじゃないですか』
と言いながら後輩の心から、寂しかったから待ってたと聞こえてきて照れ隠しがばればれである。
『……ははっ、そうか、それじゃあ、先に食べるから問題な』
『はい!』
スライムにも"鑑定"をかけて食べられる事を確認し、一口ほおばる。
吟味するように咀嚼し、それを飲み込む。
『……なるほど、じゃあ、質問を二つ受け入れます』
『まずは、私が好きそうですか?』
『はい』
『え、本当ですか!?』
『はい』
『あ、ちょっと待ってください今のは質問ではないです! と言うかデジャヴを感じます!』
『さぁ、召し上がれ』
『でも、私が好きそうな味みたいなのでいただきます!』
後輩が一口含むと唸りを上げた。
『んー! いちご味です! 先輩! 伝説のいちご味です!』
『な、好きだろ?』
『大好きです! それにいっぱいあります!』
直径が1m程あったので、猪に半分程吹き飛ばされたとは言え、結構な量が残っている。それこそ、昨日のスライムよりも断然多い。
『とりあえずは、俺らが腹いっぱいまで食べても大丈夫だろうし、好きなだけ食べればいいよ』
わぁい、と鳴きながらいちごスライムを頬張っていく。
それに続くように俺もスライムを食べていく。
食べながら外を眺めると、雨が止んでいた。夕暮れの渡り雲の間から見える日差しは、大部分が山に呑まれて影が濃くなっている。
妖狐になってからは、夜目が効くらしく、それなりには辺りを見通せるとは言え、感覚はまだまだ人間だから明かり一つない真っ暗な森を歩く度胸はない。
今日はここで一夜を過ごす事を決める。
☆ ☆ ☆
『食べました!』
満足そうな顔で報告してくる後輩に、疲れたような目で返す。
『……確かに食べましただけど、まさか全部平らげるとは思ってもいなかった』
『ほ、ほら極度の疲労でお腹が限界だったんですよ! それに、空腹は最大の別腹って言うじゃないですか! うんうん!』
『自分でも食べ過ぎたと思って、焦って喋って新しい熟語を作らなくてもいいんだぞ』
『そ、そそそんな事無いですよ! 確かにあの量を二人とは言え全部食べきった事には驚いてますけど……、それに、先輩も食べてたじゃないですか』
『俺は今は血が足りてないから食べないといけないし、それに食べ終わってもまだがっついていたのはどこの誰だっけか?』
『すみませんでした!』
とてもいい土下座である。
別に責めているつもりはないんたが、このスライムで丸1日分はなんとかなるかなと思っていたのも事実だ。
まぁ、明日の朝に辺りの確認をして、いざって時は―――――視線が自ずと猪の方に向く。
"鑑定"では食べれるって書いてるし、肉だ。スライムが肉とは到底思えない現状、貴重なものだ。
パッと見は体の構造は地球産と同じように思える。ならば今後は栄養価も気にしていかないといけない。
それに、いずれは通らなければいけないのならば、早いうちにやっといた方が良い。
若干のトラウマになっているのならば、尚更慣れさせなければならない。
怖いが怖がってられるほど、状況に余裕はないのも事実だ。
ごくりと喉が鳴るのを自覚しながら、謝っているのにどこか満足げな後輩の頭を撫でる。
ビクッと震えたのも一瞬で霧散し、されるがままに撫でらている。
……そして思った。
『先輩がこうやって頭を撫でるのって久し振りですけど、狐同士だととてもシュールな絵面ですよね』
『やめろ、俺もやっちまったなって思ってるから』
『でもまぁ、先輩に撫でられるのは嫌いじゃないんで許してあげます』
『はいはい』
どこか上機嫌になっていく後輩に、ぐにぐにと肉球を押し付ける。
側から見たら、頭にお手してるように見えるだろうか、うまい具合にスライド出来ないので撫でると言うより小刻みに叩きながらズラしている形になる。人の時のようには動かせないようだ。
それでも、嬉しそうにしている後輩はクゥゥンと鳴き声が漏れている。
狐の鳴き声って猫に似ていたはずだよなぁとか思う程には心に余裕が出来ている。こうやっていると落ち着くな。
『……でも、一つだけ約束してください。先輩は私よりも先に死んだりしてはいけません!』
『お、おう』
突如思い出したように、声を張る。
『もっと先輩として自覚してください! 先輩は後輩の前では百人力でなければならないんですよ!』
『ん?……んん?』
なんだその理屈は、そんなものあったら世界中の先輩はスーパーマンになってしまう。
『いいんです。先輩だけは先輩としての定義が違うんですぅ! 先輩の先輩って意味は私には優しくて強くてなんでもやってくれる人なんです!』
『いやいやいや、それただの後輩の願望だろ!』
『でも、でも、先輩が居なくなったら……』
確かに、こんな場所で一人取り残されたりしたら、俺は間違いなく発狂するだろうし、後輩もそうだろうな。
『あー、まぁなんだ、すまんかった』
『本当です……、凄く心配で心細くて、もうこうなったらあれです! 私と先輩は一心同体です! 勝手に居なくなるのは許しません!』
『……そうだな、一抜けはいけないな』
『はい!』
二人で約束する。
ただの共依存宣言だが、それでも今の俺たちには無くてはならない約束だった。




