抗えない太陽:5
周辺は二階建ての家が立ち並ぶ。屋根となれば、地上三階にあたるだろう。
家主が家の外に元々かけていた梯子を上ると、屋根の上は一際強く風が吹き、遮る物のない雪が砂嵐のように感じた。
数人の若い騎士が滑らないよう除雪しているが、やや斜めになった屋根の上は、それでも湿っていたり氷が張り付いていたりと不安定なままである。二次被害を考慮して色々な職業の人間が集まっているそうだが、世話になることは避けたい。
「遺体は、そこですね」
言うまでもなく、それは眼前にある。
歳は二十歳を過ぎた、半ばだろうか。この雪の中で上着も着ずに、ほとんど部屋着だ。
平凡ともいえる顔つきはとても優し気で、しわが無く薄目を開けて倒れている。軽く開いた脇と伸びる腕先は本当に自然とあって、ここが春の草原であったならばおそらく似合うものだっただろう。
雪の下で凍てつき、青白くなった肌にはそんな期待すら微塵も感じられない。生きている内は多くの風に揺られていたはずのブロンドヘアーも、今はただ針の如く細い氷柱だ。
レヴィはそっと近寄ると、その最期に祈りをささげた。
彼女の血筋を考えるとそれはとても皮肉めいていて――とても、当然のものに思える。
「発見したのは向かいの家の住民です、今日の早朝だったとか」
オリバーがレヴィの背後に立ち、事件の概要を語る。
今日の早朝――もう何日も続いている雪は、今も変わらずアレキアを白に染め上げていた。
降り積もった雪はどれだけ片付けてもキリがない。だから屋根の雪も昼間に落とそうが、夜の内に元通りになってしまう。
「この屋根の家の住民は高齢者で、除雪もままならなかった。だから豪雪になっても、どうにも対応できなかったようです」
幸い、この地区の家は国が整備のために建てた家が多い。
どれもこれも非常に頑丈で雪が積もろうがビクともしないため、家主の老人は放っておいたのだ。
「雪は積もります。ですが屋根の傾斜がありますから、ある程度の大きさになると崩れることもある……その時に」
「向かいの住民が、崩れた雪の隙間に遺体を見つけた」
遺体の傍に膝を折りながら話すレヴィは推理する。
オリバーはそれを認め、短く「そうです」と言った。
そこに遺体という異物があったせいだろうか。その周辺の雪が偶然崩れ落ち、崩れ落ちた早朝に向かいの住民が二階の窓からそれを見たのだ。
青白く凍てついた、女性の姿を。
「他に、不審な点はありましたか? 誰かの痕跡や遺留品などは……この頭の古い傷は?」
見ると、女性の額にはかすかに色の変わった部分が残っていた。
傷口は塞がってはいるが、なかなかに深そうなものだ。
「頭の傷は一か月ほど前のもののようです……処置をした医者を見つけましたが特に問題ありません。ほかは残念ながら不審な点はないですが行方不明届けが出ていました。つい、先日にです」
オリバーは首を横に振る。
周囲の雪を丁寧に探したそうだが、今のところ見つかったのはこの遺体のみだった。
「父さん、この方は……誰かに殺害されたんですか?」
「その見方をするのは当然だが、しかし頭部の古傷以外に外傷は見当たらない。衣服は破れてもいないし、見える範囲に傷も無い。毒殺された可能性を考慮しても――」
「――『どうして遺体をこんなところに置いたか』、でしょう?」
この場における疑問はそれであった。
人間が死ぬのは自然死か、それ以外は全て何らかの作用が関わる。
他者からの力で、自分自身の手で、もしくは体内を進む病気で。
それにしたって――どうしてこんな屋根の上で。雪の下で凍り付いているのだろう。
「仮に殺人だとすれば、遺体を隠すのならばもっと別の手段があります。アレキアの春は暖かい……雪が解ければ、すぐにでもこの方は見つかるはずだ」
そう、見つかってしまう。
やっとの思いで殺害したのならば全て無駄だ。加えて、殺人者が死体を屋根にまで引き上げるのもまた重労働だろう。
「見つかることを望んでいたのならば話は別ですが――どうも、それも違うようだ」
「レヴィさん? それは……」
何かを断定した物言いにハルが声を上げて、立ち上がったレヴィは小さな小瓶を見せつけた。
小瓶の中は真っ白な胞子のような物体がふよふよと浮かび、綿毛とも思える。この小瓶がどうやら断定の理由らしい。
「私には実際の検死技術などありません。知っての通り、先祖から受け継いだ死霊術の魔術的知見から導き出せる結果です」
その結果が、この小瓶。
「この白い胞子は、彼女の魂――その一部分です」
「た、魂!?」
驚きの声がハルを中心に沸き上がった。
近くにいた若い騎士を筆頭にどよめきが上がり、オリバーはそれを収める。
彼女がこうすることをわかっていたのは、どうやら彼一人だったようだ。
「ご安心を、一時的にこの中に入れただけです。終われば開放しますよ」
その言葉に安心を得るのは非常に不可解で難しかったが――誰もそんなことにわざわざ口を出さない。
「スティール殿、覚えていますか?」
オリバーは深く、一度頷いて、レヴィは改めるように言う。
「人体から放たれた魂の色や感触は、その人間の最期を濃く残すのです。魂の形はその人の生き様によって変化するとでも言いましょうか?」
