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抗えない太陽:1

 緑豊かな大地に、その国はあった。

 王都 アレキア。現在は十二代目の王が統治を行う、この大陸における三大国の一つである。

 三国による歴史上最後の大戦争は百年近く前。どうにか均衡を保っているここは――とりあえず平和に歩を進めていた。



 季節は冬。

 アレキアの城下町には今日も真っ白な飛礫が激しく降り落ちている。一つ一つを数えることはできず、散り行く秋の葉のごとく眺めることしか可能ではない。

 王宮の気象学者曰く、この寒波はしばらく続くらしい。人々は野に住む動物のように雪の下で耐え震えていた。

 薄い窓ガラスの淵には、暖炉で温められて発生した結露の水溜りができている。それほどに外は寒く、白銀が今の全てでしかない。

 気が付けば、栗毛のかかる自分の黒い瞳には白が色移りをしている。それほどまでの驚異的な冬の暴れぶりに飽きを見せて、ハルは古本屋で購入した数冊の本に心を預けていた。

 寒波以前に購入できたのは幸運のほかない。あと二日でも遅れれば、凍り付いた本がテーブルを濡らしていただろう。


 吹雪は、勢いを緩めない。


 朝、相変わらず吹雪の絶えない外に出て行った父は果たして無事なのだろうか――ハルはぼんやりと考えながらも、手元にある古臭い書物を読む手は止めなかった。

 父は騎士団の部隊長だ。ちょっとやそっとで倒れる男ではない。

 そんな、親子関係とは若干離れた信頼を持って寒さから意識を背ける。今は赤々と燃える火の色こそ、自分の世界の色である。

 するとそこで、吹雪とはまた別の打ち付ける音が響いた。



「――ハロルド! ハロルド・スティール! いるか!!」



 激しいノック音はまるで石を放り当てられたようだ。

 ハロルド――ハルは、しばらく無視を決め込もうかとも思ったが、聞き覚えのある声だったが故に無視できない。

 テーブルの上に本を置き、分厚いコートをわざわざ羽織って玄関へと出向く。声に返事をしながら、ハルは冷たいドアを開けた。


「ハロルド! いるじゃあないか!」

「こんにちはオルツさん――……どうか、されたんですか?」


 吹雪に当てられたせいか真っ白になった男を見上げながらハルは問う。深緑色のコートの上からでもよくわかる、肩幅の大きい鍛えられた体をしていた。


「どうかしたじゃないよ! ああ、それよりも一度中に入れてくれないか? このままじゃあ凍えて死にそうだ……」

「勿論です。さあどうぞ」


 オルツを招き入れ、暖炉の前で待たせながら、ハルはポットに入れておいたコーヒーを注いだ。

 ついさっきに作ったばかりだ。まだ僅かに温度と湯気を残しているから、この寒空の下から来た人間には相当な温度に感じるだろう。


「オルツさん、コーヒーです」

「おお、悪いね……なんだ、また本を読んでいたのか? 『マダムキークの薬草学』? おいおい、何十年前のベストセラーだ。著者が死んだ時はそれなりに騒がしかったかなぁ」


