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抗えない太陽:2

 ブリス地区は王都の中心から東側の、所謂一般階級が住む比較的開発の新しい場所である。

 父が騎士団の人間とあってかその給金は悪くなく、ハル自身も昔から真っ当な暮らしをすることが出来ていた。


 彼が今から向かう北側のシュフト地区は、アレキアの中でも古い風景を残す地区だ。

 石と煉瓦の街並みこそ今のアレキアの姿ではあるが、やや古い木造建築などが目立ち、住居も改装しなかった人々が今も先祖代々生きている。

 シュフトの各所にはかつての技術で残された歴史的存在が残り、学者を目指す者などには人気の場所だ。

 アレキアの王もシュフト地区の保全を好意的に進めているため、住民にとっても反感が薄い。そのためオルツの言う通り治安は悪くないのである。


(……と、ここまでは表面的で明るい場所の話題)


 治安は悪くない。ただ、完全に影の差さない場所があることも嘘ではなかった。

 古い町並みの中には変化を拒み続け、凝り固まった執念の元に鬱屈した精神を持つ場所もある。

 その隙間――例え住民がそれを望んで使わずとも、処罰されるべき情報が流れることだってあるのだ。


 貧民街スラムほどではないだろう。比較対象にそれを選ぶのも間違っているだろう。

 しかし若干の影の元、寄り添う小さな点は確かに存在する。

 つまり、一般的な居住区や貴族街には決して入らないような――一癖も二癖もある店だ。


「ここ、かな?」


 靴の裏は雪が詰まって滑りかねない。古く、狭い道幅に悩まされながら、進む度に暗い影が増えてきた。

 日の光が差さないほど。今は雪のせいでもちろん差すはずもないが、元よりこの辺りは日照権など忘れられたものなのだろう。

 共有した空間に生活の基盤を求め、それ以外は家であると同時に帰るだけの場所なのである。

 それをおかしいとは思わない。ハルの住む場所の人々だって、その生活を営んでいたはずなのだ。

 ここはあくまで過去の残る場所。そう捉えるのが、精神衛生上もっとも優しいのである。


「こんなところまで来るのは初めてだな……」


 行先は路地裏の向こう。

 シュフト地区自体は度々訪れている。先に述べた学者を志す学生のように、各地区の子供の教養を高める歴史勉強の場としても利用されやすい。

 歴史は嫌いではない。だから来た覚えは濃いものなのだが、こんなにも日の差さない場所までは歩いたことなど無かったのだ。

 路地裏はほとんど壁で、たまに勝手口かもしくは正面玄関にあたる扉が見える。

 扉の向こうからは騒がしい集団の声も響くことがあり、こんな雪の日だというのに酒の臭いも漂っていた。

 ここはコミュニティの結束が強い。何もかもが都市部よりも少ないからこそ、何もかもを求め集まるのだ。


 やがて、ハルは足を止める。

 他でもない、目的地は――そこにあったからだ。



「『〝名前の無い〟花園』」



 酷く傷んだ木製の看板にはそんな名称が書かれている。

 豪雪の重みで今にも崩れ去ってしまいそうだったが、ともあれ冷える体をさっさと温めたかった。

 木製で立てつけの悪いドアは、ぎりりと何かを引き潰すかのような音を上げて少年の体を誘う。入った瞬間に、嗅覚を刺激する匂いがいくつも感じられた。


(薬草……?)