生きて死ぬまで、魂の年輪に刻まれる情報。
色に似たそれは、終焉の最期を彩る。
「……どうやら彼女の最期は、こんな白いイメージだったのですね」
白い胞子は漂うばかりで、まるで適当に採取してきた植物にしか見えない。
ただ、これを眺める目が特別であるからこそ、レヴィはネクロマンサーであった。
「それで、シャルロイン殿。彼女の魂は何と叫んでいるのでしょうか?」
「血に塗れるような残酷な死を迎える程、魂は赤く染まり上がります。ですので、この白い魂はそんな死を迎えていないようで――ならばと考えると」
「おい! いい加減にしろネクロマンサー!!」
真面目ながらもどこは不敵に、面白そうに魂を眺めるレヴィに何人かの若い騎士が怒りを見せた。
彼らも死霊術師の存在はおおよそ知っているのだろう。異様な、認めるべきではない彼女の存在には乏しい反応しかできないのだ。
「お前達やめないか! ……シャルロイン殿、まずは結論から言っていただけないだろうか? 彼女は他殺か、もしくは自殺か。どうしてこのような最期を迎えたのかを」
オリバーが止めると若い騎士も黙るが、黙るだけだ。
雪に体を痛めているのは彼らも同じである。単純な寒さの不快さを加えて、内心の不満さは溜まっていく。
まとめ役としてのオリバーが憎い想いを代弁することで、どうにかそれを一旦落ち着かせた。
だが、それでもレヴィの口ぶりは鈍い。
「他殺か自殺かと言われると……何故でしょうか、『どちら』でもあるのです。この方は他殺体であり自殺体であり――そのどちらでもない。もちろん病気でも」
「……仰っている意味が分かりません」
「私もです」
レヴィは自嘲するように笑う。
「白というのは不思議な色でしてね。たった一滴の色が混ざっただけで趣を変えてしまう……こんなにも真っ白なのは不思議だ。感情豊かであるはずの人間性が無い」
人間性が無いというのはどういうことだろうか。
心が死んだこと――そう述べるならば、まだ多少は楽だっただろう。
「心が死んだ人間の魂はまた別になるんだよ、ハル。こんな胞子にはならず、細かい砂粒に似た形状になる。心とは移り変わる自由なもの、砕けた心は形を同じにして沈むほかない」
「……なら、ますますわかりません」
事件解決の糸口は何一つない。
それなのにさっきからレヴィは何かわかった風に話したままだ。もしくは、それが彼女の性格なのかもしれないが。
「糸口ならある。いや、情報だ」
「シャルロイン殿、それは?」
オリバーが顔つきを変えて問いただす。
もったいぶった態度に、さすがの彼も焦っているのだ。
「まず、死亡したと思える時刻だけお伝えするなら、三日前くらいです。この雪が豪雪になった直前くらいですね」
レヴィ曰く、漂っていた魂の劣化具合からそう判断できるらしい。
古い死体ならばそれもまた余計に困難になるようだったが、数日前のものとなれば比較的楽に知ることができる。
「そして次に他殺でも自殺でもなく、どちらでもあること。わかりますか? 言い換えれば、彼女の死は混在しているのです」
「混在……」
「そしてこの格好、部屋着ということは突発的な死を迎えたのでしょう。『混在した死』、『突破的な死』、『豪雪の直前』……さて、偶然とは恐ろしいものですね?」
レヴィの長いまつ毛の先が白く濡れる。
空の果てに何を見据えているのか。ハルが追いかけた場所は、真っ白な粒を振り落す薄暗い雲だけだった。
「シャルロイン殿、何かわかったのでしょうか?」
「ええ、思い当たることがあります」
その瞬間、ハルは心の中で思わず「早い!」と叫んだ。
彼女は何度もこういった事件に関わっている。それにしても、あまりにも早くはないかと。
まだ予測の段階だとしても、人類が未踏を強いられた外法を知る一族――その着眼点は、誰とも同一にはならない。
「肝心なのは豪雪の直前……その時間、その瞬間だと思います。そして人間性の欠片も無い『混在した』『突発的』『死』」
レヴィはオリバーの方へと振り向き、一つの提案を重ねた。
ただそれは提案でありながら、そうではない。
「スティール殿、騎士を集めてください。あなた達の望む『過程』は私の想像通りかもしれません。仮にそうだとすれば酷く残酷ですが――」
レヴィは構わず言い切った。
「この事件は、もう終わりです」
提案ではない。
それは、解答。
「……わかりました、手配しましょう。騎士団の詰め所に運びます」
「ええ、あと彼女の頭の……診療記録を用意しておいてください。できれば、どこで怪我をしたかがわかると好ましい」
オリバーは何も気にせず、それを受け入れている。ハルは、自分だけが取り残されたような感覚に陥った。
「スティール隊長! あの、この方の母親と言う方がいらっしゃいました!」
その時、梯子を上がって来た騎士が敬礼しながら告げる。
オリバーが屋根の下を見やると、そこには酷く落胆した様子の婦人が震えながらこちらを見上げていた。
「シャルロイン殿」
「道具を取りに戻ります。その間くらいなら――ひとまず偲ぶ時間もあるでしょう」
オリバーは一度レヴィを見ると若い騎士たちに許可を出す。
凍り付いた遺体は丁寧に下ろされて、吹雪に負けないほどの泣き叫ぶ声が周辺に広がった。




