1話 西堀くんは難攻不落
これは初恋の記憶。
いや、正確に言うならば初恋へと繋がる記憶だ。
「いつかきっと……いや、必ずまた会おうね」
別れの日、あの子は泣き笑いの様な顔でそう言った。
今の別れに悲しみの涙を流しながらも、未来の再開への希望を抱いて口元には無理やりに笑みを浮かべていた。
もう十年以上経つのに、その光景は――その表情は僕の頭から離れることはない。
「ひぐっ…、うっ…、う、うん…」
僕は、泣きじゃくりながら嗚咽交じりにそう答えることしかできなかった。
だって、その時の僕は心も体も弱すぎたし、幼すぎたのだから。
だから僕は、誓ったんだ。
もし次会うときは、誰よりも強く、誰よりも優しく、誰よりも立派な男になっていることを。
再会したときに、胸を張ってあの子の隣に立つために。
――ただ一途にあの子だけを思い続けて、
***――――
サラリと廊下の窓から入ってきた温かみを含んだそよ風が頬を撫でる。
季節は四月を過ぎ、始業式には満開だった桜もすっかり花が落ちてしまったそんな時期。
すでに本日の授業は全て終わり、時刻は放課後を迎えていた。
高校生ならば部活動に勤しんだり、勉強に励んだり、はたまた友人と遊んだりしている時間帯。
事実、それは僕の通ってい学園も同様で校庭や体育館からは運動部の声が響き、図書館は受験を控えた三年生が勉学に勤しみ、校舎では楽しげに談笑する声が聞こえていた。
そんな中、僕――西堀一途は校舎裏を目指し、一人で校舎内を歩いていた。
そもそも何故、放課後の校舎裏に向かうことになったのか。
その答えは単純明快、現在僕の制服の右ポケットに入っている可愛らしい封筒が原因だ。
この封筒は登校時の朝に下駄箱に入っており、その中身には女性らしい丸みを帯びた字で、
『放課後五時に校舎裏へ来てください』
と、それだけが書いてある手紙が封入されていた。そこに差出人の名前はない。
まぁ、人に呼び出しの手紙を書くのだ、恥ずかしくて名前が書けないのも仕方ないのかもしれない。
僕にも一応それなりに一般的な価値観と常識というものはある。
こんな可愛らしい手紙で果たし状ということは無いだろう。そもそもこの学園にそんなものを送る様な人も送られる様な人もいない。
恐らく相手は女性、そして目的は…まぁ、青春な感じのあれだろう。
なにはともあれ女性からの呼び出しに男の僕が遅れるわけにはいかない。
基本的に何事も五分前行動を心掛けているが、一応十分前には着くようについ先ほど教室を出た。
「よっと」
靴箱から愛用のスニーカーを取り出す。ついでにチラリと下駄箱の中を覗くが、さすがに今度は手紙は入ってない。
時刻は四時四十七分。このままいけば五十分には校舎裏に着くだろう。
ささっと上履きから履き変えると昇降口から外へ出る。
「お、やってるね」
すると、今までは聞こえなかった吹奏楽部の演奏が耳に届いてきた。
実は放課後にこの演奏を聴くのが僕の微かな楽しみでもあった。
コロコロコロ――。
そんなことを思っていると、校庭からこちらへボールが転がってくるのが目につく。サッカーボールだ。
ふと思い立ち、ボールを足で止めて、そのままリフティングを試みる。
足の甲と膝を使い、ボールを宙へと浮かし続ける。が、いまいちまっすぐいい感じの高さに上がらない。
うーん、久しぶりだから難しい。
「あれ、一途じゃん。めずらしいな、まだ帰ってないのか?」
そんなことをしているとそのボールの持ち主から声がかかる。
僕と同じ二年生にしてサッカー部のエース、炭谷悠介君。彼とは二年連続同じクラスの友人同士でもある。
「うん、今日はちょっと用事があってね。はいこれ」
そう言いながら、リフティング中のボールを蹴って返す。
炭谷君はそのボールを胸でトラップすると何故かそのままリフティングし始めた。
さすがサッカー部、僕よりはるかに上手い。
「用事ね~。当ててやろっか、また女子に呼び出されたんだろ」
「いや~、どうだろうね」
彼は器用にリフティングしていたボールを頭に乗せながら、ニヤリと笑う。
予想的中だったが、そのことを正直に言うのは手紙を書いてくれた子に悪いと思ってはぐらかす。
「そっか。んじゃ、俺は練習戻るぜ。ボールとってくれてサンキューな」
そんな僕の気持ちを察したかのように炭谷君もそれ以上追及せず、それだけ言うとグラウンドへ戻っていった。
部活か…、やったことないな。
その後ろ姿を見てそんなことを思うが、頭をブンブンと振って頭に思い立ったその思いを消し去る。
いやいや、そんなことをやってる暇はない。
僕にはとても重要な使命があるのだから。
そう、あの人に見合うを人間になるためには僕はまだまだ日々精進せねば!