 勉強した中で書かれていた薬効植物の香りだ。

 もちろん加工され独特な匂いを放ってはいるものの、既述された通りの色合いを持つ大きな瓶なども見える。

 薬屋なのだ、まあそれは当然と言えよう。

 古臭い店内に変色した棚。ひび割れたランプ。主すら逃げ出した蜘蛛の巣。異様さで言えば、生涯で見てきた中でもトップクラスだ。

 どう見ても長居を好むべきところではないが、今は仕事がある。


「ご店主の方、いらっしゃいませんか!」


 声を上げて、なるべく店の奥まで届くように叫んだ。

 しかし誰も出て来ず、しんとした店内には無常な空気が漂うのみである。

 ハルは諦めず何度も叫び、やがて、諦めた風に内容を伝える。


「――王宮からの手紙です!」


 その瞬間、カウンターの奥でガタリと何かが動いた。

 真っ暗な空間が広がる通路の奥で、ぼんやりと不可思議な影が揺れている。


「あの……?」


 店主、もしくはそれに通じる人なのだろう。

 ハルが勝手に思い込んで近づこうとして――影の一端が煌めき、飛んだ。


「!?」


 身をかがめた頭上に銀の物体が飛び、入り口扉の淵に突き刺さった。


「な――」


 声にならない末尾を切り捨てて、脳は急いで状況を確認する。

 飛んできたのは綺麗に研がれていない、若干の錆びを見せたナイフだった。

 柄が壊れていたのか、布を巻き付けて持ち手としたナイフはとても粗暴に見えて――尚且つ、そんな粗暴さが殺意を感じさせる。


「ぉっ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉぉぉ!!」

 狂気じみた何かに気が付いた時、目の前に立っていたのは目を血走らせた痩せ気味の男だった。

 男は酷く跳ねた奇声を何度も吐き出し、片手に持っていたもう一振りの刃物を振り回す。

 二振り目がハルの左肩を掠め、コートが裂けた。


「ちょっと! 何なんだ!?」


 訊く耳も持たず、男の乱暴さは止まらない。

 まさかこの男が店主なのだろうか――いや違う。


(噂の空き巣か!? よりによって……!)

 襲い掛かる体は直線的な動きを見せ、ハルはほんの少しだけ身を捻ってそれを躱す。

 間一髪とも言える距離を目で追いながら、薄い光が散らす残光の隙間へ拳を振った。


「ちっ!」


 警戒した男はギリギリで引いて避け、抜ける腕を見送ると開いた脇を狙う。

 と、ここまではハルの予想通りだった。

 わざと狙わせた位置に敵を誘い込み――伸ばしたままの腕で男の胸元を掴む。

 掴んだ腕は離さない。空いた方の手で攻撃の刃物を抑えながら、男の鼻元へと頭突きの鉄槌を下す。

 バランスを崩した男はそのまま倒れ込み、寄りかかった棚の薬瓶を数本巻き込んで落とすと大量の鼻血を吹きだして白目を剥いた。


「……っ痛」


 四肢へ渡る神経が張るように痛み、ハルは膝をついた。

 額に残った男の血液が顎の元まで伝う。数度の眩暈を越えて、ようやく状況を再確認した。


「やっちゃった……はぁ」


 この男――結局、空き巣と判断したが、仮にこれが店主であったなら大問題だ。会うべき目標を昏倒させて、これが正当防衛だったとしても失敗だった。

 どうも自分は敵だと判断するとやりすぎてしまうらしい。こればかりはなかなか加減が利かず、悪癖に近い。

 おまけに薬瓶を何本か割り落としてしまった。さすがに損害賠償まではいかないと思いたいが、





「――おや」





 背後で、何かを引き潰すようなドアの音が響いた。

 声の主はしばらくの沈黙を残し、ハルに振り向く間を与える。


(……え?)


 真っ白な雪の背景に、思案に耽るのは――女性だった。


「騒がしいと思ったら来客か。随分、乱暴だったようだけど」


 漆黒に満ちた黒髪に、赤色の丸い瞳をしている。子供が見れば吸血鬼か何かなのではないかと思いそうな一瞬、彼女の童顔がそれを思い留める。

 だが確実に、人外の類に認識してしまいそうな容貌なのは違いない。


(人……間……?)


 加えて――違和感を高めさせるのは彼女の右耳の上にある。

 くの字に曲がり天を指す、黒光りの『角』。一本の角が、頭から短く伸びていた。


「ん? 私の顔に何か付いている……いや、付いてたか。あははは」


 ただ、その見かけとは裏腹に顔つきはとても穏やかで、だから貶すような形容は当てはまらない。

もっと単純に、ハルが思う限り――見たことが無い美しさだったのだ――。


「豪雪の中から戻って見れば、これは……さすがの私も時間が欲しくなる」


 紺色のコートから白を払いつつ、手を口元に当てて「うんうん」と唸る。


「……ふふ、やはり無理だなこれは。そこの少年、良ければ何が起こったか教えてくれないか?」


 にこやかに警戒もせず、女性は近寄ってきた。

 笑みには、見た目の怪しさに相応しい悪意は感じられない。

 ハルはともかくとして事情を説明し、手紙を渡す。王宮からのサインを見ると、女性は即座に話を理解したのか息を一つ吐いた。

 そこではっとなり、ハルは改めて訊く。


「あの……あなたは? あ、僕はハル。ハロルド・スティールといいます」

「スティール……君がハロルド? ふむ……」


 呼吸をする一瞬の後、改めて女性は告げる。


「そうか、よろしくハル。私はレヴィ・シャルロイン。ここの薬師で――そして」


 レヴィは息を吐く。

 真っ白に凍てつく息を、吐いた。


「君がお探しの『死霊術師(ネクロマンサー)』さ」


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