9話 西堀くんと彼女の決意
「私は、澄屋敷姫乃は一途さんを心からお慕い申し上げております」
目の前でとても真剣な瞳で告げ、澄屋敷さんが手を差し出す。
ありがたいことに、僕は中学校でも多くの人に告白されてきた。
でもその全ての返事は「ごめんなさい」だった。
告白してもらえるのは嬉しい。でも、その告白に心が動いたかといえばそれは違かった。
小学校に入る前に会ったきり、それに相手は同性。
一緒に遊んだ期間も一年間程度だ。
考えれば考えるほどおかしな話だが、何故かその人のことが頭から離れず、同級生や先輩、後輩の可愛い女の子に告白されてもそれが揺れることはなかった。
しかし――
何故か、と問われればわからない。
でも、それでも、今この目の前の少女の言葉は僕の胸に突き刺さっていた。
その証拠にいつもポリシーとして余計な期待を持たせないようにキッパリと口から出る「ごめんなさい」の言葉がすぐに出なかった。
ぐらっと心が揺れる様な感覚。
自分でもこんなことは初めてで理由がわからない。
あれ…、なんだこれ? 何だこの感覚は…
しかし、そんな逡巡の間にも時間は過ぎていく。
中々返事を返さないことを不安に思ってか、澄屋敷さんがこちらを上目づかいで見上げる。
ぐはっ! そんな仕草も心に響く。
一体僕は何をやっているのだろうか。今の澄屋敷さんのような表情をさせないために、今まですぐ「ごめんなさい」と伝えていたのに…
――いいんじゃないのか、了承しても。
ここまで心惹かれたのは実際に初めてなんだし、こんなに自分のことを思ってくれる可愛い女の子がいるんだ。
それを断って、もう会えるかもわからない過去の虚像に捕らわれなくても仕方ないじゃないか。
一瞬そんな心の声が聞こえたような気がした。
しかし、それは本当に一瞬だった。
「ごめんなさい。僕には好きな人がいるんだ。だから澄屋敷さんの思いには答えられない」
気づいた時にはそう口に出していた。
そして、口に出した瞬間にスッと心が軽くなるような感じがした。
澄屋敷さんは、その言葉を聞いて少し驚いた様な顔をすると眉を伏せた。
「…そっか、そうですわよね」と小さな声で呟く声が耳に届く。
しかし、すぐに顔を上げると、
「その方はどんな方か教えて頂いてもよろしいですか?」
と振り絞るような声で問いかけた。
口を真一文字にして、涙を堪えているような顔をしている。
「うん」
ごめんね、澄屋敷さん。
貴女のその思いは応えられないけど、せめて心から真摯に話させてもらうね。
それくらいしか僕にできることはないから…
僕は好きな人を、そしてその理由を全て話した。
正直このことを話すのは好きではなかった。
大体の女の子は途中で逃げ出してしまうか、聞き終えた後に心からドン引きしたような瞳を向けてくる。
気持ちは理解できるのだが、さすがにへこまないと言ったら嘘になる。
しかし、聞かれたからには必ず答えるようにしている。それが僕なんかに告白してくれた人への僕なりの流儀だ。
澄屋敷さんは出来ればこのどちらでもないといいんだけどな――。
「と、まぁそんな理由なんだ。ごめんね、失望させちゃって」
そんなことを思いながら僕は全てを話し終えた。
しかし、それを聞いた澄屋敷さんの反応は予想外のものだった。
すべてを話し終えたとき、澄屋敷さんの顔は下を向いていた。
話の途中から顔を下げており、長い髪もあってか、その表情は窺い知れない。
…やっぱり、がっかりさせちゃったかな。
そんなことを思った直後、
「なるほど、全て納得しましたわ!」
澄屋敷さんがガバッと顔を上げる。
その表情は、僕がせいじろうくんについて話す前とは異なりとても晴れやかでスッキリしていた。
え? なんで?
一瞬困惑に襲われるが、思い直す。
そっか、きっと澄屋敷さんはスパッと真実を受け止めて割り切れる人なのだろう。
そんな澄屋敷さんがとても眩しく見えた。
告白を断っておいてふざけた話だが、澄屋敷さんは僕が今まで出会った女性の中で一番素敵な女性なんだと思う。
「うん、澄屋敷さんなら必ず僕なんかよりずっと素敵な彼氏が見つかるよ」
澄屋敷さんに、激励になるかどうかはわからないがそんな言葉を贈る。
それは、確信だった。こんな素晴らしい人を世の男性がほっておくわけがないと思った。
そして、恐らく今まで体験した中で一番長い放課後もこれで終わりを迎える。
――迎えると思った。
「……え? 何故そのようなものを見つける必要があるんですの?」
「……え?」
澄屋敷さんの疑問の声に同じく疑問の声で応じる。
何故ってそれは…、
「ああ、なるほど。一途様は勘違いをなされているんですね」
「勘違い?」
疑問への返答の前に、澄屋敷さんが納得した様にポンと手を叩く。
あと、いつの間にか呼び方が一途様になってるのですが!?
「一途様をおとす魅力が現在の私にないのは理解しました。そしてその理由も。なら私の取るべき選択肢はただ一つしかありません。今の私ではあなたの中にいるせいじろうには及ばない。でも未来の私は違います」
言葉を区切る、澄屋敷さん。
そこまで言って、ようやく澄屋敷さんの言いたいことがわかってきた。
その瞬間、強い横風が校舎裏に吹き抜け桜の花びらが散る。
「ここに誓いますわ。私、澄屋敷姫乃は必ずあなたの中にいる思い出よりも魅力的な存在になってみせます。――そして私が必ずあなたを落としてみせますわ!」
気持ちのいいくらいに言い切った言葉。
そう凛々しく啖呵を切る澄屋敷さんを、僕は不覚にも少しかっこよく思ってしまった。
これは一年と少し前、放課後の校舎裏での出来事。
一人の少女が一人の少年に告白した、たったそれだけの出来事。