「――っと、やばっ! こんなことをしている場合じゃない」
そしてそんなことをしているうちに、少し時間を忘れてしまった。
僕は右手の腕時計を確認し、慌てて校舎裏へと駆け出す。
結局のところ、指定された校舎裏の待ち合わせ場所に着いたのは約束の時間の五分前。
さらに、僕を呼び出したらしい女の子はすでにその場所に来ていた。
なんたる失態!
女性を待たせてしまうとは!
「待たせてごめん!」
校舎裏へと続く曲がり角を曲がりその女の子の姿を確認した瞬間に、僕はダッシュで近づくと、開口一番にそう言って頭を下げる。
「…って、えええええっ!? 西堀先輩!? か、顔を上げてください!」
頭の上から女の子の慌てふためく声が聞こえてきた。
少し冷静になって考えたらいきなり呼び出した男が約束の時間より五分前に来て、その上いきなり頭を下げてきたのだ。
焦って慌てるのは当然だ。というか軽くホラーだ。
何たる失態(二回目)!
まったく自分の融通の利かなさが嫌になる。
「あっと、いきなり驚かせちゃってごめんね」
急いで頭を上げる。
目の前には見たことのない顔の制服を少し着崩した女子生徒が立っていた。
おそらく先月入学したばかりの一年生だろう。
肩口まで伸ばした明るい栗色の髪は、軽くパーマがかけてあるのかフワッとしている。
さらにスカートの丈も短く、よく見たら手にはネイル、耳には小さなピアス。
うちの学園では珍しいタイプの今時系な女子生徒だ。
うん、とても可愛らしい。
「えっと、いきなり呼び出してすみません。一年三組の川上瑞樹です」
「はじめまして…だよね? 二年一組の西堀一途です」
「はい、はじめましてです」
お互いに名前を名乗るだけの簡単な自己紹介。
思った通り目の前の女の子の名前に聞き覚えはなかった。
それを終えると女の子――川上さんは顔を赤く染め「…あの、えっと…」とモジモジし始めた。
心なしかその仕草からは少し演技が入ってるようにも見えるが見間違いだろう。
うん、気のせい気のせい。
「うん、うん」と相槌を打ちながら川上さんの言葉を待つ。
すると川上さんはフーっと深呼吸をするように一度深く息を吐くと、真剣なまなざしをこちらに向けた。
自惚れるているのかもしれない。しかし、この後川上さんが私に何を言うかはなんとなく想像がついた。
そして、もしその通りだとしたら返答はすでに決まっている。
「あの、初めて見たときから西堀先輩にその…憧れてました。凄くかっこいいなって…思ったり…。あの、それで…よかったらその…私と付き合って下さい!」
「ごめんなさい」
僕はそう即決拒否の返答を返す。
川上さんには申し訳ないが、こういうのはごちゃごちゃ言わずにまず簡潔に結論を言うべきだというのが僕の自論だ。
「ええええぇっ!?」
「うおっ!?」
びっくりした!?
川上さんは驚きの声をながら、告白時に下げた頭を勢いよく上げる。
驚きのあまり表情が固まってしまっている。しかし、川上さんはすぐさま縋るような目をこちらへと向けてくる。
「…あの、付き合えない理由を聞いてもいいですか。――あっ! もしかして私がロリじゃないからですか、それとも人妻じゃないからですか!?」
「いや、何言ってるの!? 落ち着いて川上さん!」
この子、大丈夫かな…
突然、何かに気付いたかのようにハッとして、川上さんが突拍子もないことを言い出す。
さすがに面食らう。
だって、いきなりロリやら人妻やらと言い出す理由なんて、……あー、うん。よく考えたら残念ながら思い当たる節がある。
けど、今はそれとこれとは別問題。
今はしっかりと川上さんの質問だけに対応するのが僕の責務だ。
「別に川上さんが嫌とか問題があるわけじゃないんだ。えーっとね、理由は単純で、僕にはずっと前から好きな人がいるんだ、だから君の思いには応えられない。本当にごめんね」
そう言って頭を下げる。彼女の思いは嬉しい、でも僕のこの思いだけは譲れないものなんだ。
しかし、その返答に何故か川上さんはパッと顔を明るくした。
「じゃ、じゃあその人がどんな女性か教えてください! まだ付き合ってるわけじゃないんですよね。私、西堀先輩のタイプの女性になれるよう頑張りますから!」
なおも食い下がる川上さん。拳を握りしめてグイッと距離を詰めてくる。
その押しの強さに凄い精神力の強い子だなと感心する。
同時に、ここまで言ってもらえるのは男冥利に尽きる。
でもね、
「ごめん、それは無理なんだ。僕のこの思いは絶対に変えられないし譲れない。もし、変えてしまったらそれは今の西堀一途という人間を否定してしまうことになる。――それに、そもそも川上さんと僕の好きな子は根本から違うんだ」
「でもっ、私は…!」
なぜならあの子は、
「僕がずっと前から大好きなその人は――男性だからね」
「…………………………え?」
川上さんの頭の理解がまるで追いついていないような空虚な声が校舎裏に響いた。