抗えない太陽:8
女性の遺体は衣服もそのままに眠っている。
薄く開いた目はもう硬直してしまっているのか動かず、だからこそこれはもう還らないものがあるのだと理解できた。
直面しているのは死体だ。正真正銘の、死亡理由不明の奇妙な死体。
「ハル、その赤色の……」
「キトゥですね。はい」
「君には、名前で言った方が早そうだね」
レヴィの指示する薬草を瓶から取り出しては調合し、薬屋で作った方と混ぜ合わせて粉を作る。
粉はしばらく湯の中に浸され、水分と反応して赤黒く染まった。
凝結した血のような色に、周囲にいる兵士から嫌そうな声が上がる。レヴィは気にせず、それを別のトレイに移し替え、手でこね始めた。
「ハル、次はユゥクを千切って入れてくれ」
「はい」
緑色のユゥクを千切り、トレイの中に入れていく。
この作業自体は普通で、一人でやる作業を二人でやっているだけだが。
「どうした? 手が止まっているぞ」
「あ、いえ……」
迷って止まった手を再び動かし始める。
止まってしまった理由は二つあった。一つは、鮮やかな手つきで調合をするレヴィの手腕だ。そこらの薬師などにはそうそう負けそうにないくらいの、素晴らしい技術だった。
もう一つは、薬屋や、今ここでハルが手に取った草の種類だ。ハルはそれらを全て知識として知っているし、効能もおおよそわかっている。
わかっているからこそ迷った。何故ならこれが予想通りなら――。
「あとは、これだ」
液体入りの瓶を遺体の口元へとやり、無理やり開いてレヴィはゆっくりと流し込む。
瓶が空になったところで近くの騎士に合図を送る。
「よし、こんなものだろう。誰か、火を貰えないだろうか?」
長くこねていた物体はいつしか団子状になり、レヴィはそれを四つほどに分けて千切り、騎士の持ってきた松明の炎に当てる。
一つ一つ炙られた団子は、チリチリと煙と香りを上げて火種を作り始める。香りはやや青臭く、かと言って異臭というほどでもない。むしろ大多数の人間にとっては、ある程度嗅ぎ慣れたものだった。
「シャルロイン殿……この香りは」
「お気づきですかスティール殿? 悪くない香りでしょう。普通より高い香草を混ぜましたからね」
「そうかもしれませんがこれは……」
オリバーの言いかけた言葉をハルは繋ぐ。
「植物の、栄養剤です」
それを聞いて、周囲の人間に納得する息が漏れた。
このアレキアでは比較的有名なものだ。土の上などに放置することで徐々に融解し、土の栄養として一体化する。
使われている植物が香り高いものも含まれるため、例えば花ならば、咲き誇る以前も良い香りを放つことができる優れものだ。
騎士が治安維持として地区内を巡回する以上、その香りを嗅ぐのは一度や二度ではないはず。だから、大多数の人間はこの香りに妙な納得を見せたのである。
「これが香りを放つのは、土の中の小さな魂が分解する時――もっとすぐに、芳香剤のように扱うのならば炙るのが早い」
燃やせば香りの持続は短くなるが、その分早く強烈に匂いを放つ。
それがこの団子の正体なのである。
「しかしこの方は人間です。植物など……」
「いえ、それが……」
レヴィは言いかけて、周囲の騎士たちを制止した。
「やや、気持ちの悪いことになるかもしれません。見たくない方は目を伏せることをお勧めいたします」
炙り、火種のできた団子を女性の頭の方へと置く。
燃える程に煙が立ち、香りが辺り一面に広がった。
普通ならば気分よく、リラックスできそうな香りも――だが、残酷な演出になる。
「えっ?」
若い騎士が何かに気が付いて驚いた。
凍てつき硬直した女性の体が、僅かにだがピクリと跳ねたのだ。
相手は死体である。動いたとなればもちろん死霊術である可能性があったが、魔術の知識を持つ騎士たちは全く反応しない。
魔術は発動していないのだ。大気中を動くマナの流動を、誰も感知していなかった。
ならばどうして女性は動いたのだ。そう思うたびに、あの遺体はもごもごと震えだす。
こうした恐怖体験に慣れていない騎士の何人かは短い悲鳴を上げる。レヴィのすぐそばにいるハルもそれは同じで、すくむ足は『逃げたい』とでも言いたげだった。
なのに、視線は外れない。
この妖しさを。不可解な現象を。それを扱う彼女の姿に目が離せなかった。
「――――」
数秒の後、遺体は動きを止めた。
一体何だったのだろう。わけのわからないままにも、異常を終えた遺体に不思議と安心する感情が満ちて、
「う、わああああああああああああああ!?」
次には、大絶叫に変わっていた。
動きを止めた遺体は、乱暴な操り人形の如く手足を踊り狂わせ、安置台に重く鈍い皮膚の音を響かせる。
それだけでもただただ恐怖であったのに――極めつけは、遺体の顔であった。
飽きるほどの悲鳴が充満する。
遺体となった女性の顔が動き、皮膚の下で蠢く細い線が見えた。
細い線は何かを目指すように進んで、女性の両眼球、鼻孔、口、耳――そして、うねる大量の細い管が顔面そのものを埋め尽くす。
それはもう人間の顔ではなかった。今、あの女性の顔全体は緑色の管が飛び出す土壌になっており、それはそう、苗床とも言える。
緑の管は蔓延する香りに誘われてふらふらと揺れると、そのままの姿勢を崩さず、生え揃う。
「こ……これは」
辛うじてオリバーが切り口を入れた。
こんなものを目の前にしたのは――特に、人の形を一部分でも大きく変容させてしまうものを見るのはなかなかあり得ない。
凍てつき青白い肉体の首から下は真っ直ぐに伸びているのに、顔面からは飛び出し吐き出された緑が生い茂っているのだ。はっきり言って、気色の悪い光景だった。
「おわかりでしょうか。そう、これはつる草の植物……の一種です」
あの栄養剤は植物全般に仕える万能なものだ。
このつる草は、その煙に誘われて出てきたのだという。
「非常に生命力がある種で、どこの大地でも自然と生えてくる。生きるための成長力が強いため、こんな風に栄養源を感じ取ると伸びてくるのです」
「馬鹿な、植物だぞ? そんな簡単に動くわけがない!」
「ええ、簡単には動かない。だから先ほど、活性化させるための薬を流し込みました。おまけに色々と――調合してはいますが」
怒る騎士を宥めながら、あの液体入りの瓶は植物を活性させる薬だとも加える。
普通ならば市場に出回らない、専門的な薬だった。
「ですがそれを踏まえてもこいつは貪欲なのです。アレキアの古い、放棄された地区などにはよく生えていますよ。極小の種から発芽する」
冷静に眺める。
視線を落とせば土壌はあまりにも恐怖を感じる。だが何も気にしないように、生え揃う植物の姿を見つめていた。
「そろそろ、答えを頂けませんか? シャルロイン殿の仰る通り、ここは寒いですから」
「そうですねスティール殿。ならば、そろそろ終わらせましょうか」
奇妙な術師による奇妙な事件の解決は、あまりにも呆気なく幕を下ろし始めた。