 真っ白な風景に幼少時代を浮かべながらオルツは黒茶色の液体を舐めるように味わう。やはり、かなり熱く感じるらしい。

 乾かすために一度脱いだコートの下には騎士に支給される銀の柄の剣が下がる。見た目は普通だが、王宮の神官直々に祝福を受けたものだ。


「それより、オルツさんはどうされたんです? 父の部隊は今日も街の警備でしょう」


 父は騎士団の部隊長であると同時に、最近では主任務で街の警備をしている。治安維持組織の方で言えば、この周辺の長にあたるくらいだ。

 オルツは父と同じ部隊で部下である。となれば、彼は本来ならここにいるべきではない。

 いきなり押しかけて暖炉の前でコーヒーを飲んでいる。これこそ、職務怠慢ではないだろうか。


「怠慢なんかじゃない。と言うか、コーヒーは君のサービスだ」

「仰る通りです。……いや、それでどうかされたんですか? まさか父が……」

「心配しなくてもいい。隊長……お父上はピンピンしてるよ。それよりも問題が発生してね」

「問題、ですか?」

「ああ、事件さ……死体が見つかったんだ。この大雪の中でね」


 そこまで言われてやっと納得がいった。オルツが慌てて駈け込んで来た理由もおおよそ伝わる。

 ――いや、しかしと心の中で首を振るほかない。

 そうであっても仕事をするのは騎士団だ。わざわざスティール家に入って来る理由までには至らないだろう。

 父は生真面目で几帳面な性格だった。忘れ物をしているのも見たことが無い。


「いやぁ、そうなんだけどね」


 やっと慣れてきたのだろう。コーヒーを飲むための喉の動きが活発になって来る。

 一口二口、三口までいってもオルツは言葉を続けず――しびれを切らしてハルは口火を切った。


「……僕に、何かをしてほしいんですね?」


 大方、父からの命令なのだろう。

 だけど隊長の息子だから、はっきり述べるのがどうも面倒なところで憚られて、タイミングを見計らっていたのだ。


「そう、そうだよ。お父上からお仕事を頼まれたんだ。他ならぬ君に」

「よくわからないです。だって僕は騎士団じゃあ……ないんですよ?」

「お父上はそう思ってないし、俺達騎士団のメンバーもそうは思っていない。大事な仕事であっても、多少のものなら任せるに足りる子だってのは知っている」


 ハルは心の中で頭を抱えた。

 別に父の仕事を手伝うのはやぶさかではない。父も地域の守りは地域住民の協力が必要だと常々言っているし、間違っているとも思わない。

 ただ、一方的な期待を寄せられるのは困る。

 自己責任で動くのは構わない。ただ、期待を交えられては応えるのが嫌になる。

 泥の足枷の如く、絡みついて来て動けなくなりそうだったからだ。


「そんな顔するなよ。ちょっとした手伝いさ……ここにいる人を呼んで来て欲しい。こっちの手紙を渡してくれ」


 言って、オルツはメモ用紙と丁寧な装いの手紙を渡して来た。

 その手紙を見て――ハルは少し驚く。印字されていた文字は、王宮直々のサインであったからだ。


「ちょ、これ!?」

「あーあーあー、気にしないで大丈夫。騎士団に来れば日常的にお目にかかるぞー」

「それは父の机を見ればよくわかりますよ! なんで僕にこんな役目を……!」


 騎士団部隊長である父の机には、王宮からの命令書や手配の手紙が散乱しており珍しくない。昔から、何度も遊びで入った倉庫にも古い手紙が残されていた。

 だが届ける役目などもってのほかだ――こんな、王から直接流れる手紙などを、騎士の息子風情が持って行っていいわけがない。


「君のお父上から頼まれたんだ。こんな日だからね、どうしても頼れる人脈をかき集めたいのさ……で、君」


 この周辺で、協力的な住民。

 騎士団の部隊長で、地域警備の長にもあたる人物の息子であるならば、一方的な期待を寄せても不思議ではない。


「それだけじゃないさ。君がよく周りに気付いたり、頭が回ることも評価しているんだよ」

「僕は、それほど優秀で高潔な人間じゃありません」

「ならば断わるとでも?」

「……そんなことはないですが」

「はぁ……もう少し自信を持ちたまえよ」


 オルツは冷えた体も気にせずハルに歩み寄り、両手で左右の肩を叩いた。


「私も昔は騎士見習いで、教官だったお父上にはよくしごかれた。……まさか配属先の上司が同じだったとは夢にも思わなかったが――ともかく、少なくとも隊長を知る人間は、君のこともよくわかっているのさ」


 叩いた手を引き、腕を組んで首を頷かせる。

 ハルも知らない過去を回想しているようだった――いや、ハルの過去を、知らない内に伝えられた過去を回想していた。


「……四年前だったか。隊長と同じく騎士を志していた君に――」「やめてください」


 静止する声に、オルツは思わず「しまった」という顔をした。

 彼自身には嘲笑や同情の念があるわけではない。ただ、気分的に思い返してしまっただけなのだ。

 しかしそれがハルの深い傷跡であることを、わざわざ口に出すものではないことを失念していた。


「……や、すまなかった」

「いえ……過ぎたことです。それが、今の僕が目指すものに繋がってますから」


 そう、別に何でもない。

 張り裂けそうな気持ちを感じたのは昔の話だ。成長し、別の道を見始めた彼には、何も関係ない。


「オルツさん、まだお仕事があるのでしょう? この手紙は確かに届けます。任せてください」

「ん……わかった、それじゃあ頼む。実は私も早く戻らなくてはならなくてね」


 いそいそと、別に何も無いのだが慌てたふりをしてオルツは玄関へと向かう。

 ハルもそれを見送るために続く。開けた瞬間に雪の流れ込むドアに目を痛めながら、外へと足を向けた。


「うぉっ……あぁ、君のサービスコーヒーが早速名残惜しい」


 生まれた時からずっと住んでいる王都アレキアのブリス地区。こんなにも世界が白銀に包まれたのは――さて、最後に見たのはいつだろう。

 寒さに震えるオルツは口の中に残ったコーヒーの渋みを確かめる為か、凍える口元を何度も動かして唾液を咀嚼していた。


「じゃあ、私はこっちだから。配達先はシュフト地区だ。治安は大丈夫だから安心してくれ。住民は古いが、悪い人間は一人もいないと評判だからなー……っと、最近空き巣が流行ってたか? まぁ、概ね大丈夫だ」

「知ってますよ。僕だって、それなりに長く住んでいるんです」


 言うと、雪の向こうで笑みがこぼれた。


「そうだったな。この王都の住民は大概がそうだが……一つ、言っておかなくてはならない」


 オルツは続けると、足跡の付いた雪を再びこちらへ返して顔を近づける。

 寒すぎて、生暖かさも感じない。



「送り先は危険な人物ではないが――変わった人だ。私個人としてはどうでもいいけれど、なるべく関わらないことをお勧めするよ」



 どうしてですかと訊き返す間もなく、彼の背中は去っていく。

 忠告した癖に、全ては任せるとでも言いたげだった。


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