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君在りてこそ  作者: ちか
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一話




 世には男女という大別の他に、バース性という性別の区分がある。

 生まれながらに優秀であること、将来が約束されたアルファ。

 最も数が多く、優劣の幅も人それぞれ、故に平凡とされるベータ。

 能力はベータ同様人それぞれであるが、繁殖に特化し故に社会生活に支障を抱えるオメガ。

 ナレシュはアルファとして生まれ、だからこそ世を倦んでいた。

 なにをやっても容易く叩き出される最良の結果。それを当然とし、更なる結果を期待する周囲。

 アルファとして生まれたならば、誰しもが一度は感じるであろう煩わしさをナレシュは抱えていた。

 だが、アルファならば感じる高揚が、それらを晴らすはずであった。

 オメガとの交情。

 ベータとでは決して感じない高揚と、快楽、胸を満たす充足感が、アルファはオメガとの触れ合いであれば得ることができる。

 できる、はずであった。

 ナレシュは生まれてからこれまで、オメガにもベータにも、強い執着や高揚を覚えたことがない。

 誰もが同じであった。

 強いフェロモンを持つというオメガと対面しても、独特の香水をまとっているようにしか感じられず、場合によっては不快なばかり。

 ナレシュにとって不幸なのはそればかりではない。

 ナレシュは優秀に過ぎた。

 誰も彼もが彼を求める。彼の子を求める。彼の子を孕むことを求める。

 オメガもベータも、ときにアルファさえ。

 発情しきった顔で誘う彼らは、ナレシュにとって人間ではなく繁殖を待つ家畜にしか見えず、家畜と交わることを望み、ときに強要する周囲はおぞましい存在であった。

 今日も引っ張り出された社交界でナレシュはフェロモンという悪臭混じり合う渦中に置かれ、鉄面皮でワインを煽る。

 酒精に感覚を鈍らせれば、まだしも堪えられる気がした。アルコールに依存すれば愚かであるが、自制を弁えていれば酒も便利な道具に変わる。


「マグナス閣下、閣下の武勇はわたくしたちの耳にも届いておりますわ。わたくしたちが安心して暮らせるのも、全てはマグナス閣下という護国の剣あってこそ!」

「左様。ただ、だからこそ、いち日でも早くあなたにはその武勇を継ぐ嫡男を産む細君を持っていただきたいですな」


 勝手なことを囀る相手に、ナレシュは琥珀色の目を眇める。狼とも称される目に剣呑さが乗ればすぐに青褪めて後ずさりするのだから、余計なことは言わなければいいのに、とナレシュは思う。これで相手もアルファだというのだから嘆かわしい。


「……失礼する」


 相手が気圧されているうちにナレシュは人の輪から抜け出し、人々のいないほうを目指すうちに庭へ出た。

 喧騒にも等しい賑々しさが嘘のように、夜の庭は静かであった。

 陽光あれば美しく咲き誇っているであろう花々も夜の静寂のなかでは慎ましく閉じて、先程まで散々自身に擦り寄ってきた連中に見習ってほしいものだとナレシュは嘆息する。


「おや、マグナス閣下ともあろうものが斯様に憂いた顔をなされるとは……槍でも降りますかな」


 かけられた声は聞き覚えのあるもので、だからこそナレシュの眉間に皺が寄る。

 振り向いた先にいるのは病んだ女のような顔をした男、頼りない細身であるが彼が剣術に秀でた軍人であることを上司であるナレシュはよく知っている。


「ナイゼル……お前が何故、というのは愚問か。今日もどこぞの輩に引っ付いてきたのだろう。そこまでする価値がこんな場所にあるとは思えんがね」

「貴方にとってはそうかもしれませんね。ですが、矮小なベータにとってはアルファの集う催しというだけで、面白いものは数多くあるのですよ。たとえば、閣下の薔薇も恥じ入る憂い顔とか、でしょうか?」


 いやらしく品のない笑みを浮かべる男だ、とナレシュはナイゼルへ蔑視を送る。

 ナイゼルは軍人でありながら飄々とした態度で口舌を弄し、他者を翻弄してするりと影のように懐へ入り込むところがあった。

 何事も正々堂々などと謳うつもりは微塵もないが、ナイゼルの存在はナレシュにとって鼻について仕方がなかった。


「そのように見つめられると照れますな」


 それは彼がこうしてなにかと視界に入ってくるからこそなのかもしれない。


「覗き込んでくるのはお前だろう、離れろ」

「おや、つれない」

「散々ひっつかれたばかりだ。お前まで寄るな」

「ああ……どうりで……百花を抱いたかのようだと思っておりました」


 くすくす笑っているが、ナイゼルがどこぞで見ていたことなどナレシュにはお見通しだ。そうでなくてどうしてこの男が揶揄に現れるだろう。

 上司を上司とも思わぬ態度と叱責してもいいが、こと仕事となれば誠実な結果を出すのだ。私事で畏まれと命じるのはお門違いだ。

 身分差という大義名分を振りかざそうとは、不思議と思わなかった。


「なにが花なものか。左様に慎ましいものであれば、私は煩わしい思いなどせぬわ」

「アルファやオメガのフェロモンも、閣下の前ではただの香害に成り下がりますか。憐れな」

「憐れというなら笑みを引っ込めたらどうだ」

「これは失礼」


 ナイゼルは大仰な仕草で礼をした。

 その仕草で動いた風が、ナレシュの鼻先へふわり香りを運ぶ。


「……この程度であればな」

「は?」

「お前が身につける香水程度であれば好ましいというだけの話だ」


 ナイゼルは数度目をまたたかせ、肩を揺らした。


「外では仰らないでいただきたい。凡庸なベータの身故、嫉妬に狂ったアルファやベータから身を護る術など持ちませぬ」

「軍人の台詞ではない」

「軍人でも我が身が可愛いのですよ。閣下とて、こうして人気のない庭へまでやってきたでしょう? 好ましくないものから避けることくらい、お許しいただきたい」

「……お前の物言いは、癪に障る」


 眉根を寄せたナレシュに「それは失礼を」と失礼とも思っていない調子で言い、ナイゼルは二歩、三歩と距離を取る。


「これ以上のご不興を買うのは恐ろしい。今宵はこれにて」

「二度と、と言いたいところだが、職場が同じであれば致し方ない。精々励めよ、ナイゼル。ベータであれど、お前の能力はアルファにも匹敵しよう」


「買いかぶりですな」と苦笑を浮かべ、ナイゼルは闇夜に消えた。

 同時にナレシュを探す声が聞こえ、彼はうんざりとため息を吐く。

 戻った一方的な社交の場は、やはり悪臭に塗れていた。

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